二 思案考察
後から聞いた話だが、結局、芳川幸一は殺されたのだという。それもホテルの自室で。犯人は特定出来なかったが、おそらくKだろうとの事だった。現場に報復を思わせる手紙が残されていたからだ。
その話を阿井から電話で聞いた時、優子は大目玉を喰らうものと覚悟した。自分のミスで――あの時、Kをし損じた事で、芳川が死んだのだと。
しかし、阿井の反応は思いの外素っ気なかった。
『奴を殺せとは言ってはいない。それに優子、私の――君の任務は、芳川幸一を“無事にホテルまで移送させる事”だ。それ以外は管轄外だ。その後何があったとしても、我々の知った事では無い。任務御苦労……よくやった』
優子はその時、Kから感じたものとは違う恐怖を覚えた。恐怖というより、全く未知のものと対峙するような本能的な怖れだった。
昨日の一件から、優子は何も手付かずになっていた。さらに今日は土曜日で学校も無かったので、ますます気が滅入る。ただでさえ休みの日には何をすれば良いのかが解らないというのに。優子が意味も無くベッドの上で暇を潰していた時、携帯電話が鳴った。阿井からだった。こんな時に任務だなんて…憂鬱になる。そう思いつつも、優子は電話に出た。
『優子、新しい任務だ。川島を向かわせた。詳しいことは川島から聞いてくれ。まぁ今回は、任務と言っても、危険は無いから武装はしなくてもいい…』
優子が何も言わず黙っていると、沈んだ空気を察したのだろう、阿井は話題を変えた。
『…あ~、そうそう、君の言っていた、奴の…Kの不思議な力だが――』
「何か解ったの?」いつもよりも弱々しい口調で優子は答える。
『ああ、Kも君と同じく、何等かの能力を使えるようだ』
「能力?精神波能力の事?」
『考えてもみろ。寸分の隙も無く、Kはお前の視界から消えたのだ。これが精神波能力でなければ何だというのだ?』阿井の口調は変わらなかった。いつも通り坦々としている。
「成程、確かに。で、Kの能力は?」
『ああ、おそらくは空間制御系β±型能力、空間移動の類だと考えられる。可能性は低いが、遠隔操作系γ+型能力、写し身の線もあるが――まぁ、十中八九空間制御系だろう。これなら君の体感した事象も、芳川殺しの不可解さも全て解決する』
「不可解さ…?」と言いながら、優子はベッドから降りて着替え始めた。
『ああ、君にはまだ話していなかったな。芳川は密室状態で殺害された。それも完全な密室で、だ。殺害に使用された弾薬は4.6mmx30弾。つまり――』
「MP7が使用された……と」
あの時、Kも持っていた――優子は確信する。これは偶然ではない。芳川は確実にKによって殺害されたのだと。
『おそらく、そうだろう。他の可能性も無い訳ではないが…まぁ、それは現場を見れば解る。調度いい、川島が来る前に少し任務の話をしておこう』
「任務の? それが何か関係でも?」
『ああ、今回の任務は芳川幸一の殺害現場の現場検証に立ち会うことだ』
「立ち会い、ね…で、結局私は何をすれば良いのかしら?」
『何も。ただ見てくればいい。これは私からの依頼ではい』
「外部からの?」優子は少し躊躇った。阿井以外からの依頼は、優子にとって初めての事だった。
『そうだ。国家公安委員会から直々の御指名だ。置き手紙以外の証拠を掴めないでいるらしい。彼らの要望を言うなら“プロの視点から見た、殺害状況の分析と解析、及びそれらに対する君の見解が欲しい”と言ったところだ。その他詳細は、川島に聞くなり書類を見るなりしてくれ』
そう言って阿井は、優子の返答を聞く前に電話を切った。いつもこうだ。優子は溜息を吐いた。一度だって私の返事聞こうとしないんだから。
しばらくして、川島が黒のセダンで迎えに来た。川島は後部座席に乗れ、と顎で催促する。しかし優子は、あえて助手席に乗り込んだ。
「チッ、その足元に置いてあるアタッシェケースに書類が入っている。此処から目的地まで約十分。それまでに目を通しておけ」そう言って川島は車を出した。
「…何故後に乗らなかった?」
川島は優子が書類を読み終えるのを見計らって言った。
「あら、良いじゃないの」と優子はアタッシェケースに書類を入れながら言った。「隣にこんな美少女が座ってるのよ?役得じゃない」
「バカ言ってんな、この車は俺の私物で――防弾措置が全く施されてねぇんだ。だからフロントから顔が判断できる助手席に座らせるのは、気が進まねぇぜ」
川島の車はフロント以外の窓は黒色処理が施されている。だから後部座席だと姿が識別できなくなるのだ。
「へぇ、意外ね。貴方が私の心配をしてくれるなんて。まさか、惚れてたとか?」と優子は川島をからかった。
「阿呆か。お前みたいなおチビにゃあ、例え素っ裸で座ってようがぴくりともこねぇよ。ま、熟女なら話は別だがな」
