表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

くるくるま

作者: 伊豆泥男

 こころが満たされないとき、僕は車を食べた。物心がついたころからそうだった。もちろんそれが普通の人とは違う趣味であることは理解していたし、他人に合わせ矯正しようとしたこともあったが、結局それはかなわなかった。ひとたび車の味を覚えてしまったら、やめることなんてできないのだ。


 こころに空白ができたとき、車はそれを埋めてくれた。小学校のころクラスの女子が落とした消しゴムを拾ってあげたとき、露骨にいやな顔をされたことがあった。もしかするといやな顔というのは、僕の勘違いだったのかもしれないが、しかしそうであろうがなかろうが、結果として僕のこころはすさんだ。僕はその日の帰り道、目につく車を片っ端から食べた。食べ歩きは学校からやめなさいと言われていたが、そんなことはお構いなしだった。前菜はサイドミラー、メインディッシュはエンジン、デザートはタイヤだ。一食一食かみしめ味わうことで、僕のこころは整うのだった。


 僕以外の人間が、どうして車を食べずに生きていけるのか、僕にはどうしても分からなかった。今では少なくとも一日一台は車を食べないと、狂ってしまいそうになる。昔は週に一台で何とかなっていたのに。僕のこころは確実に摩耗していた。


 そんな体質では、友人などできるはずもない。どこに行っても僕は煙たがられた。腫れもの扱いや厄介者扱いをされるたびに、僕のこころはさらに車を欲するのだった。悪循環に次ぐ悪循環。ただただ車の数だけが減っていった。


 見かねた親戚の一人が、僕を廃車の山がいくつもあるところへ連れて行ってくれた。ここならば、好きなだけ車を食べていいぞ。そう言われた僕は、喜び勇んで車を口にした。しかしその味は、僕のこころを満たしてくれるもののではなかった。砂糖も牛乳も入れずに焼いたパンのような、味のない味。これじゃない。僕が食べたいのは、こんな府抜けた車じゃあないんだ。人を乗せ道を走り猫を轢く、そんな生き生きとした車を僕は欲しているんだ。そう吠えた僕に、親戚は冷え切った眼で応えた。僕はその目に耐えられなくなり、そこから逃げ出した。駆けた先に駐車場があった。僕は人の目も気にせず、そこにあった車を貪った。空っぽになったこころに、それはずっしりと溜まってくれた。


 どうして僕以外の人は、車の味がわからないのだろうか。不思議でならなかった。誰に聞いても、たいてい返ってくるのは、食べられるものではないというような、食わず嫌いとしか思えない回答だった。一度食べてみるといいのにといつも思っている。


 そんなある日、過去に車を常食としていた女性がいるという噂を聞いた。今はもう車からは卒業したらしいが、それでも彼女に話を聞けば、謎が解けるかもしれない。僕は死に物狂いでその女性を見つけ出し、食事を共にする約束をとりつけた。もちろん普通のレストランで。



 幸せの味を知ってしまったからかな。彼女は車を食べなくなった理由についてそう語った。二年くらい前までは、私も美味しく車を食べていたよ。けれども、彼に会ってから世界が変わったんだ。私を初めて愛してくれた人だ。それからは、どんな高級車だろうと、どんなパワフルな重機だろうと、鉄の味しかしなかった。大好物だった希少部位のサイドブレーキだって、てんで喉を通らないんだ。そう言った彼女の薬指の指輪が、きらりと陽光を反射した。


 それはつまり、こころが満たされたから、車を食べる必要がなくなったということに他ならなかった。愛し愛される相手を見つけ、人並みの幸せを手に入れたから、もはや車は要らないのだろう。結局のところは彼女も、そこらにいる十把一絡げの幸せ者だったというわけだ。僕の理解者にはなりえない。冷たいものが頬をつたった。


 それなら仕方ない。もう一度、車の味を思い出させてあげますよ。



 彼女と話をしてから一週間が経った。僕は彼女が彼と暮らしているという家のガレージへと忍び込んだ。そこには、一目見ただけでよだれが止まらなくなるくらい美味しそうな家族向けのワゴン車があった。ガラスのかけらも残さず食らい尽くしてやりたい衝動に駆られたが、それをぐっとこらえ、僕は車を分解した。常食としている車をばらすのは、僕にとっては赤子の手をひねるより簡単だった。構造など知り尽くしている。そして僕は、ばれないようにブレーキに細工を施し、元に戻した。


