第18話
僕達の監禁騒動は密やかに収束した。余波も捜索隊の何人かが面白がって話すぐらいで、その話も真白さんが主役であり、僕はその場にいたのかさえ定かではない存在だった。望むところだ。広められて厄介な噂が再燃するより余程いい。
午後からは体育館に全校生徒が集められて舞台の出し物が行われた。演劇やダンスやプロモーションビデオが披露される。素人目ながらそれなりに面白かった。自分が関係しない舞台での発表は存外楽しめるものだ。
文化祭初日最後のプログラムでは生徒会主催の出し物が行われた。ライブだ。僕は文化祭でのライブはうんざりしていた。バックミュージックが大きすぎて歌が聴こえないからだ。本末転倒というか、何をメインにしているのか分からない。そのバックミュージックも上手いのだか下手なのだか判断もできない。しかし、盛り上がるために全員起立を強制され、有志は舞台の傍まで近付いて両腕を上げてきゃーきゃーはしゃいでいる。なんの有難みもないものを見て騒いでいるところを後方から見ていると奇妙な宗教のように思えてくる。勿論、これはひねくれ者の考えだ。結局、楽しんだ者が得をする。僕は今年度それを学んだ。ただし即適応というわけにもいかない。
ライトが消え、一瞬葬儀のような沈黙が流れる。普段気にも留めない人がごそごそと動く音や子供の声がやけに大きく感じる。次いで幕がゆっくりと上がり、舞台の上に楽器と数名の生徒の影が見える。僕は腕を組んでぼんやりとそれを眺める。スポットライトが点灯し、舞台の上に立っている人物を見て驚く。
真白さんだ
真白さんは舞台の中央でマイクの前に立っていた。両隣をギターだかベースだかを持った生徒会の女子に挟まれ、後ろにドラムやらなんやらの楽器を扱う生徒会の男子が立っていた。
観客達がわーわーと盛り上がっている中、僕は不思議に思った。生徒会のメンバーでもない真白さんがなぜ舞台の上でメインのボーカルとして立っているのか。まさか彼女が自分で立候補するわけもないから、クラスどころか学校全体の人気者と化した彼女を引っ張り上げた誰かがいるのだろう、と簡単な推理をする。
「びっくりしたでしょ?」
いつの間にか隣に立っていた園田さんが言った。僕は「そりゃね」と答える。周囲の音が騒々しくて声のボリュームを上げなければならないのが億劫だった。
「真白ちゃんが茅原くんには黙っててくれって」
「へぇ、なんで?」
「さぁ、わからない。恥ずかしかったんじゃないかな」
よくわからない返答だった。けれど声を張り上げてこれ以上質問する気にもならなかった。僕は納得したような素振りを見せて黙って舞台を眺めた。恥ずかしい? そうは見えない。学校中の視線が舞台に集まる中、彼女は堂々と立っていた。時折、知り合いを見つけたのか笑顔で軽く手を振る仕草を見せた。
ライブが始まった。イントロの段階で何の曲か分かった。今の流行り曲だから、ではない。夢の中で聴いた曲だったから。昨夜、彼女が歌っていた曲だから。ああ、練習していたんだな、と僕は納得した。今日の為に、ずっと。
彼女の歌声はバックミュージックに負けず、しっかりと体育館に響いた。
「やっぱり上手だよ」
僕は呟いた。誰に聞かせるわけでもない独り言だった。
一番のサビが歌われると文化祭は大いに盛り上がった。例年にない盛り上がりだと僕は思った。ほとんどの人達が、隣にいた園田さんも含めて、舞台の傍に駆け寄ってリズムをとったり、両手を上げたり、掛け声を上げていた。僕は自分の席の前から動かず、真白さんを、生徒会のメンバーを、全校生徒を後ろから眺めながら、夢の世界を思った。
今、舞台の上に立ち、学校中の視線を浴びて喝采を受けている人は、世界で一番孤独な人だ。比喩でなく、個人的な感情を差し引いても、間違いなく、誰よりも孤独だ。そして、同時に強い人だ。
