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第五章 密やかに笑う声 5

どくどくと脈打つ鼓動がいつもより早い。

 どうして、と困惑するノエルの耳にジークベルトの言葉が続いた。

「御前試合には見物に来ると良い。出ると決まったからには、無様に敗北するつもりなどない。おまえに我が剣や槍がどれほどのものか、見せてやろう」

「……私などが、構わないのですか?」

「大丈夫だよ、まあ一種のお祭りだからね。他にも沢山見物客は来るだろうし……それに君がいてくれたら、万が一怪我をするようなことがあっても安心だ」

「怪我などするつもりはない」

 きっぱりはっきり言い切るジークベルトに、キースが肩を竦める。

 揺るぎない自信を見せる若き公爵の姿に一瞬目を奪われた。そういう姿を見ると、やはりこの人は騎士なのだなと、そんな当たり前のことを強く感じてしまう。

 ノエルにはジークベルトがどれほどの腕を持つのかは判らないけれど、きっとその立場に相応しい、素晴らしい実力を持つのだろう。

 でも……この時、ふっと頭に先程の黒い蝶の姿が蘇った。

 どんなに頭から消そうとしても、気にしないようにすればするだけ頭の中により強くその姿が浮かんで、何か嫌なことがおこりそうな、不安が膨らんでいく。

 よりノエルを不安にさせたのは、明らかにあの黒い蝶が、自分が左手の力を使った際に現れる白い蝶と対になっているよう感じさせることだ。

 なぜあんな蝶が。白が自分ならば、では黒い蝶は誰の力によるものだろう。

 そして黒い蝶が纏わり付くくらい、ジークベルトやレミシアーナがその存在に近い場所にいる現実が、心臓が締め付けられるような苦しさを覚える。

 きちんと、話をした方が良いのだろうか。自分の力のことも、蝶のことも説明して、気をつけるようにと促せば少しは違うだろうか。

 ジークベルトならきっと打ち明けたとしても、悪いようにはしないだろう。むしろ親身に話を聞いてくれるのではないか……

「……あの……ジークベルト様……」

「なんだ」

 でも、彼が真っ直ぐにこちらを振り返ったその眼差しを前にすると、途端に何も言えなくなってしまった。彼を信用していないわけではない。

 自分が話すことによって、彼に迷惑が掛かるかもしれないと言う可能性に、気付いてしまったから。

 ノエルの力のことなど、知らなければ彼は知らないままで通せる。でも知ってしまったら……そうはいかないだろう。

「……いえ、あの…………どうか、お気を付けください」

 結局、そう告げるだけで精一杯だった。そんなノエルの言葉をジークベルトは、御前試合での事だと受け取ったらしい。

「なんだ、今からそんな大げさな。心配するな、これでもこの数年御前試合では負けなしだ」

 再びぐしゃぐしゃとジークベルトの手がノエルの髪を掻き乱すように撫でる。

 そして彼は朗らに笑うと、

「今夜はもう遅い、おまえも早く休め」

 そう言って手を離した。心のどこかで、遠ざかる手の平を惜しいと思いながら、どうして自分がそんな事を考えてしまうのか判らず、項垂れるように頷いた。

「はい。……でも、あの、その前にお部屋に薬湯をお持ちして良いですか?」

「薬湯? いや、いい。何となくさっきより随分マシになった」

 確かに帰ってきた直後と今とでは、少し顔色が良くなってきたようだ。

 薬湯も決して味の良いものではないので、飲まずに済むならその方が良いと思う気持ちは判る。判るけれど。

「でも……」

 やっぱり心配で、じっとその顔を見つめてしまう。そんなノエルの眼差しを受けたジークベルトは、一瞬目を丸くし、それからどういうわけか少し戸惑うように視線を泳がせた。

「ジークベルト様?」

「……いや、判った。……では、部屋へ持ってきてくれ。それが終わったら、今度こそゆっくり休め、いいな」

「はい」

 そんなノエルに、彼は一つ頷いてそのままノエルに背を向け、立ち去ってしまう。

 残されたノエルは彼らの背を見送り……やがて自らもエントランスから立ち去ると、真っ直ぐに厨房へと向かった。

 ジークベルトの為の薬湯の準備をしながら、考える。

 黒い蝶。御前試合。

 変わってしまった王子や王たち、そしてその王たちに振り回されるジークベルトにレミシアーナ。

 考えれば考えるほど、心がざわつく。

 願わずにはいられない、どうか悪いことが起きませんように、と。

