表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/40

第二章 王都への誘い 3

「では、ノエルのお父様が昔軍医をなさっていた経緯から、お兄様とお知り合いだったの?」

「そうだ。私の初陣は今から七年前の十六の時だったが、出陣して早々に情けないことに敵の矢に射貫かれて重傷を負ってな」

「そんな重傷を負っても引かずに突撃し、敵の将軍の一人を討ち取ってるんだから、勇敢と言うべきか無鉄砲と言うべきか迷うよね、本当に」

 遠慮容赦のないキースの発言に、一瞬むっと眉根を絞るジークベルトだが、手負いにも関わらず敵の将軍を打ったというのは事実のようで「たまたま運が良かっただけだ」と答えて、話を先に進める。

 運が良かったというだけで討てるような相手ではないと思うのだが……そこは戦場など知らないノエルだ、彼がそう言うのなら、そうなのですかと頷くより他にない。

「その時少々無茶をしたせいで、傷が悪化した」

「そりゃするでしょ、出血も凄かったし。あの時の怪我、下手したら初陣したその戦で即退役になっててもおかしくないくらいだったよ」

 どうやら同じ戦にキースも参加していたらしい。今思い出してもぞっとする、と言わんばかりにぶるっと身を震わせる姿は、あながち芝居ではなさそうだ。

 七年前と言えばレミシアーナはまだ九歳の子どもだったが、大騒ぎになった時の事は覚えているらしい。

「その時の怪我、お兄様を助けて下さった軍のお医者様がいらっしゃったって聞いたけど、もしかしてそのお医者様がノエルのお父様?」

「そうだ。グローヴァ殿に助けて頂かなければ、私は片腕をなくしていただろう。下手をすれば命も危うかったかもしれない」

「……そうだったのですか……」

 父が昔軍医だったことは、以前に本人から話を聞いて知ってはいる。そして七年前……多分、ジークベルトが助けられたと言うその戦への随行を最後に軍医を辞め、母とノエルを連れて今の村へ移住した。

 当時そんな父のことを臆病者だとか、腰抜けだとか、散々に言う者も多かったと聞くけれど、その時の父の働きで助かった人がいると聞かされると純粋に誇らしい気持ちになる。

 もちろん戦争などない方が良いに決まっている。

 怪我人だっていない方がいいし、平和な時が続けば良い。それでも今だってあちらこちらの国で、大なり小なり戦が起きているのは事実だ。

 この国だって今は平穏な日々を送ることができているけれど、昔から北の国境を接し諍いを起こしているアスベル王国と、いつ再び一戦を交えることになるか判らない。

 ジークベルトが初陣を飾った戦いも、そのアスベル王国の国境侵害を発端に起こった戦いだ。

 大陸の北部の殆どを国土とするアスベルは、しかし気候が年を通して三分の一は雪に覆われ、土地も痩せているために自国で必要な食料の多くを他国からの輸入に頼らなくては、国民が食べていけない。

 その為、南に位置するこの国の豊かな土地を狙って幾度となく侵略行為を繰り返しているのだと聞く。

 騎士は人の命を奪い、国を守り、医師は人の命を救い、けれど時に手の及ばない患者を苦しませぬよう、安楽死を与える場合もある。

 一体どちらが人の道徳に添っているのだろう。

 しかし今のジークベルトの話で、ようやくどうして二人が知り合いで、何よりジークベルトが父の腕を信じてくれているのかが判った。

 なんとなく疑問に感じながらも今の今まで聞くに聞けずにいたのだ。

 レミシアーナの熱も下がり、体調も少しずつ上向きになって、気分転換に外でお茶を飲めるくらいにまで回復したのも実に喜ばしい。

 最初このお茶会はノエルとレミシアーナ、そしてヘレナの三人だけだった。しかし外で準備をしていると、こちらの様子に気付いたジークベルトとキースの二人も、急遽参加することになったのである。

