第四章 噂の始まり 3
そんな時、キースが出し抜けに明るい声を上げる。
「薬草採集か。面白そうだ、俺も行くよ。レミスも連れて行って良いかい?」
「構わないが、支度に長くは待たないぞ」
「大丈夫だよ、自分だけ楽しそうなことから置いて行かれると思った時のレミスの支度は驚くくらい早いから」
薬草採集は見た目ほど易しい仕事ではない。
立ったり屈んだりと意外に身体に来る作業だと彼らは知っているのだろうかと疑問に思ったが、笑顔でそう言われてしまうと否とは言えない。
それじゃあエントランスでまた、と一度別れてからおよそ十分後。
レミシアーナの支度は本当に早かった。
王都へ来てから屋敷にずっと閉じこもりっぱなしで、相当鬱々としている様子なのはノエルも判っていたが、まさか薬草採集にこれほど張り切ってやってくるとは。
スミグの森に辿り着いた後も、レミシアーナの楽しげな様子は変わらない。
「この花も薬になるの?」
「はい、薬の他にも染料やポプリにもできますよ。気持ちを落ち着ける効果があります。私の村では、若い女性はこの花で爪を染めたりもします」
「花で爪を染めるの!?」
「ええ。うっすらと薔薇のような綺麗な色がつきます。……少し多めに摘んでいきますか?」
「そうするわ」
ノエルの村ではさほど珍しいことではないのだが、公爵家の姫であるレミシアーナは、草花で爪を染める発想はなかったらしい。
物珍しげに特定の花を一つ一つ丁寧に摘み取っていく。
その手には草にかぶれないよう、きちんと手袋を装着済みなところが用意周到である。
薬草摘みに熱心なのは、レミシアーナだけではなかった。
「これは違うのか?」
「良く似ていますが、葉の裏側を見て下さい、薬草は白っぽい綿毛のようなものがついていますが、何もないでしょう? これは別の薬草です」
「こっちも薬草なのか?」
「はい。根を乾燥させて煎じると、お腹の薬になります。根ごと優しく抜いて下さい」
普段剣を握る、固く鍛えられた指で繊細な草の葉や根を慎重に採集するジークベルトは、手にした薬草の葉を何度も返して見たり、根の土を払ったりしている。
そんな彼に毒草だけには手を触れないよう注意を促して、これは何の効果があるか、どんな時に使うのかと説明を交えながらの薬草採集は、大丈夫だろうかと考えていたノエルの心配など裏腹に、普段こんな作業など行うことのない彼らにとっては新鮮なものだったようだ。
レミシアーナのように手が汚れたり荒れたりすることを気にしないので、見る間に彼の手は草の汁で染まり、泥で汚れていくがお構いなしだ。
「見ろ、ノエル! 豊作だぞ!」
薬草を山と積み上げた籠を掲げてみせる彼の笑顔がまるで少年のようだった。
「初めての薬草採集にしては上出来だろう!」
そう言って得意げに笑う姿は普段の彼と少し違って見えて、つい口元が綻んでしまう。
「本当に凄いですね。助かります、ありがとうございます」
素直に礼を告げればまたしても彼が無邪気に笑った。
こうして笑顔を見ると、ジークベルトとレミシアーナが血の繋がった兄妹だと実感させられる。普段は誇り高く近寄りがたい雰囲気なのに、笑うと途端に愛敬が零れるのだ。
特にジークベルトの笑顔は、実際の年齢よりも彼を少しだけ幼く感じさせ、何だか六つも年上の青年とは思えないほどだ。
いくら気分転換とはいえ公爵その人にこんな作業などさせて良いのだろうかと思っていたが、意外にも楽しんでくれているようで、ほっとした。
もっともこの作業も楽しんでいられるのは最初の数回だけで、これが毎回の事となるとそうではなくなるのだが……そんなことは今口にする必要もないだろう。
キースはキースで、新たに得る知識に純粋に感心している。
「これ、戦場で怪我をした時や体調を崩した時にも役に立つよね」
「そうだな。簡単な薬の作り方も覚えておくと、自分で処置できる分、軍医の負担も軽くなるだろう」
騎士達にとって怪我はごく身近な出来事だ。簡単な応急処置の他にも、薬の知識もあれば確かに役に立つに違いない。
