畏れながらも、奴隷でございます 20
後日。書斎でいつものように写本をしているところへ、サラ様が顔を覗かせる。珍しいことに、ジアさんも一緒だった。
「ジアが、あなたに聞きたいことがあるそうですよ」
「なんでしょうか」
歩み寄れば、金属の鎖を2本、差し出される。見覚えのあるそれは首輪に繋がれていたもの、引きちぎったあの鎖である。
「これをどうやって引きちぎったのですか?あなたにそのような力があるなら、ぜひ鍛錬に付き合っていただきたい」
詰め寄ってくるジアさんを、サラ様が引き剥がす色ボケ馬鹿主人、と呼ばれていたが、ある程度の分別はあるのだろうか。それとも、この国の人は興奮すると距離が近くなるのかもしれない。
「簡単ですよ。いくつかの条件が揃えば、誰にでもできることです」
引きちぎった箇所を見せる。塗装が少し剥げて、銀色が、その下に赤茶色が覗いている。
「この部分、元より錆びていたのを上から塗って誤魔化したものと思われます。二つの隙間をこうして合わせ、勢いよく力強く引けば、知恵の輪を壊すようにして、壊せるのです」
なるほど、とジアさんが頷く。錆びてもろい部分を指でなぞると、ざらりとした感触に伴い、鉄の色が指先に滲んだ。
「知恵の輪…とは?」
「イバに伝わる玩具です。複数の部品を、ただ一つの方法でのみバラバラに分けることができるのです」
サラ様が首を傾げる。手元にあった帳簿に絵を描きつけて見せると、子供のように目を輝かせた。10日くらいしたら、恐らくどこからか買い付けてきた知恵の輪を持ってくるに違いない——そう思った。
「ところで、あやめ」
「何でしょうか」
ジアさんがいなくなり、代わりにターリャさんが入ってくる。首の傷痕をいつ見られたのか、軟膏を塗ってくれることになったのだ。
「先日は助かりました。人質——ハナ嬢の件、ウルドからも感謝状が届きましたよ」
感謝状とは名ばかりの、人質受領証書のような紙を見せられる。確かに受領されたと、ウルドの紋章と共に彼女の本名が記されていた。
「それに際して、褒賞として一つ、提案があるのですが」
軟膏を渡されて、ターリャさんが離れる。あやめの前、窓の向こうの太陽を背にして、サラ様が立つ。
「私と、雇用契約を結びませんか?」
「雇用契約…ですか」
鷹揚に頷くサラ様。その懐から書状が取り出され、あやめの手に乗せられる。跪いたまま一礼し、それに目を通す。
「記してある通り、私の使用人として労働する、という契約書です。奴隷では報酬を支払えませんし、識字のある奴隷というのも異質すぎます。何より——」
黒い影が近づいて、顎を捕われる。背中から3人分ほどの殺気を感じた。
「あなたを、奴隷に留めておくには惜しい」
鼻先が触れそうな距離で、甘く低く、艶のある声が囁く。好きだな、と場違いなことを思う。そういえば、この人はどこか、見覚えのある顔立ちをしている気がする。誰に似ているのか。
「いかがですか?あやめ。契約内容に不満は?」
「ありません。仰せに従います」
契約内容にしても単純なもので、あやめが求めるに足りる報酬を支払い、生活と命を保障する。一方であやめは主人であるサラの求めに従い、それに仕える、という、何とも単純なものだった。
「では、こちらに署名を」
木でできたペンを差し出される。愛用しているものなのか、焚き込めた香と同じ香りがする。それを墨につけて、はっきりと『あやめ』と書き記した。サラ様が満足そうに頷いて、紙を取り上げる。
「では、頼みましたよ」
「畏まりました」
恭しく、もう一度頭を下げる。右の首筋で、ピアスが揺れた。
取り敢えず奴隷は一旦終了です