畏れながらも、奴隷でございます 9
「そろそろ帰るか?」
連れ回してしまったあやめに声をかける。帰ればライヤが夕食を用意してくれている頃だろうか。苦手な人ごみに朝早くから連れ出したせいか、少し元気がないように見える。夕食を多めに摂らせ、少し長く湯浴みをさせるのがいいだろう。
「はい」
返事をしたあやめの足音が途切れる。ドサリ、と何かが落ちる音と、サラが振り返ったのは同時だった。
目を向けた先に人影はなく、その足元に小さな体が倒れている。布が取れて、綺麗な長い髪が露わになっていた。
「あやめ?!」
揺さぶっても返事がない。体は熱く、頬が真っ赤だ。顔が青白く見えていたのは店の照明のせいだったのか、と今更なことを思う。ぐったりした体を抱き上げて、裏路地を走った。
「何てことしてるんですか!!あんな小さな子にこんな格好をさせて、あまつさえ朝から?!食事も与えずに、日がな一日連れ回した?!町中をめぐって、歩き回らせたですって?!」
隣の部屋で、ライヤの怒る声がする。当然だろう、次に顔を合わせたら、頬を叩かれる気がする。あるいは暫く食事が抜かれるかもしれない。
「それにしても、珍しいですね。サラ様が誰かを連れ回すなんて。そんなに傍若無人だと、呆れられますよ」
「分かっている。頼むから、それ以上言ってくれるな」
ベッドに寝かされたあやめの顔色は、だいぶ良くなって見える。額に触れようと手を伸ばすと、その手首を叩き落とされる。
「ライヤ嬢に言いつけますよ?」
「お前まで、向こうの味方をするのか?ターリャ」
「どう考えてもサラ様が悪いでしょう」
鼻を鳴らして言い捨て、ターリャはあやめの額に触れる。
「熱は?」
「ありませんよ。呼吸も安定しているし、汗も引いています。目が覚めれば問題ないでしょう」
「⋯もし、目を覚まさなかったら?」
「サラ様の責任ですね」
にべもなく言い捨てるターリャに、心臓が嫌な音を立てる。もしあやめが目を覚まさなかったら。奴隷を死なせることは、この国では重罪に当たる。新しく制定された法律によれば、相当の極刑だ。
頭を抱えると同時に、ノックの音が響く。ジアが何やらターリャに話しかけ、入れ替わるようにしてライヤが入ってきた。
「すまなかった」
「私ではなく、あやめちゃんに謝ってください」
未だ目を覚まさないあやめを挟むようにして、ライヤが枕元の椅子に腰を下ろす。
「ターリャが言うには、日射病だそうです。暑い中、あんな重たい、暑苦しい格好で、夜明けから日暮れまで引き摺り回すからです。休憩なんて言ったって、お菓子とコーヒーじゃ大した栄養になりません」
「すまなかった」
部屋に沈黙が落ちる。寝室は薄暗く、夜の街が良く見える大窓から僅かに月明かりが差し込むばかりだった。
「そんなに、嬉しかったんですか?この子を連れて街に出て、日がな一日遊び惚けて」
「――そうだな。久しぶりに皇居を出られたし、あやめは初めて街に来たと言っていた」
「そうでしたか」
それ以上ライヤは何も言わなかった。不意に立ち上がり、粥を取ってくると言って部屋を出ていく。扉が閉まる直前に振り返り、彼女は『妙な真似をしないように』と鋭く言い残していった。
(言われずとも、病人相手に何もできるわけがない)
ひと月ぶりの外出に浮かれていたのは否定できない。街に来るのが初めてだと、あやめは言った。イチジク一つであんなにも目を輝かせて、彼女は楽しそうにしていた。それが嬉しかったからなどと、言い訳にもならないのだろうが。
「楽しませてやれたら、良かったんだが」
「――たのしかった、ですよ」
不意に声がして、その方を見る。薄く目を開けたあやめが、弱々しく笑った。