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第六章 白き魔女 6

 隅々にまで響く程に大きな音を立てて、酒場の扉を蹴破るように開いたジークベルトは、はっとこちらを振り返る人々の視線を真正面から受けながらも、構わず大股に歩を進めた。

 無論彼が向かう先にいるのはノエルだ。

 彼女の顔を見るその瞬間まで、別人であってくれればと願った気持ちとは裏腹に、こちらを振り返った女の顔はやはりノエルで……何故、とまた苦い感情が胸の内に広がっていく。

「……おいおい、何だよ兄ちゃん。随分手荒じゃねえか」

 出入り口に一番近いテーブルの男が咎めるような口調で告げてくるが、ジークベルトは振り返らない。

 真っ直ぐに見つめるのは相変わらずノエルの顔だけだ。

 そんなジークベルトの、まるで刺し貫こうとでもするかのように鋭い視線を受けて、ノエルは……うっすらと微笑んだ。

 己の行動がバレてばつが悪い仕草を見せるのでも、ジークベルトの剣幕に怯えるでもなく、まるで最初から判っていたかのように笑ったのだ。

 普段の、ジークベルトが知る……小さな花が綻ぶような笑みとは全く違う、深紅の大輪の花が艶やかに咲き誇るような、そんな笑みで。

「こんばんは、ジークベルト様」

 またもにっこりと艶やかに彼女が笑う。笑顔そのものは愛らしくも見えるのに、質がまるで違う笑みに強い違和感を覚えながらも、彼女の腕を鷲掴むように捕らえる。

 たとえノエルが否と言っても、逆らえないような強い力を込めて。

 そのまま無言で彼女を店の外へ引っ張り出そうとしたジークベルトだったが、慌ててその行く手を遮ったのは、つい先程までノエルの隣にいた、彼女の肩に触れようとしていた男だ。

「お、おい、待てよ。いきなり何だよ。お前リーゼの……」

 果敢にも、強引に連れ出されようとする彼女を助けようとしたのだろうが、途中から声が尻すぼみになっていったのは、真正面からジークベルトの鋭い眼差しを受けたせいだ。

 酔って気が大きくなっている男ですら、その眼差しを真正面から受けると戸惑いと困惑が強くなる……それほど鋭く刺々しい。

 何とも重苦しい雰囲気がジークベルトを中心に周囲へ漂っている。どんなに鈍感な人間であっても、彼がひどく不機嫌であり、そして強い怒りを抱えていると知れるほどに。

 また彼の腰に下がる大剣も、男から言葉を奪う原因の一つだろう。

 これ以上下手に声を掛ければ斬られるかもしれない……そんな殺気すら感じさせるほどだった。

 すっかり怖じ気付いてしまった男を視線で後ろに下がらせながら、構わずジークベルトはノエルの腕を掴んだまま数歩歩く。

 僅かな間が空いた後、再び周囲の男達の中で別の一人の男が、なんとかこちらを引き止めようと口を開き掛けた時。

「いいわ、心配しないで。別にこの人、私を傷つけようとしているわけじゃないから」

 答えたのはノエルだ。この人、とは言うまでもなくジークベルトの事だろう。

 確かにジークベルトにはノエルに暴力を加えるつもりは毛頭無かったので、その言葉に異論は無いが、更に強い違和感を覚えずにはいられない。

 彼の知る、普段のノエルは決してこんな口調ではないから。

「でもよ、本当に大丈夫かよ。困った事になっているなら」

 純粋にノエルを案じる様子の男を目にすると、まるで自分が悪役になったような気分がしてくる。

 更に眉間に深い皺が寄る……そのジークベルトに寄り添うようにノエルがふわりと身を寄せてきた。

「大丈夫よ。さあ、行きましょうか、ジークベルト様?」

 そっと逆の方の手で撫でるように腕に触れられて、カッと頭に血が昇りそうになる。

 羞恥ではなく、明らかにからかわれていると感じる怒りで。

 どうしようもなく、裏切られたような気分がしていた。門番に薬を盛り、こんな時間に屋敷を抜け出したことだけでなく、普段の、ジークベルトが知るノエルという少女が全く別の娘だったのではと、感じるほどに。

 自分が知っていた……あの、好ましく感じていた娘ではない。

 どちらが正しいのだろう、これまでのノエルなのか、それとも今ここにいる彼女が本来の姿なのか。

 ふざけるな、と怒鳴りつけそうになる己の感情をぐっと堪え、そのままノエルと共に店の外に出たジークベルトは、屋敷に戻るまでの時間を我慢できなかった。

 引っ張り込んだ路地裏でようやくその手を離したものの、眼差しは鋭いまま。

 そして厳しい視線を向けたまま、問い質そうとその口を開きかけ……そこで、自分の目の前に立つ、月明かりと篝火の明かりで浮き上がった娘の姿に、ぐっと息を飲む。

 金色の髪、アメジストの瞳、色白の肌。その外見は自分が知っているノエルで間違いないというのに、正面から彼女の瞳を見返した瞬間、どうしてかそれまで抱いていた怒りよりも困惑の方が強くなる。