この奇妙な繋がりが、どうして生じたのかはわからない。きっとわかる人などこの世にいない。ただ、世界中の人々が消えて、ずっと一人で生き続けた彼女に対する、あまりにも些細な褒美なのだとしたら納得がいく。
この歌声が、永遠に消えなければいいのに。彼女を見て、話し、笑い合い、拍手し、賞賛し、彼女を思ってくれる人達が、空間が、永遠に続けばいいのに。
世界で一番孤独な彼女を救ってほしい。
歌が終盤に近付くと、僕はひっそりと涙を拭った。人前で涙を流すなんていつぶりだろうか。おそらく皆の視線は舞台の上にあるだろうから、人前で涙を流すという言葉が正しい使い方なのかどうかは分からない。そんな細かいことはどうでもいいけれど、どうでもいいことに頭を使わなければ、僕は立っていられないほど泣きじゃくっていただろうから仕方がない。
歌が終わり、音の余韻が残る中、彼女は喝采の中にいた。彼女は生徒会のメンバーと共に頭を下げながら、知り合いを見つけるたびに手を振っていた。不意に彼女と目が合った。そうして、驚いた顔を見せる。舞台の集まりから離れた位置にいた僕は、舞台上から見ればさぞ目立っていただろう。その時、僕はもう涙を流していなかった。代わりに微笑みを浮かべていた。彼女は大きく腕を上げて手を振り、とびっきりの笑顔を見せた。観客達はわっと湧いた。スポットライトの光の中で笑顔を浮かべる彼女は、本物の太陽のように輝いていた。
その日の夜、僕は再び崩壊した世界を訪れた。スタート地点は前回と同じ、赤い水の淵ぎりぎりの高さの、例の高層ビルの階段だ。僕は振り返り、屋上へと繋がる扉を開けた。錆び付いたドアは古臭い音を立ててゆっくりと開いた。
「あっ、城くん」
前回と同じく、屋上の柵に手を置いて、彼女は世界を眺めていた。赤い空、巨大な月、赤い水に沈んだ街。変わらぬ光景だ。
「最近はよく来てくれるね……」
「真白さん」
彼女の言葉を遮るように僕は言った。
「文化祭お疲れ様」
僕の言葉の意味を、真白さんは最初、理解できていないようだった。次第に、困惑の中から疑問が生まれ、その疑問の答えに気が付きながら、その答えを期待してしまう自分を抑えつけるように、彼女は戸惑いの中で口にした。
「……どうして?」
僕は小さく頷いた。
「知ってるかって? 知ってるよ。石川真白さん」
お互いの夢が、お互いの現実だったなんて、不思議な話だ。それに、ややこしくもある。
「君が夢だと思っている世界は、僕達の現実だ。そして」
僕は息を吸い込む。二人しかいない世界の空気は、崩れつつある街並みとは裏腹に、途方もなく新鮮だった。
「君の世界は僕の夢だ」
真白さんは理解できただろうか。僕と同様に彼女の前にもヒントはたくさんあったはずだから、受け入れるのはそれほど難しくないだろう。
真白さんは口元に両手を当てて、僕をじっと見つめていた。大きな瞳はどんどんと潤んでいった。
「あぁ、なら……」
真白さんは吐息のような言葉を発した。
「みんなは、あの世界の、みんなは」
瞳から大きな雫がとめどなく流れてくる。僕はゆっくりと彼女に近付く。柄じゃないけれど、彼女の肩に手を回して身体を支える。彼女は僕を見て言葉を繋ぐ。
「お父さんは、お母さんは」
僕は頷く。
「クラスのみんなは、学校のみんなは、先生は、街の人達は、世界中の人達は」
真白さんは一つ一つ確かめるように言った。僕も一つ一つ頷く。
「……城くんは、夢じゃないんだね……生きてるんだね」
彼女は膝をついて、僕に縋るように抱き着いた。ああ、そうだ。この感覚は、やっぱり同じだ。あの暗闇の中の石川真白さんと、ここにいる真白さんは、同じだ。僕はつられて涙を流した。僕は彼女を抱きしめた。彼女を助けてやりたかった。壮絶な孤独に耐え続けてきた彼女を救いたかった。辛かっただろう、苦しかっただろう、寂しかっただろう。
僕は彼女を救いたかった。救わなければならないと心に誓った。




