第四章 噂の始まり 5
確かにノエルの腕は素晴らしいと、ジークベルトも思う。
彼女はもっと多くの経験をすべきだと思うし、その腕をひなびた村で埋没させてしまうのはあまりにも惜しい。
彼女の腕はより多くの人々の為に奮う方が、国の為でもあるとすら思う。
だが……それはあくまでもジークベルトが思うことだ。
彼女が同じように考え、望んでいるとは限らない。
仮にノエルが望んでいない場合、自分が安易に引き受けてしまうことで、望まぬ役目を背負わせてしまうのではないだろうか。
もしノエルの性別が男性であったのなら、彼の将来にも役立つだろうともっと割り切る事ができたはずだが……彼女は女性だ。
女性には女性らしい願いもあるだろう。
何より、ノエルはどこか少し危うい雰囲気がある。
彼女本人が何か問題を起こしそうな危うさというわけではない。
ノエル自身は一見頼りなさそうにも見えるが、治療や薬の知識は確かで、多量の出血や無残な傷を目にしても怯えることもなくしっかりとした芯の強さも感じられる。
人柄も良く、慎ましく大人しい心優しい娘だ。
恩人の娘、という贔屓目もあるのかもしれないが、好ましい性格の人物だと思う。
だと言うのに、自分は何故彼女に対して危うさを感じるのだろう。ジークベルト自身でも良く判らない。判らないのだが……
「お話は理解しました。私としては是非お力になれればと思いますが……残念ながら、あなたの仰る人物は我が家お抱えというわけではないのです」
「それはどういう?」
「私も理由があって、無理を言って当家に滞在して貰っています。若い娘で、医師でもなく、かといって薬師でもないと言うのが本人の弁です。せいぜい、見習い程度だと」
「娘!? 私はてっきり壮年の男だとばかり」
「彼女の父親が医師で、その父の元で色々と学んでいますので、仰る通り腕は確かですが……当家の者ではありませんので命じることはできません」
とたん、グラハムは「むう」と唸るような声を漏らして束の間黙り込んでしまった。
実際の医師と見習いでは全く話が違ってくる。
それにこの時代、この国では女性に職業選択の自由は殆どないと言って良い。
女は早くに結婚し、家庭に入って子どもを産み育て、夫と子の為に尽くすというのが世間一般的な考え方で、むしろ余計な知識や技術を身に付ける方が好ましくないと言われている。
そうした慣習は女性を支配すべきだと考える男の身勝手な考え方だとジークベルトは思うが、そのように家庭に入る女性を好む男は多い。
グラハムも同じような考え方の持ち主であるならば、ノエルは決して好ましい存在ではないはずだ。
そう思ったのだが……しかしその後のグラハムの反応は、ジークベルトが考えていたものと少し違っていた。
「……いや、娘というのは驚きましたが、しかし却ってその方がよいのかもしれません」
「良いとは?」
「私の娘も十三と、難しい年頃です。男の医師や僧侶に身体を探られるのを嫌がります。その上僧侶は碌な診察もせず、瀉血を行うばかりで……今ではすっかり側に寄せ付けなくなってしまいました。その点同性であれば、娘も少しは安心して診察を受け入れられるのではないでしょうか」
なるほど、それは一理ある。ジークベルトも同じ理由でレミシアーナの側にノエルを付けているから理解できた。
「見習いであるということも、ご命令出来ないと言うことも理解しました。その上でお願いしますが、どうかその娘に打診してはいただけませんか。出来る限りのお礼もさせて頂きます、決して無理は言いません。どうかお願いします」
そうまで言われてしまうと、ジークベルトもそれ以上は断りにくい。
「……判りました、訊いてみましょう。ですがもし彼女が診察を断ったとしても、悪く思わないで頂きたい。私の恩人の医師である父親から預かった大切な娘です。どうかそれをお忘れなく」
「無論です」
結局ジークベルトは、グラハムから持ちかけられた話を、そのまま一度屋敷へ持ち帰ることにした。
グラハムの娘を心配する気持ちを思えば、ノエルにはできれば引き受けて欲しいと思うが、彼女に頭ごなしに命じようとも思わない。
ひとまず判断は本人に委ねようと、屋敷へ戻った後自分の書斎へノエルを呼び出す。
一通りの話を聞かされたノエルは、明らかに戸惑ったような表情をしていた。