 目の前にいるのはノエルだ。

 そのはずだ、だというのに、なんだろう、この強い違和感は。

 喩えるならばまるで外側だけそのままに、中身だけ丸ごと入れ替わってしまったかのように。

 最も強い違和感を与えてきたのは、彼女の表情だ。

「…………お前は、誰だ」

 言葉は無意識の内に滑り出ていた。口にした途端、自分で自分の言葉に驚いて目を見張るも、自分の問いはそう的外れな物ではないのではないかと、そんな気分になる。

 一方、ノエルの方はと言うと、彼のそうした問いに小さく肩を竦めて笑う。

 ジークベルトの知らない、どこか媚びを含んだ女の笑みで。

「誰? 私が誰かを知らないで、ここまで引っ張り出したの?」

 くすくすと笑うその声が耳障りだ。

 ひどい焦燥感が襲ってくる。

 身体は確かにノエルなのに、中身が違う……では、ノエルの中身、強いて言うなら心はどこへ行ってしまったのかと。

 冷静に考えれば心が入れ替わるなど馬鹿馬鹿しいたとえでしかないはずだ。なのに、この時のジークベルトはその可能性を馬鹿馬鹿しいと笑い飛ばすことができなかった。

 それほど、自分の感じる違和感は大きく膨れあがってどうしようもなかったからだ。

「先程リーゼと呼ばれていたが、お前はノエルだ、それは間違いない。……だが」

 違う。何かが違う。何が違う?

 今ここで答えを間違えれば、取り返しのつかないことになるような気がしてならない。

「私はノエル。あなたがそう言うのなら、そうなのではない?」

「確かにそうだ。……だが、違う。上手く説明出来ないが……お前は、違う」

「……」

 突然意味の判らない否定を突きつけられて、ノエルは……いや、ノエルの姿をした誰かは何を感じたのだろうか。

 それまで浮かべていた媚びた笑みを消し去って無表情になる。

 パチリと近くで篝火の木が爆ぜる音が聞こえた。

 二人の間に、どれほどの沈黙が訪れた後か。

「…………驚いた。実直だけが取り柄の朴念仁な男かと思っていたけれど、意外と鋭いのね。それとも、ただの当てずっぽうかしらね」

 再びくすくすと小さな笑い声があがる。媚びよりも艶の方が強い笑い声に、馬鹿にするなと言い返そうとしたジークベルトの元へ、一歩二歩と彼女が歩み寄ってきた。

 元々それほど離れていたわけではない。

 でもたったそれだけ近づかれただけで、得体の知れない圧迫感を感じ、無意識の内にジークベルトの足が後退りそうになる。

 これまでどんな戦場に立っても、どんな強敵を目の前にしても、臆病風に吹かれて後退するような真似は決してしなかったはずなのに、このたった一人の娘を前に今、妙に逃げ出したいような衝動に駆られるのは何故なのか。

 それでもぐっと踏みとどまったのは、彼の中にすり込まれた意地と誇り故だ。

 少し身体を倒せば胸が触れ合う、そんな距離で立ち止まった娘は、どこか冷たくも見える笑みをうっすらと口元に浮かべたまま、両手を上げた。

 その手が向かった先はジークベルトの肩だ。

 真下から覗き込んでくる女の瞳に、否応なく顔が強ばっていく。

「私はリーゼ。でも、同時にノエルでもあるの」

「……どういう意味だ」

「そのままの意味よ。私はリーゼでもあり、ノエルでもある。でも今は……どちらかというと、リーゼかしらね?」

 意味が判らない。判らないが。

「……では、ノエルはどこへ行った」

「ノエルノエルと、随分ご執心のようね。腹立たしいったら……」

 苛立たしげな一言に、ジークベルトの眉間に深い皺が刻まれる。

 なおも繰り返し問い質そうとしたところで、不意に真下から覗き込む顔がぶつかる勢いで近づいてきて、息を飲んだ。

 リーゼと名乗る娘の手が、肩から首裏へ回り、そして爪先立ったのだ。

 まるで口付けでも強請るかのように、その顔が大写しになって、大きく目を見開いたまま言葉が出てこなくなる。

「ねえ、ジークベルト様? そんなにノエルが心配? あんな治療や薬の知識しか取り柄が無いようなつまらない娘が?」

「……当たり前だ。私はグローヴァ殿の元へ無事にノエルを帰す義務がある。それに……」

「それに?」

「……ノエルの技術も知識も貴重で重要なものだ。つまらない娘などと侮辱するな」

 絞り出すようなジークベルトの声に、リーゼが黙り込む。憮然としている様にも見えるし、何かを考え込んでいるようにも見える。

 一体どうすれば、自分の知るノエルに戻るのだろうかと、混乱した頭でも何とか考えようとした時だった。

「……そう。じゃあ、ノエルは返してあげるわ。今はね」

「……」

「ただ、お願いがあるの」

「……願いだと?」

「ええ、お願い。無事にあなたの知るノエルを返して欲しかったら、お願いを聞いて」

 それは願いではなく取引……もっと露骨に言うならば、脅迫ではないか。

 そう言おうとしたけれど。

「村へ、帰そうとしないで。帰りたくないのよ、あの村には」

 ほんの一瞬だけ切実そうに揺れる瞳。

 帰りたくないと訴える娘は、更にジークベルトの頭を引き寄せると、間近に迫った唇に囁くように告げる。

「あんなつまらない村には、二度と帰りたくない。ずっと閉じ込められていたの、やっと少しだけ自由になれたのよ……ねえ、お願い、ジークベルト様」

「……お前は」

 その後に何を言おうとしたのか、ジークベルト自身良く判らなかった。

 聞き届けることもできなかった……何を言おうとしたか判らない自分の言葉は、声になる前に、柔らかく塞がれたから。

 リーゼと名乗る女の、けれどその身体は確かにノエルのものであるはずの、唇で。

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