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第二章 王都への誘い 1

「それは何? どんな効果があるの?」

「ホルゼという薬草の根を乾燥させたものです。滋養強壮に効果があります」

「そっちのは?」

「セブリという、熱冷ましの薬草です」

「じゃあ、これは?」

「これは……」

 次々と重ねられるレミシアーナの問いに、一つ一つ答えながら、手元のいくつかの小瓶や包みの中から取り出したものを秤にかけ、混ぜ合わせていく。

 そうやってできた粉薬を、はいどうぞと目の前に差し出されたレミシアーナが、とたんに渋い顔をした。

「……いつも思うのだけど、どうして薬って、こんなに苦いのかしら」

 心底苦渋を噛み締めるような表情で、渋々薬を受け取るレミシアーナの表情に、つい少し笑ってしまった。

「薬ですから。頑張って飲んでください」

 答えになっていない答えだと我ながら思ったが、他に言いようがない。

 しぶしぶ薬を口に入れたレミシアーナは、すぐに横からヘレナが差し出した水を受け取って、一気に飲み下す。口の中に薬が留まった時間はほんの数秒のはずだが、それでも口の中に広がる苦い味わいに、さらに渋面が広がった。

 口直しにと差し出された小さな焼き菓子を一つ口に放り込んで、ゆっくり時間を掛けて飲み込む彼女の姿を、黙って見つめる。

 公爵家の城で、レミシアーナの側に付くようになって三日が過ぎた。

 生活レベルの違いに日々戸惑い、失礼な真似をしてしまわないかとヒヤヒヤすることばかりだが、一番気がかりだったレミシアーナとの関係は今のところ上手くいっているのではないか、とそう思う。

 もちろんまだたった三日なので、心を許して貰えているとか、信頼されているというわけではないのだけれど、内心身分の高い人を相手にどう接すれば良いのだろうかと思っていた公爵家の姫君は、意外と人懐こい、分け隔てのない少女だった。

 使用人と同じ扱いをされて当然と思っていたのに、きちんと兄の知人の医師の娘……つまり客人として扱ってくれ、心配だった心の傷にも気丈に向き合っているように思える。

 この年頃の少女らしくノエルのすることや持ち物にも好奇心旺盛で、先程のようにあれやこれやと質問を受けることも多い。

 けれどヘレナの話によれば以前のレミシアーナならともかく、婚約破棄されてからはこうではなかったそうだ。

 常に思い詰めたような沈んだ表情をしていて、殆ど目を離すことができない状況だったと。

 先日は皆の一瞬の隙を突いて起こった出来事で、家人全員が気持ちを張り詰めているくらいだったらしい。

 それが目覚めた途端、以前の彼女らしさを取り戻しつつあるのだ。その急な変化にはヘレナだけでなく、ジークベルトやキースも驚きを隠せない様子だった。

「一体どんな魔法を使ったんだ」

 とジークベルトは言ったが、魔法など何も使っていない。

 どうしてレミシアーナの様子がガラリと変わってしまったのかもノエルには判らないし、そもそも目覚める以前の彼女を知らないのだから、比較しようもない。

 けれど……心当たりがあるとすれば、やっぱりあの、彼女にとりつくように存在していた黒い蝶だ。だがそれを口にすることは、何となく憚られてしまった。

 もしあの蝶が何らかの理由になっているのならば、真っ先に頭に浮かぶのは魔法、あるいは呪い……そんな言葉だ。

 古から魔術や呪術など、人の手の及ばない不可思議な現象は忌むべきものとされ、そうしたものに手を染める人間を魔女や呪術師と呼んで、決して交わることの許されない異端児として教会から迫害を受けている歴史がある。

 一度魔女だと人に後ろ指を指されたら、たとえ無実であってもそれを証明することは難しい。

 魔女や呪術師は捕らえられれば区別なく火刑にされる。しかも当人一人だけではなく、その家族全てが、だ。

 今でこそそうした残酷な行いは随分なりを潜めたとはいえ、ほんの二十年前までは何百、何千という人々が事実確認もされないまま、ただ「魔女かもしれない」と人の口の端に上っただけで捕らえられ、火の中に投じられたという暗黒の時代が存在する。

 きっかけは二百年程前の世継ぎの王子が美しい娘と恋に落ち、しかし国の為に別の女性と結婚せねばならなくなった時、別れを告げられた娘が王子が心変わりをしたと思い込んで、王子を呪い殺したことだとされているが、実のところは判らない。

 一体どれほどの無実の人間が濡れ衣を着せられ、夫や子、親や兄弟の悲鳴を聞きながら焼かれていったのか、想像もつかない。

 今も当時の悲劇は人々の間で親から子へと語り継がれ、魔女達は忌むべき存在であると同時に、証拠のない無実の人間を魔女と疑われ貶めるような発言をしてはならないと戒められているのだ。

