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第10話

 花が咲いた。赤と黄色の美しい花だった。

 花は闇へと散らばり、直ぐにその姿を消した。だがその死は終わりではなく、始まりの合図だった。続いて幾つもの種が空へと打ち出され、夜空へ大輪を咲かせた。花が開く度、大きな音が鳴った。地面が震えるような、大きな音だった。

 人通りの少ない堤防で、僕は真白さんと並んで、互いに脚を海の側へと放り出し、繰り返される生と死を眺めていた。彼女は始め、両手で自分の耳を抑えていたが、次第に慣れてきたのか手を下ろし、呆然と空を眺め始めた。僕は夜空に浮かぶ花火に目を向けながら、今、彼女は何を考えているのだろうか、と疑問に思った。

 幼い頃に見たぶりの打ち上げ花火は、僕の心にそれほど大きな影響は与えなかった。ああ、こんな物だったな、とぼんやりと思う程度だ。確かに美しく、風情があって、夏の夜を感じさせる、それは間違いない。でも、僕の中ではそれ以上でも以下でもない、期待以上でも以下でもない、心の中で思い描いた通りの、ただの花火だ。

 数えきれないほどの花々が夜空のキャンパスに描かれている間、僕の右手に、誰かの手が重ねられた。誰か、と思ったのは、白々しかったかもしれない。その場にいた知り合いは真白さんだけで、彼女は僕の右側に座っていたのだから。ちらと目をやると、彼女は僕の手の上にそっと左の手の平を置いていた。しかし、視線は花火を捉えて離さず、ずっと夜空を見上げていた。不思議な表情をしていた。嬉しい、ではなく、悲しい、でもなく、その反する二つの感情を混ぜ合わせたような複雑な表情だった。


「ずっと昔に、見た記憶があったの」


 真白さんは囁くように言った。


「朧気で、儚くて、気のせいだと思ってた。だから、本で調べたりもしたのだけれど、やっぱり、はっきりしなくて。でも、本当だった。気のせいじゃなかった」


 花火の轟音や人々の騒音で、彼女の言葉が僕の耳に届いていたのは、ほとんど奇跡だっただろう。彼女も、誰かに向けて話していたわけではないのかもしれない。しかし、彼女の透き通るような声は、確かに僕のもとへ届いていた。


「前に見た時は、お父さんとお母さんと一緒だった。二人に手を繋いでもらって、まだわたしは小さくて、人ごみの中がとても不安で、二人の手を強く握ると、二人は驚いてわたしを見て、微笑んで手を握り返してくれた」


 僕は花火から目を逸らして、隣に座る真白さんへ目を向けた。彼女は夜空を見上げたまま、涙を一筋こぼした。その涙は、夢で何度も見た彼女の涙と同じだった。彼女の滲んだ黒い瞳に花火が写った。その花火は、夜空に打ち上げられた花火よりも遥かに美しく、僕の心をうった。

 彼女は僕と視線を合わせて、寂しく微笑んだ。


「例え夢の中でも、もう一度見れてよかった」


 言葉の意味は分からなかった。僕はすっかり動揺していたからだ。クラスメイトと花火を見ていたら、その子が急に手を重ねて、泣き出し、随分と訳ありげな話を始めたならば、誰だって困惑するだろう。特に、何度も繰り返しているように、僕は他人との付き合いを可能な限り避けてきた人間だから、人への対応の引き出しが極端に少ないのだ。

 だから、結局、何もできなかった。何も言えなかった。フィナーレの瞬間まで、寂しげな笑顔を浮かべた彼女の横顔を眺めていることしかできなかった。

 最後の、特に大きな花が散り終わると、ごおんと天に響いた音が遠くへ去り、僅かな静寂が間を埋めた。しばらくすると、人々の歩き出す音と、会話を始める音の波が押し寄せ、花火の余韻も消えていった。

 真白さんは立ち上がり、伸びをして、僕を見下げて、いつもの明るい、太陽のような笑顔を浮かべた。


「綺麗だったね。いやぁ、花火って、いいね」


 僕は「そうだね」となんの面白みもない返事をした。真白さんが堤防を下りている間に、まだ温かい右手を動かし、握ったり開いたりと、意味のない動作を繰り替えした。いや、僕にとっては、きっと意味はあったのだ。自分自身にすら、上手く説明できないけれど。


「みんなと合流しよ。最後に写真を撮りたいな」


 彼女は、まだ堤防に座っていた僕を見上げて声をかけた。僕が「了解」と短く返事をすると、彼女は「あはは」と笑ってスマートフォンで電話をかけ始めた。僕は堤防を下り、電話をかけている彼女の後ろ姿を眺めた。

 花火が打ち上がっている間の彼女と、打ち終わった後の彼女は、身にまとう雰囲気が別人のようだった。普通の人ならば、少なくともクラスメイトの多くは、目の当たりにしていればその姿に困惑したことだろう。

 けれど、僕は彼女の相反する面をすんなりと受け入れることができた。それは、やはり、崩壊した世界に生きる、夢の中の彼女のおかげだろう。花火が打ち上がっている間の彼女は、崩壊した世界の彼女そのものだった。


「例え夢の中でも」


 僕は彼女の言葉を、声には出さずに呟いた。それが意味する事柄は、混乱を治めた僕にとって理解しがたいことではない。おおよそ、有り得ないことだけれど、突拍子もないことだけれど、予測が正しいであろうことを、僕は確信していた。

 けれど、僕は何も言わないことを選んだ。

 電話をかけ終えた彼女は振り返り、僕を見て微笑んだ。涙の跡も残っていない、いつもの真白さんの顔だった。


「みんな、ここへ来てくれるって」

「それはいい。楽できそうでよかったよ。もうくたくたで、歩きたくないんだ」

「あ、悪い子だ。悪い城くんが出たね」

「そうだよ。僕は悪い奴なんだ」

「わ~こわっ」


 僕達はお互い、同時に笑った。しばらくすると、人ごみの中から見覚えのある一団が僕達へ向かって近付いてくることに気付いた。僕はそれを心強く思うと同時に、少し残念にも思った。そんな自分の心の動きに、これはいよいよまずいのではないか、と、腕を上げて居場所を知らせる彼女の後ろ姿を見ながら思った。



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