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誕生(陽)

作者: Ginran

遊言会会誌「ことのは」用、6月テーマ「誕生」にて書き下ろしました。

ことのは本編には字数制限のために削ったり、説明不足なところを書き足して掲載する予定です。


誕生(陽)というタイトル通り、明るく、希望が持てて、少しコミカルなお話を目指しました。

実は誕生(陰)という全く性質の反対なお話も書いていましたが、そちらはいずれ時間があるときということで。

「それじゃ行ってきますね、あなた」


 一時間前、妻の良子はそう言って分娩室の中へと入っていった。

 ストレッチャーに横たわったまま力ない笑みを浮かべて、玉のような汗を浮かべて。

 私はそんな彼女を見送った。


 お産の時の男ほど、無力なものはない。

 激甚なる陣痛も、代われるものなら代わってやりたい。

 この十月十日あまり、私は懸命に妻を支えてきた。

 だがいざ本番になると祈ることしかできない。


 嗚呼。

 どうか無事で。

 生まれてくる赤子共々、健やかでありますよう――


「あいたっ」


 不意に。

 後ろから肩を小突かれる。

 振り返った瞬間、私は危うく出しかけた悲鳴を飲み込んだ。


「何をウロウロしてる。座れ」


「は、はい」


 分娩室の前に設置されたソファベンチ。

 そっと腰掛けると、ドシンと隣に大男が座る。

 恐る恐る横を向けば、分厚い胸板に太い首が目に入る。

 まるで親の仇のように分娩室のドアを睨み据えたまま、私の方には見向きもしない。


 このヒトは良子の実父であり、私の義父(ぎふ)の龍二郎さんだ。

 もうすぐ一児の父にもなろうという身分で情けない話だが、私はこの人が苦手だった。


 まず、隆二郎さんは見た目が普通じゃない。今日も仕事場から来てくれたようだが、『アウトレイジ』の撮影現場から来たと言われても信じてしまいそうな厳つい風貌だ。そして白地のスーツにワインレッドのシャツが、どこからどう見ても桐○一馬である。