 それからさらに一週間後。再び彼女の家に行ってガレージを見ると、そこにはあの美味しそうな車はなかった。どうやら目論見は成功したようだ。僕はインターホンを鳴らし、家の中にお邪魔した。


 彼が交通事故で死んでしまったの。車を食べてきた私への報いかしらね。生気のない目で彼女は語った。愛する人を失った喪失感で、今にもつぶれてしまいそうといった感じだった。実に僕好みだ。


 お悔やみ申し上げます。もしよろしければ、これでも食べて元気を出してください。僕は懐から、紙で包んだサイドブレーキを彼女に差し出した。金持ちが乗り回していた高級車の部品で、まさに幸せが詰まった極上の一品だった。彼女は震える手でそれを手に取り、口へと運んだ。


 美味しいわ、本当に美味しい。彼女は涙を流しながら、下品にサイドブレーキを貪った。その姿は、彼を殺した車に復讐するかのごとくであった。どうやら彼女は、車の味を完璧に思い出したようだ。僕もうれしくなり、持参したハンドルを食べた。誰かと一緒に食べる車は、今までにないほど美味で、舌がしびれた。



 それからというもの僕と彼女は、二人でありとあらゆる車を食べた。スナック感覚の軽自動車、口どけが素晴らしい救急車、辛みのある消防車、中でも最も美味しかったのは、意外にも高級車ではなくパトカーであった。今まで警察車両なんて食べたこともなかったが、彼女に勧められて食べてみると、これがまた、天にも昇るような味であった。


 二人になったことで、僕たちの食は、一人ぼっちであった時よりも格段に充実したものとなった。やはり食卓は、複数人で囲むに限る。では、さらに多くの仲間で共に車を食べるとどうなるのだろうか。僕たちは、次第にその考えに取りつかれていった。


 同士を増やそう。僕たちは暗躍を始めた。幸せそうな人間を見つけ、彼女にしたようにその人間の幸せのもととなっている人物を殺す。そして喪失感に暮れているところに、車を食べることを勧め、その味を覚えさせ仲間に引き込むのだ。


 最初のうちは苦労した。今まで幸せでなかったことがないものには、車食を勧めても常識が邪魔をして口にすることはなかった。しかし、過去に不幸の経験があり、それを一度乗り越えたものには、勧誘がよく効いた。不幸の味をよく知っているから、それを紛らわしてくれる車を求めるのだ。ひとたび増えると僕たちの仲間は、ねずみ講のように数を増した。


 大勢で食べる車は、それはそれは美味しかった。数が増えるたびに、車はうまみを増した。仲間の人数が増えるほど、一人一人の取り分は減りはするのだが、それを補うほどの充足感がそこにはあったのだ。



 膨張した車食の一団は、ついに人口の三分の一以上を占めるまでに増大した。車を食する同士がここまで増えたのは、もちろんことほぐべきことだ。しかし、ここで需要と供給の問題が生じ始めた。


 僕たちが美味しく食べられる車の基準は、どんな人物に乗られているかによって決まるらしいことが、これまでの経験で明らかになっていた。幸せな人間、もしくは正しい人間に乗られていた車は美味しく、不幸な人間、または間違った人間に乗られていた車は不味かった。パトカーがあれだけ美味しかったのもこれが原因なのだろう。また、今まさに人が乗っていたような車でないと、鉄の味しかしなかった。


 つまり、不幸せであることが前提条件である車食の者が増えれば増えるほど、彼らが食べられる車を生み出してくれる幸せ者が減るのだ。なんという二律背反であろうか。


 車食者の増大は、もはや社会問題と化していた。街には満たされない欲望に支配された亡者のような人間があふれていた。しかし彼らは死ぬことはない。腹が減っているのではなく、こころが減っているだけなのだから。世界全体が、慢性的な幸せの不足に喘いでいた。


 しかしそれでも、僕たちは確かに存在していた。満たされることのない仲間たちと共に。それは疑いようのない事実であり、僕にはそれがうれしかった。


 僕はある意味では満たされ、またある意味では満たされていなかった。僕のこころとからだは、二つの矛盾によって引き裂かれようとしていた。いったい自分が何を目的としているのか、もはやわかりはしなかったが、それでも僕は、車食を広めなければならないのだ。たとえこの地球上から、幸せ者がいなくなろうとも。



 僕はタイヤゴムのかけらを口にした。やはりそれは、まぎれもない幸せの味がした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