第4節 その2 怪物の恐怖
「バキバキッ、・・・・・・ムシャムシャ・・・・・・ペッ、ボトッ」
凄く耳触りで不愉快な音だ。
最悪の結果を予想させる。
吐きだした黒い螺旋上の腕輪は血にまみれている。
マテリアは、血の気が引いているのか、真っ青な顔をして震えて動かない。
いや、マテリアだけじゃない。
僕だって、全く動けない。
怖くて仕方ない。
そして、下にいる分身は気丈にも、小さなナイフで、目の前のその怪物に一人で対峙する。
ぬるぬるとした体は鱗に覆われていて、首のところには大きな尖ったヒレがある。
手と足には指の間に水かきがついた、魚のような顔をして鋭い牙をむく化け物。
まさに半魚人。
分身は立ち向かう。
ナイフをその怪物の心臓に突き立てようと片手を束に添え、両腕と全体重を載せ勢い良く突っ込む。
怪物の心臓のあたりに突き刺さるナイフ、しかし怪物は大きな手を旋回させ、平手打ちのように分身に叩きこむ。
バキッという嫌な音がした。
分身の首の骨は人間には曲げられない角度に傾いている。
そして、体の力が抜けたのか、膝から崩れ落ちる。
見ていられない。
「アンサモンセルフ!」
僕はとっさに分身を指輪に呼び戻した。
そして、すぐさまマテリアに、
「駄目だ、勝てないあんなの、殺される。
逃げよう!!!!!」
振り向いたその目の前には怯えたマテリアがいる。
そして、その直ぐ向こうには、もう1体の半魚人がこちらを見下ろしている・・・・・・・。
「うぁあああああああああ!!!!」
僕は叫んでしまう。
マテリアは僕の視線の先に気付いたのか、後ろを振り向く。
「きゃあああああああああああ!!!!」
マテリアの悲鳴が続く。
「サモンセルフ!」
しかし、分身は現れない。
「サモンセルフ!サモンセルフ!サモンセルフ!」
何度も懸命に呼び掛けるが、分身は出てこない。
混乱した僕の目の前で、怪物がマテリアに襲いかかる。
僕はナイフを手に取るが、間に合ない。
(何をやっているんだ僕は、もう駄目だ。
ちくしょう!!!!)
ナイフを半魚人に向かって投げる。
しかし、そのぬるぬるとする鱗に滑ったのか、それとも弾かれたのか、ナイフはずり落ちる。
分身の攻撃にすら劣る。
全く意味がない。
「うおおおおお!!!!」
僕は、怪物の下半身に向かって飛びかかる。
しかし、半魚人の歩みは止まらない。
かろうじて、マテリアに対する攻撃は止められたが、その攻撃は、そのまま自分に襲ってくる。
怪物の打撃が僕の肩に振り下ろされる。
まるで鍛冶屋のハンマーを使って、フルスイングで殴られたような強烈な打撃だ。
肩の骨が砕ける。
「ああああああああああああああああああああああ」
痛い。
これまで感じたどんな痛みより痛い。
息ができない。
頭を殴られていないのに脳震盪までする。
吐き気がする。
「コースケーっ!!!!」
マテリアが叫ぶ。
(自分に危機がせまっているんだ。
逃げろ。
逃げてくれ。
君が死んでしまったら、僕が伯爵に殺される。
どの道このまま殺されるだろうが、それだけは嫌だ、そんな風に思ってしまった)
怪物は動けなくなった僕に興味を失くしたのか、またマテリアに襲いかかる。
マテリアの胸元に、水かきのついた汚い手がまさに届こうとした時、マテリアのペンダントの大きな宝石が光り、中から物凄いスピードでパンチが飛び出してきた。
その拳は怪物の頭を吹き飛ばし、そのまま弧を描いたかと思うと、ペンダントの中に消えて行った。
「マテリア。大丈夫か???」
僕は自分も意識を失いそうになりながらも、マテリアに駆け寄ると倒れそうになる彼女を負傷していない方の腕でなんとか抱き上げた。
ペンダントから声が聞こえる。
「貴様、分身の使い方も、サハギンとの戦いの対策も、何もしないで、マテリアをそこへ連れて行ったのか?このペンダントを通して助けられるのは1回だけだ。
マテリアに何かあったらゆるさんぞ!だいたい・・・・・・・」
伯爵の怒声が聞こえたが、遠隔魔法の一種だろうが、持続効果がないのか、途中で切れてしまった。
とにかく助かった。
サハギン。
堅い鱗で覆われた怪力の半魚人ということだけは分った。
弱点は何だろうか?