「これはお茶にもできるの? おまえ、本当に物知りね」
レミシアーナの方も、本当に随分元気になったように見える。
以前は気分転換に外へ出るということすらしなかったそうだから、それを思えば随分な回復だと思う。
回復と言えば、崖から落ちて重傷を負った子どもの回復も早い。
少年はもうベッドから起き上がる事ができるようになったし、両親の傷も思ったより軽傷で、日々回復に向かっている。
ジークベルトは傷が癒えるまではゆっくりしていて良いと告げたものの、身分の高い貴族の屋敷では却って落ち着かないようで、子どもがもう少し回復次第、王都の親戚の家へ移る事を考えているそうだ。
両親からは涙ながらに、何度も礼の言葉を向けられた。
所持品の多くを失ってしまい、すぐには治療代も払えないけれど、きっと必ずお返ししますからと真摯な言葉を向けられる度、してはいけないことをしてしまった罪悪感がちくりと胸を刺す。
けれどそれと同時に少し安堵もした。彼らはまるで、疑っていないから。
不可思議な力を使われたことなど気付かず、純粋に全てノエルの医療の技術と薬のおかげだと信じている。
それはジークベルトやキース達も同じで、誰も疑う人はいない。
それを幸いとして、もう左手の力を使うのはよそうと、改めて心に誓う。必要であれば薬の処方や、自分にできる範囲での治療は行うけれど、不可思議な力は封じなくては。
そう考えていた時だ。
「ノエル、ちょっと口を開けてみろ」
奥の藪の方で何かを見つけたのか、ごそごそとしていたジークベルトが、不意にそんなことを言う。きょとんとしながらも言われるがまま唇を少し開くと、即座にその隙間に何かが押し込まれてきた。
思わず噛むと、じゅわっと果汁が広がる。その味と舌触りですぐに判った、ベリーだ。何か見つけた様子なのは、このベリーだったのだ。
時期にはまだ少し早いが、これは一足先に熟していたらしい。
「これなら私でも判る。美味いか?」
またも得意げな笑みを向けられた。だがその笑顔を微笑ましく思った先程と少し違い、今はどうしてかじんわりと頬に熱が昇る。
口に押し込まれる時に、彼の指先が唇に触れたせいか、それとも思いの他間近に近寄られたせいか、はたまた先程以上の笑顔のせいか……自分でも答えが見付からないまま、口元を押さえて数度頷いた。
そうか、と彼は満足そうだ。
自分の知っているベリーの味よりも、今口にしているもののほうがより甘酸っぱく感じる味わいに、困ったように少し視線を泳がせる。
彼の笑顔にどう返せば良いのか、戸惑ってしまった。
何となくじんわりと頬が熱くなる気がして、妙に落ち着かない気分だった。
そんなノエルの反応にジークベルトは気付いていない。くるりと背中を向けると、その先で自分にしたのと同じようにレミシアーナの口の中にも放り込んでやっている。
そんな姿を見ていると、とても自分より遥かに身分の高い人々には思えない……もっと近い存在のように感じてしまうから、少し困る。
決してそんなことは、ないはずなのに……
「どうした、ノエル」
少しだけ目を伏せた、たったそれだけの仕草にジークベルトが気付いて問い掛けてくる。民草の一人でしかない自分の様子にも、きちんと目を向けてくれる彼の真っ直ぐな眼差しに、再び先程と似た熱が頬から項に掛けて昇った。
「……いえ、何でもありません。……この薬草で、どんな薬が作れるか考えていました」
何でもない、その言葉だけでは信じて貰えなさそうだったので、慌てて言い訳のように後半の言葉を付け足したが、どうやら彼はそれを信じてくれたようだ。
そうか、と頷いて再び足元の草や花に目を向けている。
彼らと共に過ごすこの時間は、平和で平穏な一時だった。
この時間がずっと続けば良いと、そう願わずにはいられないくらいに。
けれど……一度、母の戒めを破った咎は知らないうちに、見えないところで確実に広がり、そして影響を及ぼし始めることに、この時のノエルはまだ気付いていなかった。