やはり彼女も、知らぬところで自分の噂が広まっていたことに驚き、そしてグラハムの申し出に困惑したらしい。
この様子では断られてもおかしくないと感じたが……しばらく無言で考え込んだ後、口を開いた彼女はおずおずと、様子を窺うように問い掛けてきた。
「……あの、そのお話は……お受けしないと、ジークベルト様がお困りになりますか?」
「そんなことはない。グラハム卿も無理強いをしてまでとは言っていない」
「……」
「……だがまあ、それなりに親しい間柄だし、彼の娘を心配する気持ちも判るからな。一度診てみるだけでも引き受けてくれたらとは思うが」
嘘偽りのない正直な気持ちを口にすると、再びノエルは考え込むようにその目を伏せた。
どこか憂いを帯びているように見えるその表情に、彼自身どうしたものかと戸惑いを抱いた時、彼女の伏せられていた目が真っ直ぐにこちらを見上げて答える。
「……私でお役に立てるかどうかは、判りませんが……それでもよろしければ」
だがどこか不安そうな様子は変わらない。身分の高い者の診察に気負っているのかと思い、
「大丈夫だ、グラハム卿は見た目は厳ついが、穏やかな人柄の方だ。たとえ思うように行かなかったとしてもおまえを責めるような方ではない。そこは安心して良い」
そう言って励ましてみたつもりなのだが……
「はい……」
ノエルは小さく微笑んでくれたけれど、不安そうな印象を拭い去るほどの変化はなかった。
やはり、本音を言えば断りたかったのだろう。
しかしそれでも引き受けたのはジークベルトの付き合いや交友関係を考えてのことだと、キースにその手の心の機微に疎いと言われるジークベルトでも薄々察しがつく。
「感謝する」
素直に礼の言葉を口にすれば、どうしてかノエルはびっくりしたように目を丸くして、それから視線を泳がせるように再び目を伏せた。
彼女が何故そんな仕草をするのか、この時のジークベルトには判らない。
けれど、何となく目を丸くした彼女の様子を思い出して笑みが零れた。
まるで餌を探しに出てきた小動物が思わぬところで人に見付かった……そんな愛らしい仕草に思えたからかもしれない。
とにかくも、承諾を得たことで早速ノエルを連れて翌日、グラハムの下へ向かう事になった。とはいえ同じ日にあの怪我をした子どもの往診の約束もあるため、先にそちらを回ってからになるが。
明日の支度をしておきますと退出したノエルの背を見送って、静かに閉じた扉の音とほぼ同時に小さく息をつく。
「溜息なんてついて、どうしたのさ。一体ノエルの何が気に入らないの」
突然耳に飛び込んだ第三者の声に、ハッと背筋を伸ばして声のした方へ振り返れば、先程ノエルが出ていった正面の扉とは違う、右側の扉の影からキースが顔を出す。
その向こうはキースの私室へ続いている。
幼馴染みであり、最も心を許せる親友、そして従者として彼は常にどこへ行くにも、一番ジークベルトに近い場所に存在している。
お互いに遠慮がない関係を尊いものだと認識しているが、その分指摘も遠慮容赦がない。
今も何が面白いのか、ニヤニヤと口元に意味深な笑みを刻みながら、抜け目ない翡翠の瞳がジークベルトの内心を探るように見つめていた。
「……別に、気に入らないことなどない」
「本当に?」
まるでからかうような響きを持たせた声音に、むっと眉間に皺を寄せた。
そう、別に気に入らないことなどない。少し気になるだけだ。
「ジークにしては随分気に掛けているみたいじゃないか?」
「妙な言い方をするな。私がノエルを気にするのは、何故あれほどの腕を持っていながら、不安そうな顔をするのだろうかと、不思議に思ったにすぎない」
確かに女性の身では色々と思うように行かないこともあるだろうが、優れた医療の腕と知識を求める人々は多い。充分以上に働く事ができるだろうにと。
きっぱり言い切るジークベルトの返答に、しかしなぜかキースは「ふうん?」と相変わらず含みのある声を漏らす。こちらの言い分を、まるで信じていない様子だ。
それがジークベルトの勘に障った。
「何が言いたい。言いたい事があるならはっきりと言え」
その声音で自分がジークベルトの機嫌を損ねたことは察したのだろう。軽くおどけるように肩を竦めて、キースは相変わらず飄々とした態度で、
「別に何も言いたい事なんてないよ」
と答える。




