馬頭(メズ)7
そこは見事な紅葉が見えるどこかの山中。
燃えるような美しい自然の中で、何故か自分の体が宙に舞っていた。
――ボチャン
夜叉に投げ捨てられた先は、なんと水だった。
「ひぃぃ!!!」
冷たい!!
急激な冷感に体温が奪われて、心臓がびくりと跳ねる。
慌てて顔を上げて周りを見ると、そこはちょうど胸が出るくらいの深さの湖だった。
足が着いたので、ひとまず溺れる心配は無いけれど。
まだ日中の暑さは残るとはいえ、今は秋。
水温は普通に冷たくて、全身にぶわりと鳥肌が立った。
「い、いきなり何するのよ!!」
いくら私が臭くて気に入らなくても、こんなのはあんまりだ。
思い切り睨みつけると、夜叉は私を見て複雑な顔をした。
「……やっぱり……かよ……」
「え……?」
その妙な反応に、嫌な感じがした。
あ……れ…………
…………水の色が……黒い……?
透明度の高い綺麗な湖なのに、私の周りの水だけ黒色になっている。
「お前…………牛頭に呪われてるよ。
早く帰らないと、帰れなくなる」
「え……?」
すると、湖の縁に立っていた夜叉の身体がグラりと弛んだ。
「うあ!」
――バシャン
大きな水音を立てて、やや遠くまでダイブした夜叉の真後ろから現れたのは、長身細身のシルエット。
あ……………………
その姿を見ただけで、ざわりと背筋を撫でられたような感じがした。
急いで家を飛び出してきたのだろうか、下は今朝見たスラックスだけど、上はワイシャツのみ。
「やぁ、夜叉。
馬頭の飼い犬は、随分と躾が悪いね……
沙羅の体に勝手に触れたり、湖に落としたり、とんでもない悪さをしたようだけど…………僕の沙羅って知ってての了見なのかな?」
「っ!!」
口調は穏やかなのに、纏う雰囲気が真っ黒で恐ろしい。
分からない…………彼が、何者なのか……
……人外の…………
「牛頭……」
その名前が、勝手に口から零れ落ちていた。
「ああ、沙羅。
可哀想に、夜叉にいじめられたんだね。
もう大丈夫だよ、僕と一緒に帰ろう?」
私に向かって、包帯で巻かれた手を差し出した。
……皮膚、溶けてるのに。
その口調は、一切私を咎めることは無い。
私が御神酒を掛けたその両腕は、包帯でグルグルに巻かれているのに。
飛沫が飛んだのだろうか、首にまで包帯を巻いている。
なんで…………怒らないの?
まるでその事を気にしない素振りの牛頭に、後味の悪い罪悪感だけが込み上げる。
「……ちっ、馬鹿。
あいつは、お前を」
「夜叉」
その言葉を遮るように、夜叉に鋭い瞳を向けて牛頭は言う。
「分からないなら、分かるまで教えないといけないかな。
…………君の、末路の話だよ」
ひっ、と夜叉は息を飲んだ。
「もう、送り届けたってことで、俺はもう帰るからな」
バシャバシャと音を立てて、そそくさと湖から上がってきた。
「ああ、夜叉、馬頭に伝えて欲しいことがあるんだよ」
湖から上がった夜叉の肩を掴んで、耳元で何かを囁いている。
その瞬間。
「っ!!」
夜叉の顔が強張った。
「……ふふ、よろしく頼むよ」
水に濡れた青髪から覗くのは、怯えの色。
ふらりとよろけた後、地面を蹴ってまたとんでもない跳躍をして消えていった。




