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第四章 噂の始まり 1

 王都へ出てくるのは七年ぶりだ。

 住んでいた当時は十歳という幼い年齢だったためか、都の中の細かい部分はうろ覚えになってしまっているが、記憶に残っていることも多くある。

 このアルセーナ王国の王都は城郭都市である。

 都の周囲をぐるりと取り囲む城壁の門を潜り、目に飛び込んできた風景で胸の内を満たして行くのは、懐かしいという感情だった。

 それと同時に少し切なくも感じるのは、母との生活を思い出すからだろう。

 この都の隅で、ノエルと母は二人きりで生活していた。母は薬草にとても詳しく、ただの草にしか見えないものから沢山の薬と、絶妙な色合いの染め物を作り上げていた。

 その母の作る薬を近くの薬屋に卸し、染めた糸を織物工房に卸し、そこから得られる金銭で親子二人細々と暮らしていたのである。

 ……そう、この王都の生活に、父の姿はない。

 父とノエルは血の繋がった親子ではないのだ。

 本当の父の事は、名前も顔も知らない。

 母は一言も教えてはくれなかったし、昔の事を訊こうとすると、決まって辛そうな悲しそうな顔をするので、ノエルからも訊けなかった。

 だから今でも実父の事は判らない。今の父を本当の父親だとそう思っている。

 当時、引っ越す前の町でも、王都に越してきてからも女二人の生活はそれほど豊かではなかった。

 薬屋の主人は親切にしてくれたが、織物工房の親方は厳しくて、沢山の仕事を任せてくるのに渡される金銭は多くなかった。

 あの時は良く判らなかったけれど、成長してある程度物価が理解できるようになると、染め糸は随分買いたたかれた値段である事が判る。

 多分母子家庭という足元を見られたのだろう。

 そしてそこには、父親の判らない子どもを産んだ女に対する厳しい世間の目もあったに違いない。

 それに母はあまり周囲の人と深い付き合いをしなかった。それどころか、いつもひっそりと目立たないように暮らすことを心がけていたように思う。

 断片的に蘇る母との思い出が、まるで絵のように一枚一枚頭の中を過ぎる。

 優しかった母。けれどいつも何か気を張り詰めている様子だった。

 今思えば、きっと母なりにあれこれと心配事や不安な事が沢山あったのだろうと思う。

 その母の心配事の一つに、我が子の左手の力や、親兄弟のいない頼りない身の上だったことも含まれるのは間違いない。

 そんな母と、今の父であるグローヴァが出会ったのは九年程前のことだ。

 薬屋で手に入れた薬の出来に惚れ込んだグローヴァが、薬屋の主人に無理を言って母の元に案内されてきたのだ。

 一目惚れだったと、今でもグローヴァはそう言って照れ臭そうにはにかむ。

 母の薬と製薬方法が目的で会いに来たのに、いつしか母に会うことそのものが目的になっていたと。

 彼にとっては、母に子どもがいることも何の障害にもならなかった。むしろ本当にとてもよく可愛がってくれたと思う。

 グローヴァの訪れを心待ちにするようになったのは、多分母よりも自分の方が早かったに違いない。焦らずに何度も訪れて、少しずつ距離を埋め、母の心を解きほぐしてくれた。

 そして七年前の戦の際、軍医として徴兵されたグローヴァが無事に王都へ戻ってきた時、母は出会ってから二年の歳月を経てグローヴァの求婚を受け入れ、彼と共に王都を出て、グローヴァの生まれ故郷である今の村へ移住した。

 二人の結婚生活は、突然の母の死でたった一年で終わりを告げた。

 でもその一年は多分、これまでの母の人生の中で最も幸せな時間だっただろう。それはノエルも変わらない。

 母が亡くなった後も、グローヴァはどうか娘をお願いしますと、託すように息を引き取った母の願いを忠実に守るように、愛し守ってくれている。

 村でも、父と自分は実の親子ではないと疑う人はいない、それほど自分達は自然な家族だった。

 父に自分は何をしてやれるだろうといつも考えるけれど、その答えはまだ見付からないままだ。

 そんな父と離れて、自分だけ王都に戻ってきてしまった。

 自分に出来ることをしっかりやりなさいと笑顔で、でも少しだけ心配そうに見送ってくれた父のために、王都に滞在中に何か土産になるものを探してみようか。

 あまり物欲のない父だけど、それでも喜びそうなものはあるはずだ。

 問題は、今自分に手持ちの現金がないことだが、昔母がしていたように需要のある薬を作り、付き合いのあった薬屋に持ち込めば、買い取って貰えるかも知れない。

 あの薬屋の主人は今も元気だろうか。

 母子家庭の自分達を心配してあれこれと気を使ってくれた人だから、きっと自分のことも覚えていてくれているだろう。

 一度時間を見て、会いに行ってみようか。

 材料となる薬草も、以前母が通っていた、南のスミグの森へ行けば見付かるだろう。森へは、母に手を引かれて何度も通った記憶がある、全く土地勘がないわけでもない。

 それに販売用の薬の他にも、そろそろ手持ちが少なくなってきている。

 切らせてしまう前に補充できるものならば、しておきたかった。



 