 万が一教会の耳にでも入ろうものなら……想像するだけでぶるっと身震いが走る。

 教会の異端に対する対応は苛烈で凄惨だ。疑わしきことそのものが罪と言われ、容赦がないのは多分今でもそう変わらない。

 少しでも疑われるような事を口にすれば、ノエルだけでなく父にも咎が及ぶだろう。

 ひょっとすればレミシアーナやジークベルトにすら何らかの影響が出るかもしれないと思うと、とてもではないが不確かな事を安易に口にすることはできない。

 忘れてしまえ。レミシアーナは既に回復に向かっている、あの蝶が再び現れる様子もない。今更不確かな事を口にして、騒ぎ立てる必要などない。

 再び彼女が元気を取り戻し、王都、あるいは領主の城へ戻れるようになれば、自分の役目はそこで終わりだ。そうなれば、公爵家ほどの家の人間と再び会うことはないだろう。

 それまでの間、ノエルは自分にできることを行い、精一杯の心を尽くすだけだ。

 どうか何事もなく無事に済みますように。

 そう願う心とは裏腹に、少女の心の傷が全て癒えたわけではない事を証明するように、レミシアーナが熱を出して再び寝込んでしまうようになったのは更に二日が過ぎてからだった。

 ノエルの調合した薬を与えると翌日には大分落ち着いて来たが、多分これから先も度々こういったことはあるだろう。

 でもそれは決して悲観すべき状況ではなく、彼女にとっては必要な過程なのだと思う。

 心ははやるが、すぐに結果を求めてはいけない。ゆっくり時間を掛けていかねば。

「ノエル」

 少しでも少女の心が和めばと、庭師にできるだけ匂いの少ない花を選んで切って貰った帰りだ。不意に呼び止められ顔を上げれば、視線の先にはジークベルトがいた。

 彼のいる方向から考えて、多分妹を見舞った帰りなのだろう。ジークベルトは毎日必ず何度かレミシアーナの元に顔を出し、その様子を窺っていく。

 そんな兄をレミシアーナも頼りにしているのは見て判る。

 本当に仲の良い兄妹だ。キースも、幼馴染みと聞いたとおり、親しく遠慮のない関係のようで、しょっちゅうレミシアーナの部屋に顔を出している。

 そんな光景も大分見慣れた。

 だけど、慣れない事もある。ジークベルトは何度顔を合わせても慣れないことの筆頭に名が上がる人物だった。

 彼の身分が高すぎて、雲の上の人の様な思いが抜けきらない事も理由の一つだが、それ以上にノエルは彼の真っ直ぐすぎる強い瞳を向けられると、落ち着かなくなって仕方ないのだ。

 何も悪いことはしていないはずなのに、心に隠した後ろ暗い事が全て暴かれるようで……もちろんそんなのはただの気のせいだ。

 判っているのだが、つい彼と向き合うと……それもこんな一対一の状況になると否応なく心が強ばっていくのを自覚した。

 そのノエルのぎこちなさは、さすがにジークベルトにも伝わっているらしい。

「別におまえを取って食おうと考えているわけじゃない。顔を合わせるたび、いちいちビクビクするな」

 カッと頬が赤くなった。自分はそれほど、おどおどとしていただろうかと。

「も、申し訳ありません……そんなつもりでは、なかったのですが……」

 しかし否定するその声もどこかびくついているように聞こえ、これでは説得力がないと自分で思うのと殆ど同時にジークベルトが、はあと深い溜息を付いた。

 呆れさせてしまっただろうか。それとも不興を買ってしまっただろうか。

 今すぐこの場で這いつくばり、彼に許しを請うべきか。

 判断が付かずに、叱られる事を恐れる小さな子どものように肩を竦めてしまう。

「……これではまるで私が酷く無体な真似をしているような気分になるな」

「……も、申し訳……」

「謝罪も不要だ。おまえは何も詫びなくてはならないような事はしていない。控えめなのは結構だが、行きすぎるとただの卑屈になるぞ」

 きゅっと唇を噛み締めた。ジークベルトの言葉は尤もだ。

 しかし、困ったことに、どうやって彼に接して良いのか判らない。なんと答えて良いのかも判らなくて、押し黙ってしまうノエルの様子に再びジークベルトは溜息を付く。

 今度こそ呆れさせたかと顔も上げられないでいると。

「いや、おまえを怯えさせているのは私のせいなのだろうな。キースにも言われた、無駄に凄みすぎるのだと。だが、私にはそのつもりはない、できるだけ気をつけるから、おまえもあまり怯えないでくれないか」

「え……」

 意外な気持ちで顔を上げれば、ジークベルトが僅かに苦笑している。

 切れ長の目で見つめられると問答無用で震え上がりそうになるが、そうして目元と口元を和らげた表情をすると、思いの他優しげに見えた。

 この数日で初めて見る彼の顔だ。今まではいつも厳しい顔ばかりで……でも考えてみれば、妹があんな状況になっている時にその兄が朗らかに笑えるはずもない。

 自分だって大切な家族が病の床にあったり、深く思い悩んでいる様子を目にしていれば、なかなか笑顔を振りまくなんて難しいだろう。

 迫力ある彼の眼差しにすっかり威圧されてしまっていたが、彼の状況を鑑みれば致し方ないと思うと、少しだけ心の強ばりが軽くなる気がした。

「おまえから見て、レミスの様子はどうだ?」

 その気持ちのまま、今度はあまり怯えずに答えることができた。

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