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第四章 噂の始まり 6

 嘘をつけ。何か腹に思うことがあるから、こんなふうに絡んでくるのだろう、とじろりと睨めば。

「ノエル、ローブ姿似合っていたよね」

 ローブ姿。

そう言われて即座に頭に蘇るのは、事故で崖に転落した親子を助け出した後、汚れた服装を着替えた時の彼女の姿だ。

 柔らかな薔薇色のローブに身を包んだ彼女は、確かに良く似合っていた。

 ただ着ているものが普段と違うというだけで随分新鮮に見えたし、咲き始めた薔薇のような美しさに正直目を奪われたのも事実だ。

 普段は男物の衣装で地味に見え、目立たないながらも、よくよく見れば彼女は綺麗で品の良い繊細な顔立ちをしている。

 もっと年頃の娘らしく着飾れば、もっと花が開くような艶やかな美しさを発揮するだろうとそう思わせるほどに。

 だが……美しいと思えば思う分だけ、ジークベルトは逆に近寄りがたくなってしまう。

 どう扱って良いのか判らなくなるからだ。

 以前彼女に何故男装しているのかと、望めば高価なドレスも与えてやると言ったくせに、実際に女性らしい姿をされると、情けなくも狼狽えてしまう。

 元々ジークベルトにとってはレミシアーナ以外の女性は殆ど全て、謎の存在だ。

 美しい人を美しいと思うし、愛らしい人は同じように愛らしいとは思うが、そこから先へ進まない……どころか後退してしまう。

 突然泣き出したり、縋り付いてきたり、かと思えば自分の望み通りにならないと知った途端あっさり手の平を返したようにこちらに無関心になったり……もちろん全ての女性がそうだとは思っていないけれど、そうした女性があまりにも多すぎて、どう対応して良いのか判らない。