 もちろん願ってどうにかなるなんて、本気で考えてはいないけれど……どうしても、様々な不安や考えが頭に浮かんできて止める事が出来なかった。

 結局、薬湯を差し入れた後、早く休めと言われたのに考え込んでしまって殆ど休めないまま迎えた朝。

 赤くなった目を濡れたタオルで冷やし、誤魔化してから、朝食の席に向かう途中だった。

 突然屋敷のエントランスの方向から騒がしい人の声と物音が響き渡り、何事かと踵を返して音の聞こえた方向へ向かう。

 何やらひどく切羽詰まった声は、悲痛な悲鳴のようにも聞こえ……どうやら外から来客が来ているらしい。

 一体どうしたのかと、そっとエントランスを覗き込めば、そこには家令のスチュワートと、他数名の使用人、そして明らかに貴族と判る中年男性が押し問答をするような有様でいた。

「どうか落ち着いてください。ただ今主人を呼んで参りますので」

「のんびりと待っている余裕はないのです! どうかすぐに……! こうしている間にも、娘が……!!」

 言い募ろうとした男性の言葉が途中で不自然に止まった。彼の彷徨う眼差しが、恐る恐る様子を伺うノエルの顔の上で固定される。

 大きく見開かれた男の瞳を受けて、思わずその必死の形相に押されて顎を引けば、男性はスチュワートの腕を振り切るように身を捩ると、真っ直ぐにノエルの下へ歩み寄ってくる。こちらがあっけにとられていても、全くお構いなしの様子だった。

「あなたが公爵家お抱えの医師ですか!」

「えっ……」

 厳密に言えばノエルは公爵家お抱えでも、正式に医者と名乗っているわけでもない。

 けれど多分そんな些細な違いは、この男には通じないだろう。

 どうしたものかと目を白黒させている間に、男は半ば強引にノエルの腕を掴む。

 太い指が柔肌に容赦なく食い込んで、痛みに顔を歪めるも、その表情の変化に男は気付いていない……いや、気付く余裕もないようだった。

「どうかお頼みします! 娘を、娘を救って下さい!! お願いします、どうか……!!」

 どう見てもノエルより遥かに高い身分で、歳も父親ほども上の男が、まるで縋り付くように懇願してくる姿に言葉は奪われたままだった。

「コルッサ卿」

 その時、ノエルに遅れてエントランスに姿を見せたのはジークベルトだ。

 コルッサというのがこの男の家の名らしい。

 そのコルッサに半ば強引に囚われているノエルの姿を目にして、ジークベルトの眉間に皺が寄る。その様子から、彼は男の事情を知っているようだ。

 一体何事か、と彼が男に問うよりも先に、おずおずとノエルが口を開いたのは、男の眦に透明な雫の欠片が見えたからだった。

「……あのう……一体何が、どうなさいましたか?」

 ぶるぶると男の手が震える。半ば嗚咽を漏らすように、ノエルの腕を掴んだまま男は涙ながらに訴えてきた。

「娘が……」

 彼……コルッサ伯爵の話によれば、彼の娘が嫁ぎ先で子を産んだあと、産褥により床についたままなかなか身体が回復しない。

 そして急に容態が悪化し、高熱を発しながらとうとう意識が戻らなくなってしまった。

 医者や僧侶に診せたが、皆口を揃えてもう助からないと言う。

 嫁ぎ先の夫やその両親まで既に諦めてしまっているような雰囲気だが、父親であるコルッサ伯爵は到底諦める事などできないのだと。

 伯爵の子どもはその娘一人だけではない。けれど幼い頃から掛け値ない愛情を注ぎ、育てて来た愛娘だ。

 長年想い続けて来た恋人と結ばれ、子どもにも恵まれて幸せな結婚生活を送るはずだった……それなのに、と。

「どうかお願いします、助けて下さい……!!」

 貴族である前に彼は一人の父親だった。

 子どもを思う親の気持ちは、ノエルも充分に理解できるから、痛いほどにその思いが伝わってくる。

 セトの時もそうだし、イリーナの時もそうだ。

 そして今、もう一人の父親が一つ二つ涙を落としながら、必死に助けを求める姿を前にして、他にどんな言葉が口にできただろう。

「……私は、正式な医者ではありません。拝見しても、お力になれない可能性もあります。…………それでもよろしければ……」

「ノエル」

 ジークベルトが気遣うような眼差しを向けてくる。

 彼が何を言いたいのかは薄々察しがついたものの、とても知らぬと突き放せるはずがない。

 それはジークベルトも同じようで、何とも難しい表情をしながらも、彼は駄目とは言わなかった。

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