畏れながらも、奴隷でございます 13
買い与えられたのは啓典と解説書、それからいくつかの書物だった。
「全て読む必要はありません。が、確実に頭に入れておいた方がいいのは啓典の最初の章。これだけでも暗唱できれば、一般教養としては満足です」
ラビヤ語で書かれたそれは、言語の読解の訓練にもなると思いきや、用いられている語彙や文法は日常的なものとしては高尚すぎるという。代わりに与えられたのは、子供用の読み物だった。
「動物を主体とした物語です。短いものが多いですから、読みやすいのではないかと」
「辞書はこれを使うといい。新しく買い入れたものだし、造語なんかも入っているから新聞を読むにも役に立つさ」
「私からはこれをあげるわね。書道に仕えるペン、手紙を書いたりするのに便利だから、一つ良いものがあれば、いずれ役に立つから」
サリムの教えはジアさんが、ラビヤ語の読み書きはターリャさんが、会話と文化などの基礎知識はライヤさんが教えてくれるという。サラ様はにこにこしながら、部屋の隅でこちらをじっと見ていた。
「サラ様は、何を教えてくださるのでしょうか」
「私はいわば試験官ですよ。奴隷であるあなたの力量を図るのが、それを使役する私の仕事です」
つまり、24時間366日試験期間、というわけだ。
「気負うことはないさ。大馬鹿色ボケ阿呆とはいえ、奴隷を捨てたりなんてしないさ」
ターリャさんがあっけらかんと笑う。
「写本途中で気になる単語があれば、辞書で調べるといいでしょう。体調も考慮して、当面はその仕事をお願いする予定です。写し終わったら好きなものを読んで構いません。部屋は私の書斎を、変わらず使ってください」
かくしてあやめは、勉強漬けの毎日を送ることになったのである。
とはいえ、勉強が嫌いなわけではない。むしろ、いつどこで役に立つとも分からないような、いわゆる無駄な知識を身に着けることは、あやめにとっては最高の娯楽であった。
(スーリーに来た時はどうなるかと思ったけど、悪くない。このままイバに帰れなくてもいいかもしれない)
スーリー皇国の歴史書を読みながら、ふとそんなことを思う。遥か昔から豊かな土壌と交易の中心地として栄えたこの地は、古くからサリムの教えが伝統的に守られている場所である。いやな言い方をすれば、未だに男尊女卑が蔓延る世界ともいえる。
ある時代を境に絶対王制が敷かれるようになってから、随分と時間が経っている。革命に失敗した民衆は戦々恐々とした日々を送っていたが、ある時現れた善良な皇帝が君臨して以来、治世は劇的に改善された。戦闘で破壊された街は見違えるほどに再建され、皇族に対する信頼も復活した。一方で、彼は諸外国から疎まれ続けたため国交断絶の道を選び――スーリー皇国そのものが、諸外国から排除されているともいえるが――皇居の周辺に人民を集め、点在するオアシスには皇族直属の軍を置くようになった。そのせいもあって現在のスーリーは、砂漠の真ん中に位置する皇居と周辺の街、それを囲むように点在するオアシスの3つで構成される、何とも奇妙な、そして世にも珍しい皇国として成立している。
オアシスが点在するのは、スーリーに限ったことではない。大きな道がないだけで、周辺の諸国にもオアシスはあるし、スーリー皇軍の姿さえなければ、どの国のオアシスなのか判断することはほぼ不可能である。加えて皇国は民間の交易を抑制していない。完全なる自給自足が可能なわけはなく、食料やその他物品を諸外国から手に入れる必要がある。そのためには民間の交易が重要なのだ。
人や物が国境を超えることは公式には認められていない。ただ、皇国が存続するために、見逃されているだけだった。
それに肖ったとでも言うべきだろうか。あやめのように、遠い海を越えてこの国に足を踏み入れるものも、稀とはいえ不可能ではないのだった。
「あやめ」
かけられた声に振り返る。部屋の入り口にはサラ様と、険しい顔つきのターリャさんが立っていた。
「少し、頼みごとがあるのですが」