03
木々の隙間を縫うように現れたのは、赤と黒の斑毛をした狼だ。馬のような鬣が、二本に枝分かれした尾まで一直線に生えているのが特徴的。加えて、鼻をつまみたくなる激臭は、狼の体臭と、口から漏れる息から放たれている。
「グルゥアメルァ……」
濁った赤い目は怪しく光、飢えた野犬の如く舌からは涎を垂らし、ジリジリと近づいてくる。ユキトとミシェルは大きい岩を背にくっつけ背後を守ることにした。
「さあ、お手並み拝見といこうかね」と、臆している幸人を背にヤンは構える。滑らかに、まるで軟体生物を模した様な動きに幸人は蛇を見た気がした。映画や、格闘技でよく見かける構えに限りなく似ている。
「──蛇拳に似ている」
「お、よく知ってるじゃねぇか。激流を制するは静水。柔能く剛を制す。少林寺は、総ての集大成なんだよ」
まるで隙の無い構え。幸人は、生唾を飲み込み、ただただ一目置いていた。格闘技のプロはここまで迫力があるのだと。
「グル……グルウァ」
しかし狼は、ヤンの構えなんて警戒するに足らないのだろう。段々と数を増し、気が付けば二十体程が扇状に四人を取り囲む。
「お前らは、毒で殺される恐怖をしらぬのだろうな?」
蛇の形を取った手の爪は、鋭利な刃物──いや、この場合は牙と言うのが正しいだろう。文字通り、ヤンの爪は牙と化す。
一方、歩と言えば軽快に飛び跳ね、ラフな構えをしている。さながら、陸上選手がリラックスさせるためにとる行動とも言えるものだ。
「ふうん。ヤンのおっちゃんは、蛇……なんだね?」
「おっちゃん言うなよ。まだ、三十二歳だ」
「私は十七歳だから、オッチャンだね。へっへっへー」
緊張感が無い二人の会話は、参加をしていない幸人がハラハラとしてしまう。
なぜ、同い年の歩やヤンは笑顔でいられるのだろうか、と強ばった自分の頬を擦りながら幸人は思っていた。
「グルゥアメルァ!!」
痺れを切らしたのか、狼一体が歩の首に飛びかかる。時間にして、五秒と経ってはいないだろう。それだけで、この狼達の身体能力の高さが見て取れた。
それもそのはず、幸人が歩の名前を叫んだ時、既に歩の首に狼が食らいついていたのだ。
「おい……嘘だろ? なんだよ……なんなんだよぉお!! 理不尽過ぎるだろ……俺達はまだ、何も知らねぇんだぞ!!」
全てが遅れてやってくる出来事に、気持ちは追いつかずに錯乱状態になる寸前。幸人の視界は歪み、過呼吸に陥った。
込み上げる感情に、憤怒は無い。色濃く滲み出るのは、絶望・恐怖・畏怖。たった一瞬の出来事で幸人の心は壊れかけている。
「ユキト兄ちゃん、大丈夫……です、か?」
ミシェルの、勇気を振り絞ったであろう、震えた声すら届かない。
──そんな時だった。首元に噛み付いた狼が、飛び跳ねて距離をとったのだ。
「グルゥア」
幸人は、定まらない視野のまま目で追い、ある事に気がついた。
「牙が……欠けて? それに、口からは血が垂れて」
「んー、凄い。ぜんっっぜん痛くないや」
立ったまま絶命したと思っていた歩は、平然としていた。そして、徐ろに首に刺さった牙を抜き取る。歩の姿が日に照らされた時、鋭利な鱗状に肌が煌めいていた。
「私は、鉄壁を手に入れてるのよ。穿山甲の力、見くびるんじゃないわよ! とか言ってみたり? ニッシッシ」
『──穿山甲とは、四足歩行で歩く哺乳類である。形はアリクイに似ているが、最も特徴的なのは、体を覆い尽くす密集した硬い鱗、と言える。彼等は身を守る習性として体を丸るめるのだ。その力は、尋常ではなく、他者の力では容易に体制を崩させる事はでき無い。更には、人の大きさともなれば耐久性は群を抜いている。だが、一番の武器は露出された鋭利な鱗を持った尻尾から繰り出される重たい一撃と言っても過言ではない』
「──それに、こんな芸当だってできちゃうんだから」
歩は自分の身体能力を生かし、軽やかな身のこなしで側転を行った。走るよりも早いスピードと遠心力を使い、自分の足を尻尾の様に振り回す。
けたましい音と共に、踵を使い狼の脳天を地面に叩きつけた。
頭蓋骨の粉砕音よりも、固い地面が陥没する程の破壊音が大地を揺らしながら響く。
湧き水のように、顔面が埋もれた場所からは遅れて血が溢れ出した。
──速光の必殺である。
ならば、と、狼は数体でヤンに飛びかかった。
「そんなスキだらけ、普通の人間でも対処ができるだろ」
ヤンは、紙一重でヒラリと交わしてゆく。決して素人ができる体制ではない、位置から繰り出される目潰し。十センチ程に伸びた爪は、容赦なく一匹の目玉を抉った。
「すげぇよ……二人共……それに──どうなってんだよ」
目を抉られた狼は、のたうち回るのではなく、小刻みに痙攣し数秒後には動かなくなった。
たった一撃でヤンも仕留めたのだ。
「俺の得た一匹の力は──内陸タイパン。最凶の毒蛇さ」
『──内陸タイパン。
コブラ科であり、マムシの八百倍もの毒を持っている。キングコブラと違うのは、その凶暴さであるだろう。キングコブラは、体調が長く動きも遅い。そもそも、蛇と言うのは獰猛なイメージがあるが、実は臆病だったりもする。要するに、人間から手を出さなければ余裕で逃げれる物が多いいのではないのだろうか。
しかし、タイパンは襲う事そのものが本能の如く、見境なく襲うのだ』
二人が、無双を欲しいがままにし、圧倒的な力で狼を完膚無きまでに殺している中、木々の中が微かにざわめいた。
「──あいつらは、人間か?」
「人間には、あんな鱗を持った奴はいないだろ。半魔か何かだろ。こりゃ、一刻も早く前線に報告しなくては……」
二人が感じたのは、人間の力を逸脱した二人に対しての恐怖。魔族よりも、人の世界を奈落へと落しかねないと本能が悟ったのだ。
額や背中は、汗でビッシリと濡れる。距離にして、二十メータは離れている。だが、二人の殺意は距離を関係なしに、リベルとグランの足首にまとわり絡みつく。心臓を鷲掴みにされた感覚を二人が覚えた時、脳裏を掠めたのは死に対する恐怖よりも、国に対する忠義だった。
「そうだな。俺達は今、勇者様の元、魔族を滅ぼせる力を手にしている。新たな勢力の芽は摘む必要がある。リベル、此処は潜伏を使い、一旦退くぞ」
「了解だ、グラン。ヘルウルフの見張りをして、とんだ収穫だぜ。──潜伏」