この目の前のサハギンはもう死んでいる。
頭が吹っ飛ばせればそれは倒せるだろうが、これは弱点なんかではないだろう。
伯爵の力技だ。
僕には出来ない。
そして、もう一匹のサハギンが目の前の穴の下にいる。
あそこからここまでどれ位であいつが来られるのかは分らないが、間違いなく道は繋がっているだろう。
そして、さっきまでそこにいたあいつが、《今下にいない》ということは、おそらくこちらへ向かっている。
他にサハギンの気配はないが、少なくともあいつはこっちにもうすぐやって来る。
逃げるか、それとも戦うか?
(どうする?ここにいてもやられる。
あいつの弱点ってなんだ。)
そんなことを考えながら、倒れたサハギンを眺めると首のあたりにエラのような場所があり、そこだけ他の場所と違い肉が見えている、試しに先ほど外したナイフを思い切って刺してみた。
ナイフは奥深くまで刺さる。
そもそも分身がやったように魚類の心臓なんて人間と同じ場所にあるかなんて分りはしない。
しかし、エラならば、ナイフが抜けなくなることもない。
(もうこれしかない。
この状態のマテリアを連れても逃げ切れないだろう。
戦うしかない。
そして、これは無謀じゃない。
勝てる望みはきっとある!)
僕はマテリアを抱き上げ、下の穴に飛び込んだ。
そして、奥の方に行き出来る限り時間をかせぐ。
この時間が再度分身を呼べる時間になるかどうかは分らない。
しかし、この作戦を成功させるには、分身がいた方が確実だ。
僕は死体の山の上を、マテリアを抱いた状態で駆け抜けた。
左肩は間違いなく骨折していて動かない。
そして、ズキズキと痛む。
何とか最深部と思われるつきあたりまで来た時、腐臭と汚れで吐きそうになる。
しかし、そこには大きな青白い宝石があった。
間違いなくオリジナルの《アクアマリン》だろう。
美しい光をみていると気持ちだけは洗われる。
片腕で抱き上げていたマテリアを出来るだけきれいな床に寝かせ、その手にナイフを持つ。
もう最初の召喚から10分は経ったのではないか。
そう思った時、落ちてきた穴の上から怪物の雄たけびが聞こえてくる。
「キュエエエエエエエエッ!!!」
あの声。
・・・・・・人間じゃない。
そして、やつは予想通りさっきまで僕らがいた場所に行った。
もしあのままあそこにいたら、今頃どうなっていたか。
出来る限り静かにするが、あいつには臭いなのか、音なのか、僕たちの何かの残滓を辿り確実にこちらに近づいてくる。
ドシャッっと音がして、サハギンは下に降りてきた。
おそらくやつが此処に来るまで残り1分も無いだろう。
「サモンセルフ!」
しかし、分身は現れない。
(10分以上たっているはずだ。
なんでだ。
30分なのか?もしかして1日必要なのか?
こうなったら、一人で戦うしかない。
一瞬でもやつの気をそらし、その隙に、あいつの汚いエラにこのナイフをぶち込み、一気に、えぐり込んでやる。
落ち着け、スピードなら、スピードなら、僕の方が早い。
落ち着けばそれほど早い奴ではない。
恐怖が自分を弱くしているんだ。)
「キュエエエエエエエエッ!!!」
同族の死体を見て怒り狂っているのかもしれない。
サハギンは物凄い声を上げて襲ってきた。
近くに有った骨を投げる。
しかし、見向きもしない。
(くそっ、こんなんじゃダメだ。
ちくしょう!!!)
覚悟を決めて、ナイフを構える。
片手でも十分だ。
やってやる。
マテリアから遠ざけるため、こっちから向かっていく。
そして、ナイフを突き立てようとする。
驚いたことに、サハギンは滑り込んでくる。
まるで水に飛び込むかのように両手を突き伸ばして。
僕はその予想外の動作とスピードについていけず、足を取られた。




