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第六章 白き魔女 3

 ノエルが公爵家へと戻って数日が過ぎた。

 伯爵の娘は何とかその後無事に持ち直し、もうノエルの診察でなくとも大丈夫だと思える程、順調に回復に向かっているようだ。

 ノエルの方もずいぶん調子と健康を取り戻したようだが、まだまだレミシアーナなどは、自分が世話になっていた立場である事もすっかり忘れたように彼女の世話を焼く事に夢中になっている。

 ジークベルトも顔を合わせる度、血色の良くなっているその顔色を見て安堵する。そして同時に罪悪感を覚える。

 ノエルのことはあまり他言しないで欲しいとコルッサ伯爵には口止めをしたが、しかし人の口に戸は立てられないという言葉どおりにどこから漏れたのか、瀕死の床にあった伯爵の娘を救ったという話は宮廷や貴族の間でも瞬く間に広がってしまった。

 並の医師や僧侶では敵わぬほど素晴らしい腕を持っていること、薬の知識も高いこと、そして若い娘であること。

 そのどれもが驚きと意外性を伴って人々の耳に聞こえ、好奇心をかき立てるようで今現在噂を耳にした貴族たちから診察の依頼が舞い込んできている。

 噂を確かめる為の興味本位や好奇心からのものも含まれているようだが、中にはかなり切実な訴えも存在していて、優れた医師や薬師を求めるのは貴族も平民も変わらないと強く実感させられるほどだ。

 しかしその訴えをジークベルトは今、自分の元で止めている。

 求められるままノエルへ依頼を下ろせば、彼女は断れずに全てを受けて、そして疲弊していくだろう姿が容易く想像できたからだ。

 かといって、ただの好奇心による依頼ならばともかく、切実な願いを込めて頼んできている依頼をいつまでも退けていると、いらぬ恨みを買う怖れもある。

 そのことを思うと、いくら妹の為とはいえノエルを王都へ連れてくるべきではなかったかも知れないと思わずにはいられない。

 まさか当初はノエルにこれほどの実力があるなどとは夢にも思わず、妹可愛さに安易に王都へ連れ出して、一人の少女の人生を変えてしまったのではないだろうか。

 やはりここいらが潮時だろう。

 今ならばまだ、ノエルの素性までは知られていない。人知れず村へ送り返し、自分が口を噤んでしまえば、貴族達もそれ以上追求はできないはずだ。

 ノエルを帰すとなれば、レミシアーナが悲しむだろうが……聞き分けて貰わねばならない。

 ただ、問題はその話をいつ本人に切り出すか、だ。

「帰すとなったら、早い方が良いだろうね。これ以上噂が一人歩きして、ノエルの素性を探ってくる貴族が出ないとも限らない」

 キースの指摘はその通りで、否を唱える理由など何一つ思い浮かばない。

 あるとすれば……

「……御前試合を見せてやると、約束したのだがな……」

 そう約束したときの彼女の表情を思い出すと、ちくりと胸の内を小さな痛みが走る。

 その御前試合まではもうあと一週間もない。すぐにノエルを帰すにしても、ジークベルトやキースは試合に向けて多忙を極めており、彼女を自ら村まで送ってやる事も出来ない状況だ。

