牛頭(ゴズ)1
ん………………
再び、意識を取り戻した時、桃色の煌めきが目に映った。
ああ……蝶々だ。
室内に桃色に光る蝶が数匹、優雅に飛んでいる。
室内に蝶が飛んでいる現象に、もう驚きはない。
ただただ綺麗だなと思って、その羽ばたきをぼーっと眺めていた。
心無しか見ていると癒されて、気分が良くなるような気がする。
頭がすっとして、心が軽くなるような、そんな爽快感さえある。
私の周りを飛び回ったあと、桃色の蝶々は飛び立っていった。
ふう………………
心が落ち着いて、冷静になる。
障子窓から差す日は高くなっていた。
男の布団は畳まれて、横に置いてある。
幸い、男の姿は無かった。
なぜ、こんな事になってしまったのだろうか。
この世界の食べ物を、口移しで食べさせられてしまった。
それだけでなく、寝ている間に襲われていた。
これが現代社会だったら、完全に犯罪行為だ。
絶対に許せるものでは無い。
それにあの男、私の名前を呼んでいた。
多分、鞄を漁って生徒手帳でも見たのだろう。
あの優しそうな雰囲気に、すっかり騙されていた。
今でも、寝ている間に起こった出来事が、事実なのかは分からない。
――しかし、こんな都市伝説の世界でも、ちゃんと朝が来るなんて……
タブーはひとつ踏んでしまったけれど、まだダメだと決まったわけじゃない。
煙を出せば帰れるっていうのもデマだったし、まだ方法はあるはずだ。
早くこの家を出て、元の世界に戻る方法を考えよう。
あいつが戻ってくる前に、着替えないと。
ポールハンガーに目をやると、そこに制服はなかった。
え……制服が、ない。
今着ているのは、シャツワンピース状態のパジャマの上だけだ。
そういえば、さっきまで開いていた前ボタンが、今は全部止まっている。
あんまり想像したくないけど…………あの男の仕業だろう。
しかし、さすがにこの服装では外に出られない。
何か、着るものを探さないと。
その時、黒檀の箪笥に目が留まった。
この中に、何か入ってないかな。
黒檀の箪笥に近づき、その引き出しに手をかけた時だった。
「着るものを探してるの?」
「ひっ!!」
真後ろから、声が降ってきた。
全身が総毛立ち、怖々と後ろを振り向く。
濡羽色の真っ直ぐな長髪、透き通った瞳と目が合った。
心臓がドクンと跳ねる。
長髪の男はまたしても真後ろに立ち、私を見下ろしていた。
関係を持ってしまった男性だと、今更ながら意識してしまう。
「わ、私の制服、返して!」
「ああ、あれは今クリーニングに出してるから、まだ戻ってこないと思うよ」
「クリーニング!?」
この世界にクリーニング業があったことに驚きだ。
「昨日駅のホームで座りこんでたでしょ?
それで制服が少し汚れていてね。
戻ってくるのは5日後くらいかな」
「5日もここにいません!
帰りますから!」
それを気にも留めない様子で、男は指を伸ばし私の寝癖を直していく。
「やめて!触らないで!」
男の手を振り払って、一歩下がろうとした。
しかし、背後の箪笥に背を預けるだけになり、かえって追い詰められている。
「ふふ、三つ編みもいいけど、下ろしているのも可愛いね」
長髪の男は、黒檀の箪笥に片手を付いた。
壁ドンならぬ箪笥ドンのせいで、息がかかるほどに距離が近い。
すごく綺麗な顔をしているので、恥ずかしくて直視できない。
「帰さないよ。
今日から僕と一緒にここで暮らすんだ」
淡い色の瞳に視線を絡め取られて、息が出来なくなる。
私の頬を、細長い指でさらりと撫でた。
「い…や……です」
嫌なのに、心臓が跳ねる。
これで、ドキドキしない方が無理だ。
動揺する胸を押さえながら、これ以上触られないように身を引っ込める。
「ああそうだ、まだ名前を言っていなかったね。
僕は牛頭。
昔からかたすに住んでいる住民だよ。
この家はとても安全だから、安心して僕と一緒に暮らそうね」
にこっと笑う男は、私の頭を優しく撫でた。
「無理っ!」
なんだか、厄介な人に目をつけられてしまったようだ。




