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第17話

 文化祭当日、僕達の通う高校は校門から飾り付けられていた。誰が作ったのか設置したのか知らないけれど大きなアーチと看板が立てられ、色とりどりの文字と紙フラワーで明るさをアピールし、寂れた街の中で若者達の青春を表現していた。

 僕はそんな校門を素通りし、綺麗に清掃された廊下を歩き、いつもより一時間は早く出勤した教師達や、朝の眠気を完全に忘れ去った先輩同輩後輩を見かけながら、自分の教室へ向かい、荷物を置いて、化学室に向かった。既に準備を始めていた真面目なクラスメイト達に混じって作業をしていると、クラスの出し物が開始される午前9時はあっという間にやって来た。

 文化祭のお化け屋敷といえばポピュラーで、化学室前の廊下には長い列ができた。生徒の親や友人や兄弟姉妹が並んでいた。僕と真白さんは追い立てられるように準備室へ詰め込まれ、完全な暗闇の中に閉じ込められた。


「暗いな」

「電気が点かないんだよね」

「スマホのライトを点けようか」

「あっ」

「どうしたの?」


 真白さんの声は暗闇に吸い込まれるようにして消えた。しばらく無音が続き、


「スマホ忘れたぁ」


 と悲しげな声が響いた。「あらら」と僕は言いながら、制服のポケットに手を突っ込み、「あっ」と声を上げた。


「どうしたの?」

「スマホ忘れた」

「わぁ」


 発光する方法もさせる術もない僕達はしばらく立ち尽くした。僕は「まぁまぁ」と空気を変えるために言った。


「休憩時間に取りに行こうか」

「そうだね。お客さんに会わないように……」


 真白さんの言葉の途中で叫び声が聞こえた。お客さんの声だろう。声の遠さから距離が大体わかる。僕達が壁を叩くのはお客さんが準備室に入ってから出ていくまでの数秒程度だから、まだ出番ではない。

 僕は背後の壁にもたれて両腕を前方へ伸ばす。準備室は狭いので目一杯伸ばせば壁に手が届く。暗闇の中で自分の身体さえ見えず、身体の感覚だけが自分の存在を証明する。確かに、この状況では心細さを感じるのも無理はないと思う。準備室の薄い壁の奥からはCDによる不気味な音声が聞こえ、時折脈絡なくお客さんの悲鳴がわっと上がる。お化け屋敷よりもよっぽどホラーな体験だ。


「なかなか来ないね」


 右隣の低い位置から真白さんが潜めた声を出す。僕は右下を見るも、相変わらず何も見えない。多分、真白さんは身を屈めて座っている。準備室には椅子もない。用意しようと思って忘れ続けた結果、満足に座る場所も失った。だから、彼女はきっと床に座っている。気の毒に思いながら、僕は言った。


「成功している証拠だろうね。怯えて歩くからシュミレーションよりも速度が落ちてるんだろう」

「やったね。大成功」

「早くない?」

「あはは、確かに、まだ始まったばかりだね」


 暗闇の中で声を潜めて会話をしていると、この状況は何だろうとふと不思議に思う。僕達は互いに、声だけを頼りに互いの存在を把握している。それは別段特別なことではないのに、なんだか世間的に悪いことをしているような、よくわからない感覚にとらわれる。


「あ、来たんじゃない?」


 二人分の足音がする。真白さんがすっと立ち上がる気配がする。真白さんの腕が僕の脇腹に軽く当たる。真白さんは「ごめん」と小さな声で謝る。僕は「いいよ」と気にせずに壁を叩く。真白さんも続いて壁を叩く。大きな音がして、壁の向こうで叫び声と、「なになに?」という困惑した声が上がる。壁の外の二人組は速度を上げて廊下へと繋がる扉へと向かい、廊下側で待っていた誘導係の何某さんのもとへ無事辿り着く。


「予想より驚いてくれたね」

「うん、まさに大成功だ」

「あはは、早くない?」

「確かに……おっと、もう次が来た」


 基本的に僕達の役割は上手くいった。園田さんの采配が見事だったということだろう。中には「ああ、準備室に人がいるのか」という名探偵や、「お疲れース」と怖がっていないアピールをする人達もいたけれど、大体の場合は成功した。

 時間が経ち、といっても僕達は正確に時間を把握する術を持っていないのだけれど、ある程度時間が経過したと思われるタイミングで、真白さんが呟いた。


「暑くなってきたね」

「一回外に出ようか」


 新しいお客さんの声はまだ遠い。今なら準備室を出てもばったり出くわすことはないだろう。というわけで、真白さんは扉をがたっと動かした。けれど、ドアノブ式のドアは開かない。「あれ?」という声が響き、僕は大体の事情を了解したけれど納得できず、「どうしたの?」と尋ねた。


「扉が動かない」

「それは困った」


 僕が歩くと、真白さんはその場から横にずれて場所を空けた。全て暗闇の中の出来事だから何も見えていないけれど、大体の音と気配で真白さんの位置は分かった。だから、僕達は衝突することはなかった。ともかく、僕がなんとかドアノブを探り当ててそれを捻ろうとするも、うんともすんとも言わない。


「助けを呼ぶしかない、かな」

「そ、そうだよね」


 僕と真白さんはお客さんが近付いたタイミングで壁を叩きながら助けを呼んだ。「助けてください」と「閉じ込められているんです」と。すると、壁の外のお客さんは高い叫び声を上げながら逃げ出した。ああ、当然だろう。お化け屋敷の中で本当に監禁されている役者がいるなんて誰も思うまい。二度繰り返して二度とも同じ反応を受けたので僕は諦めた。この方法では脱出できない。