 もちろん、このヒトは私の家族であり、そして紛れもない義父(ちち)だ。

 なのに、未だに打ち解けることができない。

 気軽な世間話などもっての他。

 義父の職業すら未だに恐くて聞けないのだった。


 だがそればかりではなく、私は義父に対して負い目がある。

 良子という一人娘を男で一つで育ててきた龍二郎さんに、私は一度だけ本気で殺されかけたことがあるからだ。

 すべての発端は、私が良子に告白されたことから始まる。


 *


「誠一郎さんのことが好きです」


「…………」


 脳みそが頭蓋ごと溶けるかと思った。


 卒業式があった日の夕方、私は良子から呼び出され告白を受けた。

 正直言えば嬉しかった。

 彼女はとびきり綺麗で優秀な生徒(・・)だったから。


 そう、良子は私の元教え子だった。

 成績もよく、運動神経も抜群。

 性格は真面目で、でも適度に砕けていて。

 先輩後輩に関係なく慕われていたし、赴任したばかりだった私は、面倒見のいい彼女によく助けられていた。


 当然のように良子はモテた。

 校内外を問わず様々な男子から告白を受けていたのを耳にしていた

 しかし、私の赴任から卒業式までの間、良子が誰かと付き合ったなどという話は聞いたことがなかった。


 勿体無い。

 まあ心配などしなくとも、そのうち大変なイケメンと付き合うのだろう。

 まさかそれが、毎朝鏡で拝むこんな顔を選ぶとは思わなかった……。


 *


 さて。

 仰げば尊し我が師の恩である。

 大切な生徒たちが卒業する当日のことだった。


 ただでさえ花粉症で参っていた私の涙腺は、卒業生の答辞を聞いて決壊した。

 読み上げていたのが良子だったのも拍車をかけていた。


 問題はその後だ。

 私は呼び出しを受けたのだ。

 相手は良子だった。


 指定場所は駅前にあるお洒落な喫茶店だった。

 良子は、クラスでの打ち上げもそこそこに、一度家に帰ったのだろう。

 制服などではなく私服姿だった。


 カウベルの音と共に現れた彼女に店内の男性客が注目する。

 そのひとりである私も「おお」と感嘆の声を上げたほどだ。

 彼女は真っ白いチェスターコートを小脇に抱え、上は丈の短いダーク系のスウェット、下はボリュームのあるフレアスカートという出で立ち。足元は大人っぽいブーツで固めていて、胸元に光るペンダントが可愛らしいアクセントになっていた。