 そして聞けたのが、先程の話だった。

「それにしてもこの茶は、何とも不思議な味わいがするな」

 不思議と言いながら、ジークベルトの眉間には先程以上に深い皺が寄っている。兄のその言葉にくすくすとレミシアーナが笑った。

「でしょう? それはノエル特製のお茶ですもの。身体に良いと言うけれど、少し味が微妙で」

「どれどれ? ……あー、うん、本当だ。ちょっと変わった味だね」

「そ、そうでしょうか?」

 口々に茶の味を微妙と言う三人に、何ともノエルが情けない表情をする。レミシアーナの身体の糧になれば、と用意した茶だったが、どうやらあまり評判は良くなさそうだ。

 村の診療所でも患者達に振る舞っているお茶で、村人達はこれを飲んで風邪を引きにくくなったとか、身体が軽くなったとか言ってくれたのだが。

 ただ、言われてみればやはり飲み慣れない人間には少し飲みにくいかもしれない。特に貴族の人々は、日々良質な茶を口にしているだろう。

 薬草ではあるけれど、彼らにしてみれば言ってしまえば雑草と変わらない草で作ったお茶は口に合わなくても仕方がない。今後はもう少し改良を考えた方が良さそうだ。

 見た目にも判りやすくしょんぼりしてしまったノエルの様子に、三人がそれぞれ一様に、しまったと言う顔をした。あまりにも素直に感想を言いすぎたと。

「でも、おまえの調合する薬は本当に良く効くのよ。王都のお医者様や、教会の僧侶が作った薬なんかより、よっぽどだわ」

 とって付けたような褒め言葉だが、案外本心でもあるらしく、こちらを見るレミシアーナの瞳は好奇心でキラキラと輝いて見える。

「薬草についても、おまえのお父様に教わったの?」

「……いえ、それは私の母から」

「お母様? おまえのお母様は、薬師かなにか?」

 立て続けに問われて、ノエルは曖昧に微笑んだ。母親が薬師かという問いには、頷くこともできるし、否定することもできる。

 母は代々薬草に対する知識を先祖から譲り受け、身に付けてきた人だ。しかし、職業として薬師を名乗っていたわけではない。

 父が医師として患者を診て、その患者に渡す薬を母が調合する……そんな役割だった。

「そう言えば、薬草学に関しては自分を凌ぐ、とグローヴァ殿は言っていたな。確かに似非ヤブ医者もどきの僧侶より、よほど頼りになりそうだ」

「ジーク。さすがにそれは口が過ぎるよ、教会の耳に入ったら面倒なことになる」

 似非ヤブ医者もどき。確かに言われる側の僧侶からすれば暴言でしかない。

 でも僧侶をそんなふうにジークベルトが言い捨てる理由もきちんとある。

 元々この国で医療を行うようになったのは、教会の僧侶達が始まりとされている。

 当時は病や怪我は悪魔の成す所行だと言われ、その悪魔を祓うことができれば治癒し、逆にあまりにも患者の業が深すぎて悪魔を祓う事が出来なかった場合は悪化、最悪死亡するのだと言われていた。

 長い年月を掛け、医学や薬草学の研究が進み、医師と呼ばれる職業が生まれたが、元々は教会の僧侶から派生したものである。

 その為、教会では医療行為を行う僧侶が多い。専門職である医師の数が少ない今の時代、そういった僧侶の存在はまだまだ必要不可欠だ。

 しかしそうした僧侶の中には、実力の足りていない者も多いというのが現状だった。

「こんなところに教会の耳があるようでは、愚痴の一つもこぼせんだろう。奴らは多額の寄付や布施を要求するくせに、いざ患者の前に立たせると『全ては神の思し召しのまま』とかなんとか言って、碌な治療もしない」

 せいぜいすることと言ったら、何の効果があるのか判らない苦い汁を飲ませたり、瀉血したり、おかしな呪文を唱えてみたりするくらいだ。

 実のところ、レミシアーナが体調を崩し始めた時にも、王都ではそうした僧侶に診察を頼んだ事があるのだという。もちろん公爵家にはこれまで世話になってきた医師もいたが、その医師をレミシアーナが嫌った。

 一方的な婚約破棄に深く傷ついた彼女に対し、それはただの甘えだと、婚約破棄はあなたにも責任がある、もっと現実を見てしっかりしなくてはと医者がしたり顔で諭した事が原因だ。

 確かに外傷のようにはっきりと傷として表に見えない心の傷は、見方によっては患者の甘えにも感じられるかもしれない。

 しかし医師としてその発言はあまりにも迂闊だ。

 傷口が塞がってある程度落ち着いた患者ならばまだ受け取り方も違ったかもしれないが、真新しい傷を受けて苦しんでいる患者にその言葉では傷口に塩をすり込むようなものである。

「元々、そのお医師様は好きじゃなかったの。苦い薬ばかり出すし、痛いことばかりするし」

 それでジークベルトは評判が良いと言われる僧侶に、診察を頼んだのだ。

「だがその僧侶の関心は患者ではなく金のことばかりで、することは他の僧侶達と大差ない。グローヴァ殿のような医師は、本当に希少な存在だと思い知った」

 実力が足りないのは僧侶だけではない。

 この国ではまだ、医師となるための特別な資格や手続きは必要とされていない。つまり本人が自分は医者だと名乗れば、そのまま通るのだ。

 当然、少し医療を齧っただけ、多少の薬の知識があるだけで医者や薬師を名乗る者が多く、それどころか何の知識もないのに医者だと偽って人々から金銭を巻き上げる者もいる始末。

 信用出来る医師や薬師の存在は、この時代、この国では砂の中から砂金を見つけるがごとく貴重な存在だった。

「……ひょっとして、公爵様達がこの村へいらっしゃったのは、父に会うために……?」

 まさか、公爵その人が一介の医師を頼ってこんなところまで来るとは思えなかったが、この時見せたジークベルトのどこか悪戯がバレたときのような表情からして、ノエルの指摘は案外的外れではなかったようだ。

「まあ、グローヴァ殿が王都を離れて、故郷へ戻ると言う話は聞いていたからな。ただ、この辺りだとは知っていたが、詳しい場所は知らなかった。お前達のことは、あの村の村長から教えて貰ったんだ」

 実は自分達がやってきた別荘の近くに診療所を開いていたとは知らなかった、と。

「私が知る限り、一番頼りになる医師がグローヴァ殿だ。彼ならばあるいはと、そう思った」

「……父が聞いたら、喜ぶのと同時に、恐縮してしまいそうです」

 ジークベルトはまるで父がどんな病や怪我でもたちどころに治すと思っているかのようだが、もちろんそんなことはない。

 あまり盲信されてしまっても少々困ってしまうと……そう続けたノエルに、ジークベルトが肩を竦めてみせる。

「もちろん、おまえ達を万能とは思ってはいないさ。ただグローヴァ殿に無理であれば、他の医師や僧侶でも無理だろう……そうは思っている」

「それは……」

「おまえが側にいてくれるようになってから、とても調子が良いのは本当よ。どうしてかしら、心を塞いでいた何かが、ぱあっと晴れたような気がして」

「では、ますますグローヴァ殿やおまえには感謝しなくてはならないな」

「……勿体ないお言葉です」

 医師や薬でどうにかできるのはごく一部分の限られたことだけだ。

 でも、自分の存在が少しでも役に立てたなら、それは嬉しいことだと思った。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