「仕方がないよ。彼女だって理解するだろう」

「……そうだな」

 名残惜しい気持ちはあれど、彼女の立場を思えばやはり親元へ帰すのが一番なのは間違いない。

 問題はそれをどうノエルと、そしてレミシアーナに切り出すかだが……そう考えていた時だ、彼の元に家令から、とある報告が届けられたのは。

「ここ数日、ノエルが夜、一人で出歩いているだと?」

「はい……」

 にわかには信じられない報告だった。しかしこの家令が偽りをジークベルトの耳に入れるとは考えられない。

 ジークベルトは彼女が外へ出ることを特別禁じてはいない。

 禁じずとも、一人歩きは危険であることを彼女は理解していたし、これまでも無断で勝手な行動をする事はなく、その点に関しては信用していたからだ。

 なのにこんな時間に、たった一人で出歩くなど。

「それは事実か? 見間違いではないのか」

 念のためと確認を取れば、家令はとんでもないと言わんばかりにその首を横に振った。

「いいえ、見間違いなどではございません。普段の男装姿とは違い、女性もののローブ姿でしたが、あれは確かにノエルでした」

 きっぱりと言い切る家令の様子からは、嘘や勘違いを口にしているようには見えなかった。

 それが事実だとして、では普段頑なと言って良いほど男物の服ばかり身につけているノエルが、夜更けに一人女性の姿で一体どこへ行くというのか。

 家令の報告は続く。

「……恐らく、城下町へ降りているようです。夕べ確かめようと下男に後を追わせましたが、途中で見失ってしまったようで……ですが、見失ったのは王都の歓楽街の辺りだと」

「歓楽街だと?」

 ますます信じがたい。ノエルのような娘が、そんないかがわしく危険な場所に何の用があるのだ。

「門番はどうしている。なぜ彼女を通した」

 当然、屋敷の正面には門があり、門の前には門番が交代で寝ずの番についている。

 その門を通らねば外へ出ることはできないし、門番の目を盗んで出ることもできないはずだった。

 だが。

「……それが……居眠りをしていたようで……居眠りしていた事が露見することを恐れて、私が追求するまで黙っていたようです」

 思わず眉間に皺が寄ってしまった。自分の不手際を誤魔化すために、必要な報告義務を怠るなどあり得ない事だ。

 もし外敵からの侵入があった場合はどうするというのか。

 その門番への処罰は必要だろう、だが今はノエルの方だ。

「…………それで、ノエルは今どうしている」

「夜明け前には戻ってきているようです。今も自室にいるかと」

 いくら考えても判らなかった。判らない事を頭の中で考えこむのは、ジークベルトの性に合わない。

 すぐにもノエルに事実を問い質そうと腰を上げたが、そんな彼を止めたのはキースだ。

「待ちなよ、ノエルにも何か事情があるのかもしれない。いきなり問い質すのではなく、まずは理由を聞いた方がいいんじゃないかな」

 確かにノエルの性格を思えば、意味もなく夜更けに出歩くとは思えない。

「だが……事情とはどんな事情だ」

「知らないよ。それを確認するのが先だろう? どうする? 二人揃って訊きに行くのも萎縮させそうだし、俺の方から聞いてみようか?」

 その提案にしばし考え込んだ。キースに任せておけばきっと上手く話を聞き出してくるだろう。

 だが……

「……いや、私が行こう」

 頭に浮かんだ頼りなげな娘の姿に、どうも気持ちが落ち着かない。

 人任せにしてあれやこれやと気にするくらいならば、自分で動いた方がマシだと、キースの申し出を退けて自ら様子を窺いに行く事に決めた。

 きっとそれなりの理由があるはずだ。

 そう考えていたジークベルトの予想は、しかし思わぬ方向へ外れることになる。

 と言うのも、彼女は家令の報告とは全く違い、夜間に外出などしていないと言うのだ。

「外出の際は、いつもジークベルト様に許可を頂いてからにしています。王都へ来て、一人で外出したことはありません」

 確かにノエルの言うとおりで、彼女は実に良くこちらの言いつけを守り、背く姿など微塵もみせない。

 逆に何故そんなことを聞くのだろうと、ノエルの戸惑いがはっきり透けて見える。

 その言葉は嘘には見えず、かといって家令の報告が偽りとも思えず……一体これはどういうことなのだろう。

「……本当に出歩いてはいないのか?」

「……はい、あの、それが何か……?」

「……いや……夜中にお前の姿を見たという者がいてな」

「えっ……」

 瞬間、ノエルの顔が強ばったのがはっきりと判る。

 何か図星を突かれたような、ギクリとしたような、そんな表情に見えた。

 嘘をついてはいないが、何か心当たりはある……そんな様子だ。

「……もう一度問うが、本当に出歩いてはいないのだな?」

「……はい」

 ノエルをじっと見つめた。ジークベルトの眼差しを受けて、彼女はいささか居心地が悪そうに、そっと目を伏せた。

 きゅっと硬く引き結ばれた唇から、どうやらこれ以上この件について答えるつもりはないようだ。

「判った、お前がそう言うなら信じよう」

「……」

 何か行き違いがあったのかもしれない。あるいは誰かと見間違えた可能性も捨てきれない。

 暗い夜間だ、ノエルだと思っても実際には別人と言うこともあり得る。

 家令は間違いないと主張するだろうが、こうも真っ向からお互いに違う事を言うのであれば、無理矢理問い詰めても結論は出ない気がした。

 とは言え何か引っかかる感覚は残る。様子を見る必要はあるだろうが……その様子を見る時間も、もうそれほど長い間ではない。

 その事を思うと、胸の内側にほんの少し……でも無視できないほどの確かさで、苦い感情が込み上げた。

 それを噛み殺すように息を吐いて、ジークベルトは再びノエルを見据える。

「話は変わるが、それとは別件で、お前に話がある」

「はい」

「お前を、グローヴァ殿の元へ帰すことにした。準備に二日時間をやるから、その支度をしてくれ」

「えっ」

 瞬間、ぱっと顔を上げたノエルが目を丸くする。

 あまりにも唐突なジークベルトの申し出に、彼女は一瞬こちらが何を言っているのか、言葉の意味を掴み損ねたらしい。

 まるで零れ落ちそうなほど、大きく目を見開いた彼女は何かを言いかけてその口を開き、けれどやはり何を言えば良いのか言葉に迷う様子をみせた。

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