 急いできたのだろう、良子はペンダントの上から弾む胸を抑え、ぐるりと店内を見渡して私を見つけるなり、ニッコリと満面の笑みを浮かべた。


 ドキリ、と不覚にも胸が鳴った。

 オーダーを早々に済ませた良子は、まだ動悸が収まらないのか、何度も何度も深呼吸を繰り返している。

 そして、


「あ、あの、せ、誠一郎さん……!」


 と言った。


 ……寂しいものだ。

 卒業式が終わった途端私はもう彼女の先生ではない、ということか。

 そんなことを思う私の表情をどう捉えたのか、彼女は慌てて「すみません」と口にした。


「失礼は承知しています。でも今だけはお名前で呼ばせてください」


 ああいいよ、と。

 私も少し上ずった声で言った。


 そして実はこの後、私の記憶は曖昧になる。

 尋常一様ではない、とてつもないことが起こったからだ。


「私、誠一郎さんのことが好きです」


 記憶が定かでなくとも、その言葉だけはハッキリと覚えている。

 結果から言えばそれが、私にとっては最初で最後の。

 女性からされた愛の告白となったからだ。


 *


 良子の告白から二ヶ月が経とうとしていた。

 私は新一年生の担任となり、忙しい毎日を送っていた。

 新任歓迎会では、ぼちぼち教頭から恋人の有無を聞かれたりして。

 そんな時、私の頭に過るのは、別れ際の良子の顔だった。


 泣いていた。

 泣かせてしまった。

 色白の首筋が真っ赤になって。

 ボロボロと真珠のような涙が、テーブルの上に止めどなく落ちていた。


 だって仕方がないじゃないか。

 私は教師で、彼女は生徒で。


 ――例え卒業したって、みんなはいつまでも私の可愛い生徒だ。


 最後のホームルームで言った言葉に偽りはなく。

 今思えば、その時彼女だけが俯いていたのは、多分そういうことで。

 わざわざ勝負服(・・・)に着替えてきたのだって、そうなんだろう。


 いたたまれなくなった私は、伝票をひったくって、喫茶店を後にした。

 そうだ。逃げ出したのだ。最低だ。わかっている。


 私にもっと豊富な教員経験があれば、上手に諭すことができたのか。

 あるいは豊富な恋愛経験があれば、彼女を泣かせずに済んだのか。

 毎日毎日、私は答えのない問いを繰り返した。


 *


 事件の切っ掛けはグループラインだった。

 良子が所属していた私の元教え子たちのものであり、連絡網として使用していたものだ。

 そのトークルームにとんでもない爆弾が投下された。

 予備校の帰りに駅裏の盛り場で撮影されたという写真には――


「嘘、だろ。なんで……!」


 卑猥なネオンが注ぐ街。

 大学生同士のコンパだろうか。

 男女合わせて十人以上の大所帯の中に――良子がいた。


 あんなに綺麗だった黒髪が脱色していて、服装も派手目になり、化粧も随分濃く見える。

 大学デビューで垢抜けた、と言うにはいささか拗らせすぎだと思う。


 自惚れでも何でもなく。

 これは私のせいに違いない。


 その日の夜。

 私は早速写真の現場に赴いた。

 極彩に塗りつぶされた街を歩きながら、彼女の影を必死に探す。


 探しながら思う。

 私は彼女を見つけてなにを言うつもりなのだろう。


 そんなものは決っている。

 彼女に元に戻るように説得し、真面目に大学に通い、誠実で優しそうな男性と交際するようお願いするのだ。


「馬鹿か私は」


 自分の思考に吐き気がする。

 拒絶したのは私の方なのに。

 それなのに、彼女があんな露出の多い格好で、軽薄そうな男と飲み歩くのが許せないだなんて。


「なんて我がままなんだ」


 もう帰ろうか。

 そう思い始めた時、彼方から悲鳴が聞こえた。

 良子だと、何故か確信があった。


 猛然と走り、路地裏の角を曲がったところで、彼女がヤクザ者に腕を掴まれているのが見えた。「イヤッ、離して!」と必死に抵抗する良子だったが、ヤクザ者は彼女を無理やり引きずっていこうとする。


 気がつけば。

 身体が動いていた。

 良子とヤクザの間に滑り込み、彼女を背後に庇う。

 そして見上げるばかりの大男に私は言い放った。


「やめろ――私の妻だぞ!!」


 ……。

 …………ん?

 私は今、何を?


「はう……先生!」


 熱い吐息が背中から聞こえる。

 その熱とは対象的に私の心は急速に冷えていき。

 見上げるヤクザは悪鬼のような形相になっていく。


「お前が元凶か!」


 次の瞬間、目の中に消えない星が散った。

 鼻の奥がツンとして、口の中に鉄の味が広がる。

 殴られたのだと気づいたときには、私は気を失っていた。


 *


「ラマーズじゃないの、切迫呼吸!」


「え? ええ!?」


「しっかり、奥さんの呼吸が乱れるでしょう!」


「は、はい!」


「お父さん離れて! おっきな体邪魔!」


「ぬうっ!」


「はううう――はあはあッ、ううううッ」


「「良子ぉぉ――!!」」


「うるさいッ! 出てけ!」


 *


 助産師さんに怒られ、私と義父は愛娘の出産に立ち会えなかった。

 義父の落ち込みようは相当だった。


「いいのよ、放っておけば。ねえ遥香ちゃん?」


 娘の名前を優しく呼びながら良子は「マンマにしましょうね」と胸元を開けだす。

 慌てて後ろを向く私に良子は「ぷっ」と吹き出した。


「いい加減慣れてよ、自分の妻でしょ先生?」


 そうは言われても無理なものは無理だ。

 あと未だに名前で呼ばれるのも慣れないので先生と呼んでもらってる。

 これでよく子供ができたと不思議でしょうがない。


 無様なあの告白からすぐに私たちは籍を入れた。

 そして教師と生徒の間柄では聞けなかった話を聞いた。


 子供の頃から父の恐い見た目がコンプレックスだったこと。

 そして父とは正反対のヒトを好きになったこと。


 そしてなんと。

 ラインへのタレ込みは良子と彼女の友人による仕込みだった。

 私を試したかった、ということらしい。

 それで義父にまで心配をかけて連れ戻されそうになっていては世話がない。


「私が来なかったらどうするつもりだったんだ?」


「でも来てくれるって信じてたから」


 もう絶句するしかない。

 ヒトは見かけによらない。

 私の妻は真面目で美人で賢く、そして少し腹黒い。


 私だってそうだ。

 臆病でヘタレで、そして意外とヤキモチ妬きだ。

 良子から言わせれば「流石は私の見込んだヒト」とのことだった。

 ちなみに。


「え? お父さんはヤクザじゃなくて、パティシエだよ」


 嘘。

 あの顔で? いや顔は関係ないか。

 私の中から急速に義父への苦手意識が消えていくのを感じた。

 本当、人は見かけではわからないものだ。


 私達はようやく本当の家族になれる。

 明るい未来の予感に自然と笑みが零れていた。

現在7月テーマ、「夏休み」にて短編を書いています。

そちらは明るく切ないお話を目指す予定です。

掲載の折にはよろしくお願いします。

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