畏れながらも、奴隷でございます 15
「ハナ⋯――?」
扉が開かれ、患者がこちらを振り返る。その瞳が僅かに見開かれたのを、サラは見逃さなかった。その唇が動くより早く、あやめが何やら叫び、そちらへ駆け寄った。興奮した様子で、何やら言葉を言い交わしている。ハナ、という言葉が聞こえる。患者の名前だろうか。
落ち着いたところで、ターリャが歩み寄る。その背中に、そっと一歩近づいた。
「知り合いかい?」
「はい。ハナ――私の姉です」
どうやら身内であるらしい。それならば、話が早い。
「具合が悪い部分、痛みはないかい?」
ターリャの言葉をあやめがハナ嬢に伝え、ハナ嬢の言葉を聞く。それをターリャに、ラビヤ語で伝えなおす。
「痛みや不快感はないそうです。また、食欲がないのではなく、味や水が合わないのだろう、とのことです」
ターリャが何やら手元に書き留める。あやめとは似ても似つかない、黒い髪に黒い瞳、青白い肌。対するあやめは明るい色の髪に薄い色の瞳、少し焼けた肌。似ても似つかないが、どこか見覚えがあるような顔立ちをしている。
「個人的に、ですが。昔から体が弱いので、環境の変化に対応しきれず、具合が悪くなったのかと」
「なるほど。ところで、返す先はイバでいいのかい?」
ターリャの質問に、あやめがまた何やら話をする。
「はい。イバに返してもらえれば大丈夫です。母たちがいるので、国外に出た時点で、彼女から連絡を取るそうです」
「では、次の満月の夜、ウルドへ出す。よろしいですね?」
サラが口を挟むと、再び通訳が始まる。良い拾い物をしたと、我ながら思う。これは、手放す訳にはいかない。
「はい。大丈夫です。よろしくお願いします」
あやめの隣で、ハナ嬢が頭を下げる。ターリャと何やら相談した後で、あやめがハナ嬢を寝かしつける。眠ったのを見届けてからターリャに彼女を託し、あやめと連れ立って部屋を後にした。
「知り合いだとは思わなかった」
「私も、まさか身内だとは思いませんでした」
月を浴びて、あやめが苦笑する。すっかり夜になってしまった皇居は、風に揺れる木の葉の音さえもしないほど、静まり返っている。
部屋に戻りながら、中庭を回る。イチジクの木の枝が、小さく風に揺れた。
「我ながら、良い拾い物をした」
「そう仰っていただけて、何よりです」
小さな右手が、その耳に刺さったピアスに触れる。それを着けてから、随分と時間が経っている。だいぶ慣れてきた頃だろうか。
「あやめ」
小さく呼べば、返事が聞こえる。立ち止まって振り返り、その頬に手を伸ばす。指先が頬を掠め、髪を退けて、耳を月明かりに晒す。青白い光に照らされて、真っ赤なピアスが毒々しく光った。
「このピアスは俺の所有物である証。お前がこれを身に着けているのは、随分と気分がいい」
赤い石に赤い房飾り。
「これからも期待している。俺の奴隷として、存分な働きを見せてくれ」
「――もちろんでございます。サラ様の奴隷として、最善を尽くします」
最敬礼で答えるあやめ。
奴隷にとって、主人は絶対。行き場のないあやめに、これの他に生きる術など残されていない。縛り付けるのは本意ではないが、貴重な人材を他人に取られるくらいなら、こうして閉じ込めてしまうのが一番だろう。
「このピアスは、誰にも見せないように。ジアも、ライヤも、ターリャにも見せるな。いいか?」
「畏まりました。誰にも、見せません」
従順なあやめは、命じたことに背くことはない。
「誰に触れさせてもいけない。朝起きて身に付けるときは、俺の元に持ってくるように。夜寝る前、俺の前で外すように。いいな?」
「畏まりました」
恭しくお辞儀をするあやめ。聞こえる左耳を塞ぎ、顔を寄せる。硬直するのに苦笑しながら、額を突き合わせる。こうして見た目さえも武器にして、これを手元に置き続けようとするのは、随分と馬鹿げていると、自分でも思う。
「わかったな?」
「っ――わかり、ました」
「いい子だ」
そっと親指で、左目の目元をなぞる。耳の裏の窪みを、頬骨を、眉に残った、小さな傷跡に。首の大きな傷跡に指先を這わせると、擽ったそうに身を捩った。弾みでピアスが左手に触れる。それを手で弄び、髪で元通り隠した。
「誰に見せても、触れさせてもいけない。これを持つ限り、お前は俺のものだ。これはその証だ」
「⋯はい」
頷いたのを確かめて、身を引く。これ以上は、たとえ皇居内でなくとも、色々と問題になりそうな気がした。