描く光は真白にはならない
「……何してるの」
パタパタと音を立てて落ちる赤。
目を見開いた先にあるのは、感情の一欠片も見えない無表情で、鈍く光るナイフに安心した。
***
「追いかけるべきですよ」
足元に二匹の軍犬。
目の前には返り血を浴びた女。
私はその女よりもさらに奥の荒地を見ながら言う。
「新参兵が行ってるわよ」
ぐいっと自身の頬を手の甲で拭う女。
右手に握られた日本刀は、血だらけで、払い落とすように振るわれる。
そうかなぁ、と納得しようとしたところで、スイマセン、と酷く申し訳なさそうな声が掛けられた。
私と女が振り向けば、そこには、既に組み立てられたライフルを背負った男。
話題の新参兵だ。
黒いサングラスをしたままの新参兵は、煤汚れした顔のまま、やはり申し訳なさそうに腰を丸めて立っている。
「……行ってなかったの」
刀の身を鞘に収めた女が、溜息を噛み殺しながら言う。
既にこの場所は制圧済みで、多少立ち止まっても問題ないだろうが、新参兵は顔ごと視線を逸らし「行きたかったんですけど」と口篭る。
そんな気はしてた、とは言わない。
私が敵軍人の喉笛を軍犬達と抉っている間も、女が日本刀で敵軍人を切り捨ててる間も、その頭を撃ち抜かれて死ぬ敵軍人がいた。
先へ進んでしまったその人も見える位置にいるのでは、と期待していたのだ、私達は。
「て言うか!全員前線に出過ぎなんですよ!!」
もー!と叫ぶように言った新参兵に、私の軍犬達がワンワンバウバウと吠えた。
同調しているのか、はたまた、うるさいと言っているのか。
恐らく、後者だ。
実際、新参兵の言うことは最もで、血の付いた眼鏡を拭っている女も主流武器は日本刀。
近中距離だと、本人も言っていた。
そうして、私も私で近距離を主体としており、軍犬も当然近距離、または、捜索散策メインだ。
背中どころか気配すら感じなくなった人は、この特殊部隊の隊長だが、同時に特攻隊長でもあり、近中遠距離なんでも良いと言った割には、ナイフ一本で特攻を仕掛ける人だった。
それに関しては、上司も慣れきって何も言わない。
一応特殊部隊に属す軍医だけが、お前いい加減にしろよ、と胸ぐらを掴む姿が医務室に行く度に見られるが、反省も改善もなかった。
「俺、隊長追いかけ……」
「行くよ!トクナガ、ノブナガ!!」
バウ、ワン、二匹の軍犬が大きく一鳴きして、駆け出す私に合わせて、地面を蹴り上げる。
背後では「ちょっとおぉぉぉ?!」という、大袈裟なまでの驚き声が響いたが、知ったこっちゃない。
目指すべき背中を追いかけるだけである。
***
特殊部隊――軍内でも高い戦績を持つ者だけが所属することの出来る部隊。
しかし、その実、軍の上層部が扱いにくいと判断した者を入れるお払い箱である。
隊長は、その特殊部隊にたった一人で、長い間所属していた人だ。
戦績は軍内トップと言われており、特攻隊長で、近中遠距離関係なく出来て、死神、なんて呼ばれていた。
『アイツは、積み上がった死体の上で高笑いする』
『あの人の通る道には、血痕と死体が連なる』
『死神だ。人の魂を狩って喰らって生きてる』
くだらなく、つまらなく、高揚感を覚えるような噂が絶えない人だったが、実際に会った時には拍子抜けしてしまった。
死神、なんて呼ばれるのだから男だと思っていたが、女の人で、細く小さな体。
「嘘だぁ!」指を差して叫んだ私に、ハッ、と鼻で笑ったあの人を、私は絶対に忘れない。
トクナガとノブナガが、地面に鼻を擦り寄せ、その匂いを嗅ぎ分けて隊長を探す。
匂いを発見すれば、一吠えして、駆け出すのだ。
一体どこまでいったんだ、と思いながらインカムに触れるが応答はなかった。
元々一人で戦場に出ていた隊長は、私達を信用も信頼もしていないらしい。
表情筋の動かない顔で、淡々と喋る。
新参兵は、特殊部隊に憧れていたと言ったが、隊長に憧れていたとは言わなかった。
そういうこと、だろうか。
死体が連なる道、噂通りだと思いながら、トクナガとノブナガを見下ろす。
尻尾が左右に揺らされ、また、一吠え。
倒れている死体のほとんどが、首元を目掛けての攻撃を受けている。
隊長だ。
刃先から持ち手まで、全長二十センチほどの軍用ナイフ。
あれは、軍から支給される武器であり、本当に初心者用と言っても良かった。
戦績が良ければ、それなりに質のいい武器を得られるはずなのに、隊長は別に良いと首を振る。
「本当、しかばっ」
独り言の途中で、トクナガが地面に伏せていた顔を上げ、私の足に飛び掛かる。