川島の言う通り、優子は年齢の割に背が低かった。
「やっぱり、背が低いとダメなのかな。私、胸は結構あるんだけどなぁ……どお? 触ってみる? 川島さんなら別に良いわよ?」と言って、優子は自分の胸を持ち上げた。まだ幼さが残るその顔には些か不釣り合いな大きさだった。
「何言ってんだお前は」川島の目は冷ややかだった。
「フフッ、冗談よ。ほら、私って結構童顔でしょ?童顔に巨乳って、中々レアものじゃない?どうでも良いけど。背が低いのも、胸が大きいのも、私にとっては邪魔だわ」と言って、優子は細く笑った。
「……何があったか知らねぇが、お前は今でも十分一流じゃねぇか」と川島は溜息混じりに言った。「俺は、お前と違って三流だからな。こんなパシリ以外に仕事がねぇのよ。そのパシリもお前が死んじまったらしまいだ。宗一郎様は、お前のお守り以外、何でも自分でやっちまうからな。そうなったら俺はお払い箱さ」
優子はそう言った川島の横顔を眺めていた。その、何時に無く寂しそうな横顔を。
「……さ、お喋りはこれまでだ。もうすぐ到着する。気ぃ引き締めな」
「解ったわ」そう言って優子は窓から空を見た。こんなに誰かと喋ったのはいつ以来かしら?もしかしたら初めてかもしれない。
薄暗い曇り。雨は降りそうになかった。
殺害から一晩経った今でも、現場は慌ただしかった。優子は、制服の警官が大勢いる中、自分が何とも場違いな人間だなと思った。完全に浮いている。視線が痛い。本当に中に入れるのだろうか?
しかし、そんな心配をよそに、川島が現場主任に挨拶すると、何ともすんなりホテルに入る事が出来た。
「川島さんって、実は凄い人なの?」と優子は、殺害現場へ向かうエレベータ内で川島に聞いた。
「俺がじゃねぇよ。宗一郎様が凄いのさ」と言って川島は、咥えた煙草に火を点けようとして、そういやホテルは禁煙だったな、と思い出して煙草を戻した。「ま、俺も凄いにゃ違いねぇんだろうがな。これでも一応、内閣官房勤務だからよ」
「う~ん。私には、それが凄いのかどうか、ちょっと解らないわね」
「心配するな。俺も、だ」と言って川島は笑った。
「なによそれ~」そう言って優子も釣られて笑った。
穴だらけだ…
優子が、芳川幸一の暗殺現場を見た第一印象だった。暗殺――と言うには些か無理がある光景。一面、弾痕だらけだった。軽く数百発分はあるだろう。見れば解る。まさに阿井の言う通りだった。
「凄いわね……」と優子は言った。「部屋一面穴だらけだわ……」
「ああ、全くだ」川島も呆れたように言う。「ここまでぶち込まれて、護衛の誰一人気付かねぇとは――だらしねぇというか、流石というか」
「で、これを見て――何をどう分析しろっていうの?」
「そうさな、例えば、何故此処までぶっ放しまくったのは何故か? とかだな。素人目に見てもこの“殺り方”は異常だ。心理的なもんなのか、それとも何か意味があるのか」
「まぁ『みせしめ』の為でしょうね」
「ほぉう?」と言って、川島は手帳を取り出した。「何故そう思う?」
「だってそうでしょ? Kはソコロフ・ファミリーの殺し屋よ。芳川が何を仕出かしたかは知らないけど、何にしろファミリーの怒りを買ったのには違いないわ」
「ふむ…それで?」と川島はメモを録りながら、先を話すよう促した。
「だから『みせしめ』なのよ。盾突くものは芳川のようになるぞ、ってね」
「しっかし、何で警察は気付かねぇのかね。お前にゃ悪いが、少し考えりゃ解りそうな事じゃねぇか」
「その事何だけど…どうやら警察には、芳川がソコロフ一家に狙われていた、と言う情報が届いてないみたいなの。さっき、外の警官達が話してたわ。芳川大臣官房は何で殺されたのか?ってね。多分、情報が規制されているのよ」
「成る程な。んじゃ、今の話は無しだ」そう言って川島は手帳を閉じた。「情報が規制されてんなら意味がねぇ。さ、次行くぞ」
「え、次って?」
「監視カメラん映像を見に行くか、ホトケさん拝み行くか、どっちだ」
「ああ、それなら…」
優子は監視カメラの映像を見に行く事にした。死体は、見なくとも大体察しはつく。きっと穴だらけだろう。それに、昼食前に死体なんか見たくなかった。
警備室には警備員ではなく警官が二人いただけだった。川島が軽く挨拶すると、二人の警官は無言で部屋を出た。
「芳川がホテルに入ってから、本人と接触した人物は二三名いる。内一一名は護衛。次にやつの部下、これが九名。んで最後にルームサービスを届けに来たボーイが三名だ。お前には、この二三名の中に“K”がいるかってのを確認してもらいてぇっつー訳だ」
そう言って、川島はモニタのボタンを操作した。
「まぁ、いねぇだろうがな。一応だ」