「真白さん、駄目そうだ」

「う、うん、ど、どうしようね」


 真白さんは戸惑いながら、精一杯落ち着いた声で、おそらく微笑みながら言った。外との連絡手段がないから、文字通りどうしようもない。


「昼休みにお客さんがはけてから園田さん達が見回りに来る筈だから、その時に助けを呼ぼう。多分、そんなに時間はかからない。予想だけど、後一時間ぐらいかな」

「そっか、そうだよね。うん」


 内心、僕は焦っていた。危機的状況では先行して嫌なイメージが浮かび上がるものだ。昼休みになって叫んでも誰も助けてくれなかった場合は? 一日ずっとこの部屋に? 様々な問題が発生する。けれど、考えても仕方がない。平静でいることは僕の得意技だ。今発揮しなくていつ役に立つというのか。

 真白さんは「ふー」と長い息を吐いて床に座った。僕は持ってきたうちわで真白さんがいるであろう辺りを扇いだ。


「あはは、ありがとう」

「どういたしまして」


 僕はうちわを使いながら、こういう時、何を話すべきだろうかと考えた。相方を元気づけるべきなのか、心配するなというべきなのか、全く関係のない話をするべきなのか、黙っておくべきなのか。どれをとっても正しいとは思えなかった。


「城くん」


 と突然名前を呼ばれた。僕はうちわを止めて「はい」と返事をする。


「交代! 次、わたしの番」


 真白さんはうちわをすっととって僕を扇ぎ始めた。涼しい風が身体を癒す。嫌な汗が引いていく。

 真白さんはうちわを使いながら「城くん、飲み物持ってない?」と尋ねた。僕は「ペットボトルのお茶があるけど」と答える。真白さんは「よかったら一口貰える?」と言って「忘れちゃってさ」と続ける。僕は暗闇の中でお茶を置いたであろう場所まで歩いてペットボトルを見つけ出し、真白さんに渡す。


「あ、でも」


 と僕は言う。真白さんはペットボトルの蓋を開けたところで動きを止める。僕は「もう口をつけた後だよ」という無駄な情報を伝えることを制する。全く無駄だ。そんなことは蓋を開ける段階でわかることだ。宣言する意味はない。という訳で、僕は「一口じゃなくていいから」と別の言葉を発する。真白さんは「あはは、ありがとう」と言ってお茶を飲んだ。彼女は「生き返ったー」と言って僕にペットボトルを返す。さぁ、僕は今度、このお茶を平常心で飲めるのだろうか、怪しい話である。

 時間がどのぐらい経過したのか、今やさっぱり分からない。僕は壁にもたれて、時たま真白さんと取り留めのない話をして時間を潰す。


「でも、城くんは冷静だよね」


 と真白さんが呟く。僕は「そうでもないよ」と返す。本当にそうでもない。実は閉じ込められた状況に焦っている。


「ううん、一緒にいたのが城くんでよかった」


 真白さんが暗闇の中で放った言葉を聞いて、僕は胸が痛くなる。僕で良かった、だって? そんな状況は、この世界のいつだって起こり得ない。


「例えば、ここに翼がいたら、きっともっと真白さんを楽しませることができたよ」


 間が生まれた。僕はしまったと思った。余計なことを言ってしまった。何だ? 今の言葉は。拗ねた子供のようなセリフだ。口調も強めに言った気がする。けれど残念ながら、その幼稚な、自分の不足を嘲て誰かを羨むような言葉は、僕の本心だった。


「ごめん、忘れて」


 僕は付け加えた。無駄だろう。せっかく褒めてくれたのに、真白さんの機嫌を損ねてしまった。

 真白さんは無言で、そっと立ち上がって、僕の方へ近付いてきた。僕は逃げ出したい気分だったが、方法がなかった。逃げ出せるならとっくに脱出して、今頃座椅子にでも座って悠々と過ごしているだろう。

 真白さんが身体をぶつけてきた、と僕は最初そう思った。タックルされたのだろう、と。女子高生にしては変わった攻撃だ。しかし、違った。真白さんは両腕を回して僕の身体をがしっと捕まえて、優しく抱きしめた。


「本心だよ」


 真白さんは小さく呟いた。


「城くん、本心だよ。全部、城くんで良かったと思うの。本当だよ」


 僕は困惑した。状況がつかめない。人に抱きしめられる間隔なんて忘れていた。いいや、忘れていたというより、ほとんど初めてだった。我が家の親のことを考えると、きっと初めてだ。

 そう思って、困惑の最中、思い出した。初めてじゃない。最近、あった。確実に、あった。あれは、あの夢だ。崩壊した世界の、彼女だ。

 包み込むような真白さんの感覚と、縋るような彼女の感覚は、完全に同じだった。そして、僕は確信した。疑惑は確実のものへと変わった。


 彼女は、真白さんだ。


 少しして、真白さんが僕から離れた刹那、準備室の扉が開いた。扉の向こうには園田さんと数名のクラスメイトがいた。聞けば、昼休みになっても戻ってこない僕達に気付いて、何かあったのではと捜索隊が結成されたようだ。捜索隊は結成された数分で役割を終えた。おかげで、僕達は助かった。

 ドアノブは押し込み式だった。押し込んでから捻れば開く、それだけで解決するお話だった。僕はパニックに陥って冷静さを欠いていた。園田さん達は事情を聞いて笑っていた。我ながら恥ずかしい思いをした。

 僕は牢獄から脱出してため息を吐きながら壁にもたれて天井を見上げた。随分と新鮮な体験だった。視線を下げると真白さんと目が合った。彼女は僕へ笑いかけた。数時間ぶりに光の下で見た彼女の笑顔は何よりも美しかった。



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