ノブナガが、地面に尻もちをつく私を庇うように前に出て、そこで私は、自分が油断していたことに気付いた。
そんなの、今、気付いても、遅い。
爆風やら何やらで、壁がボロボロになった廃墟の曲がり角。
連なっていた死体を見て、完全に制圧されたと思い込んでいた私は、飛び出して来た敵軍人に、銃口を向けられている。
ノブナガが、その真っ黒な毛を逆立てて、相手の喉笛目掛けて飛びかかろうとするのが、嫌にゆっくりとして見えた。
駄目、待って、止めて。
空気だけが漏れ出る唇。
しかし、銃声よりも先に響いたのは、鈍い音。
銃口が地面に向き、敵軍人の手から離れていくのが、やはりスローモーションに見えた。
あまりにも、ゆっくりで、まるで映画がドラマでも見ている気分になる。
私も軍人なのに。
重力に従い、地面へと伏せた体。
トクナガもノブナガも、何も指示をしていないのにその場に座り込んでいた。
そうして、その状態で、開けた視界の先に立っていたその人を見上げる。
「……何してるの」
黒い髪と黒い瞳。
肌は白く、飛び散った返り血が華のように良く映えていた。
見慣れた迷彩柄の軍服に身を包み、その手には支給品のナイフが握られている。
パタパタと音を立てて落ちる赤。
目を見開いた先にあるのは、感情の一欠片も見えない無表情で、鈍く光るナイフに安心した。
安心したら、腰が完全に抜けていることに気付いて、生理的な涙で視界が滲む。
「……何で泣いてるの」
抑揚のない声、感情を押し殺しているのではなく、そもそも感情がないような声。
それでも、私の中の安心感は強くなる。
「ないでっ、ないでず〜!」
私が鼻をすする音が大きく響き、ナイフの血を払い落としている隊長が、面倒くさそうに顔を顰めるのが分かる。
足元では、トクナガとノブナガが鼻にかかった鳴き声を出し、私と隊長を見比べていた。
――数分後、しゃがみ込んだ隊長が、その黒いガラス玉のような瞳を細めて私の顔を覗き込んで「それで?」と首を捻る。
それで、の後に続く言葉は、何があったのか、何で泣いていたのか、だろうか。
ナイフをしまうことなく、両手で柄を軽く握るようにして持ち、空いている隙間に顎を乗せる隊長。
答えに迷い、視線をさ迷わせ、二匹揃ってお座り状態のトクナガノブナガを見た後に、私は質問に答えることなく言う。
「隊長を、探してました」
それを望んだんじゃない、と言うように眉が一瞬寄せられたが、隊長は口を開かない。
その耳にも、軍服の襟元にも通信機器は存在せずに、私はその在処を問う。
端的な答えは「落として壊した」こうだ。
「……流石っ、屍姫様」
ふはっ、と笑い声が漏れたが、仕方がなかった。
戦場を駆け回っている軍人とは思えないほどに、マイペースで楽観的だ。
普通は、通信機器をなくしたり壊したりすれば、連絡が取れないと冷や汗を流す。
それくらいに戦場は広く、そして入り乱れる。
肩を震わせる私を見て、隊長である屍姫様は、スッと静かに立ち上がり、私の額にナイフの柄を押し付けた。
普通に固くて普通に痛い。
額の中央の骨を抉るようにゴリゴリと音を立てて動かす屍姫様。
幾多の屍を積み上げる、美しくも儚きお姫様である。
「ボクは死神だから」
「そんな愛らしい見た目で何を言いますか」
「……君、気持ち悪いよ」
丁度太陽を背にして立つ屍姫様。
死神と呼ばれるその人には、死神が相応しくなくて、勝手に呼び始めたその渾名は、いつしか死神と並ぶ二つ名になった。
本人は酷く不満そうだが。
「何を言ったって、どう表現したって、人殺しには変わりないんだよ」
今度はナイフの柄ではなく、刃先を向けられる。
先程、私に銃口を向けた敵軍人を殺した獲物が目の前に向けられ、突き付けられているのだ。
トクナガもノブナガも、先程とは違い、動かない。
鈍く光るそれを見て、私は、ふへっ、と変な笑い声を出してしまう。
一瞬だけ眉を寄せ、眉間にシワを生み出した屍姫様だが、直ぐに浅い息を吐き、歩き出す。
しまう気のないナイフは、その手元でクルクルと起用に回され、太陽光を反射させた。
鈍い光が目を焼く。
「合流地点に戻って、とっとと帰る。……お腹減ったなぁ」
来なさい、とナイフを揺らして呼ぶ屍姫様に、私は立ち上がり、トクナガもノブナガも尻尾を振って付いて行く。
本当にお腹の減っているらしい屍姫様が、ぐぅ、と可愛らしい音を立てながらナイフを回す。
それを見ながら私は、屍姫様の隣を歩き、合流地点まで連なった死体の間を通る。
帰還後、単独行動及びに連絡を絶っていたことに関して、酷く怒られるのだが、この時にはまだ知らない。