 その点ノエルは、今のところジークベルトの理解の及ばない振る舞いに出ることなくごく常識的な反応をしてくれるのが助かる。

 正直、あの格好はあの場限りで、再び男装に戻った姿を見てホッとしていた。そちらの方がずっと気兼ねなく接する事が出来るからだ。

 だが、別に相手が女性である事を忘れたわけではない。

「……似合っていたとは思う。それがなんだ」

「勿体ないじゃないか、あんなに似合っていて綺麗な子なのに」

「本人が好んで男装しているんだ。ノエルの自由だろう」

「それはそうだけどさ。…………はあ、この調子だとまだまだかな。春まだ遠しってところか」

 意味が判らない。

 本当に一体何が言いたいのだろうか。

 自分で言うのも何だが、ジークベルトはあまり察しが良い方ではない。

 黙っていても相手の様子や仕草で考えていることが判る、等と言う玄人のような技術は到底持っていないのだ。

 むしろ言われても判らない、ということも多々あるのだから、そんな謎かけのような言い方をされても、胡乱な眼差しを向けるだけだ。

 またも不機嫌に睨むと、降参とばかりにキースが両手を肩の高さにまで上げて広げる。

 そして気を取り直したように、話題を変えてきた。

「確かに彼女、何か不安を抱えている様子ではあるね。いや不安……というより、罪悪感かな?」

「罪悪感? 一体ノエルがどうして罪悪感など抱く必要がある」

 実のない会話に辟易していたジークベルトは、すぐにその話題転換に乗るが、しかしだからといって答えを得られるわけではない。

「俺が知るわけないだろう? ……ただ、まあ何か色々と抱えていそうだね。気を付けた方が良い」

「ノエルが何かこちらに危害を及ぼすと言いたいのか」

 ジークベルトが彼女と顔を合わせるようになってから一ヶ月半程度しか経っていない。人一人の為人を理解するには、あまりにも短すぎる時間だ。

 しかしそれでも判る事はある。ノエルは故意に人を傷つけるような真似が出来る人間ではない。

 むしろ人を傷つけるくらいならば、自分が傷つく事を選択するようなタイプの人間だ。

 だからもしキースが本気でそんなことを考えているのであれば、そんな必要はないと答えるつもりでいた。

 鈍いだの鈍感だの朴念仁だのと妹や知人女性達からは散々に言われるジークベルトだが、これでも人を見る目はある方だと自負している。

 少なくとも自分に害意があるかどうかをかぎ分ける事が出来る程度には。

 案の定、キースもそういう意味で気をつけろと言ったわけではないらしい。

 違う違うと手をひらひらと振って、

「そうじゃないよ。ノエルは逆立ちしても自分から他人に攻撃できるようなタイプじゃない」

 と否定する。親友と意見を違えることがなかったことは、素直に喜ばしい。

「でも、彼女にそのつもりがなくても、結果的にこちらに被害が及ぶということはあり得るだろう? それ以上に、俺が気をつけろと言ったのは、彼女は溜め込むタイプっぽいからね。思い詰めて身動きがとれなくなってしまうことがないよう、気にかけていた方がいいって意味だよ」

 その点に関しては、ジークベルトも頷いた。

 手先は器用なくせに、その生き方はどうにも少し不器用な印象の娘だ。

 自分とて器用な人間ではないが、下手をすれば更にその上をいきそうな気がする。

 だから余計、彼女が危なっかしく見えるのだろうか。

「そのつもりだ。私にはノエルをグローヴァ殿から預かった責任がある」

 それにグローヴァだけではなく、ノエル自身にもレミシアーナのことでは恩がある。

 あれほど深く傷ついていた妹が、彼女が側にいてくれるようになってからは見違えるように元気になった。

 まだまだ心の傷を忘れたわけではないはずだが、再び妹の屈託のない笑顔を取り戻すことができたのはノエルの存在が大きいのは疑いようのない事実。

 彼女が何を抱えていたとしても関係がない。

 親元に無事に帰すまでは、責任を持って守る、それだけのことだ……そう、心の中で繰り返しながらも、どこか頼りない娘の自分を見上げる紫水晶のような瞳を思い出すと、何とも説明のつかない感情を覚えるのだった。

 



 翌日すぐに先約のある子どもの往診を午前の早い時間に済ませ、それからジークベルトやキースと共にグラハムの屋敷へ向かった。

 三人で出かけると知ったレミシアーナが少し拗ねていたが、さすがに今回は彼女を連れて行くわけにいかない。

 ジークベルトの馬に乗せてもらって移動するのも、これで何度目だろうか。

 まだそれほど多くはないはずなのだが、ノエルの匂いや温もりをジークベルトの愛馬のノワールはすっかり覚えてしまったようだ。

 普段は気位の高い軍馬で、馬丁にすら気を許さず、ジークベルトも愛馬と心を通わせるのに相当な努力を要したとの話なのに、ノエルの存在を認めるとどうしたことか、甘えるような仕草を見せる。

 差し出す手に鼻先を押し付け、擦り寄る姿には普段の誇り高さは窺えず、まるで小さな仔猫にでもなってしまったかのようで、馬丁だけでなくジークベルト自身ですら随分と驚いていた。

「馬も人を見ると言うからね。何か馬に好かれる要素があるのかも」

 そうキースは言うが、言われたノエルの方は困ったように少し首を傾げて、苦笑を浮かべるばかりである。

 実際なんと答えれば良いのか判らない。そうですねと答えるのは少し自意識過剰に過ぎる気がするし、かといってそんなことありませんと言うのも明らかに親愛の情を見せてくれているノワールの様子が打ち消してしまうから。

「馬にも心根の美しい者は判るのだろう。ノエルは素直だからな」

「えっ……」

 思いがけない言葉に思わず、馬に跨がるジークベルトの姿を見上げてしまった。

「何その理屈だと、ノワールと心を通わせるのに時間がかかったジークや、未だにつんけんされている俺が心根が汚いみたいじゃないか」

「少なくとも清廉潔白という身ではないだろう?」

「そりゃそうですけど。汚れた大人で済みませんね」

 目を丸くしたまま見つめ続けるノエルの目の前に、ジークベルトが馬上から手を差し伸べてきたのは、そんな二人じゃれ合う会話を交わした後の事だ。

 その、当たり前のように差し出された手と、彼の顔とを交互に見比べた。ほんの一瞬、この手を取って良いのかどうか迷った理由は何だろう……自分でも、良く判らない。

「……? どうした、早く掴まれ」

「えっ、あっ、はい、申し訳ありません……!」

 怪訝そうなジークベルトの声にハッと我に返ると、慌てて彼の手に自分の手を伸ばした。

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