あたたまっていってください【ショートショート】
あまり実のある内容は書きません。拙作の極みで御座います。お時間に隙間が空いた際などにご覧頂ければ幸いです
鉄の門扉が開く音がしたので私は椅子から立ち上がった。大きな鍋にかけていた火を止める。何となく手間をとる客であるような予感がした。
ノックの音がした。館の隅々まで、水が満ちるようにそれは広がっていく。
私は、たったいま来客に気付いたように十分な時間をおいて、ドア越しに問いかけた。
「どちらさまでしょうか」
「夜分遅くに申し訳ありません」
男の声だった。
「道に迷ってしまったのです。さらに仲間ともはぐれてしまい困っていたところ、偶然にもこの館に遭逢いたしました。まことに寡聞な申し付けでは御座いますが、一晩泊めて頂けないでしょうか」
私は間を置いて、
「この山へは歩いておいでになったのですか」
外の冷えた空気が見えるようだ。男の声が震え出した。
「ハイキングを兼ねていました。夕刻には下山予定だったのですが、見誤りました。私達は夜間に備えての道具は持ち合わせてはいなかったのです」
「ええ」
「月明かりを頼りに歩いておりました。心許ない灯籠で御座います。あっという間に仲間を見失い、途方に暮れていたのです」
「お気の毒に思いますよ」
男はじれったそうに早口になった。
「この寒さはあまりに身に応えます。それに仲間からこの山には奇妙な言い伝えがあると聞いておりまして――」
「あら、どんなお話ですか」
私は思わず男の言葉を遮って訊いてしまった。
「……魔物が出ることで有名だと聞きました。なんでも年間に十数人の方がこの山から下りて来ずにそのまま行方不明になるとか。麓の方々は《魔物に食べられてしまったんだ》と騒いでいるようです」
「それは、なんとまあ……」
「馬鹿馬鹿しい話です。きっと私のように夜道で迷い遭難してしまったに違いありません」
男は弁解するような口調になり、押し黙ってしまった。
「分かりました。お入りになって、あたたまっていってください。ご自身もお疲れでしょうし、お仲間のことも心配でしょう」
まだ見ぬ男の顔が、安堵に変わっていくのが見えた気がした。
「ありがとうございます」
ドアがゆっくりと開く。
「それにしても魔物ですか。伝承というのはいつの時代も当てにならぬものです」
男の顔が仄かな月明かり中でしっかりと映えていた。
「魔物など物語の中だけの存在です。この世にいるのは人間だけ。有り得るとしたら魔物ではなく、《魔女》でしょう。いえ、お気になさらないでください。あなたにとってはあまり意味のないお話です。それよりも、他の四人のお仲間さんが……」
表情が凍っていく。私は寒さに耐えきれず力を込めてドアを閉めた。
「――それも、もう、あなたにとって意味のないお話でしたね」
宜しければ他の短編、あるいは長編も御座いますのでご清覧下さいませ。