モニタに映像が再生される。監視カメラなので画像は粗い。始めの映像は護衛の二人が交代を報告するために。次の映像はボーイがルームサービスを持って来るのが映っている。次々に流れる映像。しかし、いずれもKではなかった。三回再生したが何も手懸かりは無かった。そして、四回目の再生ももう終わろうとしている。
だが、川島が帰り支度を始めた時、優子が何かに気付いた。最後に来たボーイの背中に何かが付着している。
「ちょっと止めて」と優子が川島に言った。「ねぇ、これ何だと思う?何かが付着しているみたいだけど」
「どれどれ」と川島は、優子が指差す場所を見た。「ん~? ……何だこれは――ステッカー?」
「やっぱりそう見えるわよね?」
「このホテルの物かもしれん」他のボーイの背中を確認しながら川島は訝しんだ。「――変だな、他のボーイにゃあ付いてねぇ」
「ほら見て、川島さん」と優子は監視カメラの画像を操作品がらそう言った。「最後のボーイが部屋から出た後もこのステッカーが付いたままよ」
「謎のステッカーは最後の接触者にのみ付着している、か」川島は声に出して確認するかのように言った。「この後芳川は惨殺された……何か関係はあるはず。特殊能力か? ……確かKは……空間転移? いや、瞬間移動だったか? ステッカーと関係が? しかし具現化するのはγ型の能力のはず……云々」
「あのぉ~、きゃわしますぁ~ん?」と優子は言った。「お~い、戻ってこ~い」
「優子」と川島が突如として“戻って来た”。「“あの”ステッカー、もしかしたらKの能力かもしれねぇぞ」
「ちょっと、ちょっと。いきり何なのよ。また今回も飛躍しすぎよ? ちゃんと説明して」
旅立った川島が戻って来た時は、たいていこんな感じだったので、優子はあまり驚かなかった。
「あくまで推測だ。確証はネェ。何分情報が少ねぇ。大半は俺の想像になっちまうが――」
「良いわ。話してちょうだい」
解った。そう言って、川島は語り始めた。
「じゃあ、先ずはステッカーの意味だ。俺は、あのステッカーが空間移動の為の目印なんじゃねぇかと思う」
「目印? どんな能力よそれ」
「知らん、言っただろう、状況証拠から推測しいてるに過ぎんと」
「適当なんだから」
「まぁ聞けよ。で、何だったか? ああ、そうそうステッカーが目印だって話だ。ほれ現に芳川が最後に会った奴ってのが、背中にステッカーが貼られたボーイだ。ボーイが部屋を出る辺りで空間転移して、後は芳川を殺すだけ――」
「もしそうだとしたら、帰りはどうするの?Kはあの密室からどうやって抜け出したのかしら」
「お前がKと対峙した時、奴は何処からともなく現れ、そして去って行ったと言ったな?その状況や、芳川の件から判断して、奴はステッカーを複数設置出来ると考えるのが妥当だ」
「そうすると――あッ⁉ 川島さんッ! 芳川と最後に会ったボーイって今何処⁉」
そう言って優子は、突然立ち上がった。
「ん? 今日も出勤してるって話だが?」とたじろぐ川島。
「だったら何ボサッとしてるのッ!そのボーイ、Kと会ってるかもしれないでしょ!」
「そ、そうかッ! よし、今は確か昼休みのはず――」と川島が言いかけた時、ポケットの携帯電話が鳴り響いた。
チッ…こんな時に。と思いながらも、川島は電話に出る。
「ああ、俺だ…ふん…そうだ今から…なッ本当かッ!? …そうか…ああ解った…」
「ちょっと…早く出てよッ」と優子が地団太を踏んだ。ドアの前で川島が電話をしているので出るに出れないのだ。
「残念だが…」と川島は携帯電話をポケットに突っ込みながら言った。「遅かったようだ」
「もう、何がよ?」優子は顔を膨らせている。
「ボーイが殺られた。背中から、ナイフで心臓を一突き。即死だそうだ」
「なッ…Kのしわさね――全く、やってくれたわ。証拠隠滅って訳ね」
「だろうな。目撃者は多数。昼休みで仲間と駄弁ってる時にいきなりぶっ刺されたらしい。しかも、誰も犯人を見ちゃいねぇときた」
「早く警察に知らせないと」
「知らせてどうなる?」
そう言って川島は部屋から出てエレベータへ向かった。優子もそれにならう。
「誰も信じやしねぇさ。それに、今回の任務は見るだけだ。他の事に首を突っ込むのは野暮ってヤツだ」
「でも…」と言いかけて、しかし優子はこう思い直した。阿井も同じ事を言うだろうと。
「解ったわ」と言いながら、優子はエレベータの『下』のスイッチを押す。「あ、でも私『プロの視点から見た、殺害状況の分析と解析、及びそれらに対する見解が欲しい』って言われてるの。何て報告すれば良いかなぁ」
「なら、こう言やぁ良い。報復の可能性有り。芳川の近辺を調べたし、ってな」
そう言って二人はエレベータに乗り込んだ。
優子はふと外に目をやった。硝子張りのエレベータからは外が見える。薄暗い空。ひたひたと雨が降っていた。