「スミグの森へ行きたい? 何のためにだ」

「薬草を摘みに行きたいのです。……それに……」

「それに、なんだ?」

「薬を作って、売れる物なら少し売りたいと思います。傷薬とか、お腹の薬とか……あの、決して公爵家にご迷惑になるようなことはしませんので、どうか」

 薬を売りたいと、そう告げた瞬間に難しい顔になったジークベルトの様子に、慌てて言葉を繋げれば、ますます彼は眉間に皺を寄せてしまった。

 どうしよう、何が気に入らなかったのだろう。

 下手に薬を売られて、それが原因でトラブルになる可能性を心配したのかと思ったが、ものを作って売る、という発想そのものが駄目なのだろうか。

 戸惑うように視線を彷徨わせるノエルだったが、ジークベルトの後ろで話を聞いていたキースまでもが溜息をつく。

 ますます身を竦めるノエルに、彼は言った。

「別に君が悪いわけじゃないよ。気が回らなかった俺達の方が悪い。君が薬を作って売りたいというのは、現金が欲しいからだよね?」

「は、はい。……王都にいる間に、父へ何か買って帰ることができればと……」

 何かを得るためには、対価が必要だ。この場合の対価とは当然貨幣……つまり現金になる。

 当たり前の世間の決まりである。

「ほら、ジーク。俺達はかなりあくどい真似を彼女にしていたことになるよ」

「えっ」

 思わず声を漏らしてしまったのは、キースの言葉の意味が判らなかったからだ。あくどい真似とはどういうことか、ノエル本人に全く心当たりがない。

 大きく見開いた目を、二度三度と瞬きする……すると、どういうわけかジークベルトも小さく溜息をつき、それから自分の机の引き出しから何か小さな布袋を取り出した。

「取っておけ」

 そのままずいっと目の前に差し出され、思わず両手で受け取ると……布袋の中で丸く平べったい、固い感触がする。

 覚えのあるその手触りに戸惑った視線を上げると。

「これまでの働きのぶんだ。これからは十日毎に決まった額を払う。とりあえずそれで足りるか確認してくれ」

 言われるがまま袋の口をあけて、出てきたものに息を飲んだ。

 中身が何か薄々察しはついたが、その額は予想した以上のものだ。

 何しろその中は銅や銀だけではなく、金色の硬貨も十数枚は収められていたからだ。

 庶民の生活の中で、金貨などまず手にする事はない。普段は銅貨、せいぜいが銀貨止まりだ。

 これだけの金貨があれば、普段の生活がどれほど行えるのかまるで想像もつかなかった。

「こ、こんなにいただけません」

 慌てて布袋を返そうとする。しかしそれをジークベルトは受け取らない。

「それはおまえの正当な報酬だ。むしろ、今まで遅くなって悪かった」

「そんな、とんでもない」

「言い訳だが、普段はこんな大切な事を忘れたりはしないはずなんだ。どうもおまえを見ていると、他人と思えなくてな」

 それはつまり、身内と思ってくれているということなのだろうか。

 確かに身内相手に、何かしたところでそれの報酬として金銭のやりとりを行うということは、あまりないだろう。

 まだ会ってそれほど長い付き合いではないはずなのに、それだけの親しみを持ってくれていると言うことなのだろうか。

「へえ。良い事聞いたんじゃない? お兄様って甘えたら、大抵の事は何でもしてくれるかもしれないよ? この前みたいな衣装だって買ってくれるかもね」

「馬鹿を言うな、何でもは現実的に無理だ。……まあ、衣装程度ならどうとでもなるが」

 すっとジークベルトの視線がノエルの身体を見下ろす。

 その視線にどんな意味が含められているのかは、言われずとも判った。

 今のノエルの衣装は、これまでと同じ男物のチュニックとホーズ姿だ。つまり先日のような女性物のローブではない。

 これまでノエルが女性物に袖を通したのはあの時だけで、数時間後には男物の衣装に戻ってしまったことを、キースは大層惜しんでくれたし、ジークベルトも少しばかり複雑そうな表情で見ていたことを知っている。

 やはり女の身で男装などみっともないだろうか。

 機能的で動きやすく、自分には合っていると思うのだが……今与えられている服だって上等な品なのに、これ以上綺麗なものを与えられても、汚してしまいそうで何もできなくなる。

 もちろん、キースの冗談のようにこれ幸いと甘えて強請る、等と言う真似もできるはずもなく、なんと答えたら良いのか判らず沈黙すると、ジークベルトが続けて言った。

「十日毎に払う賃金は、金貨三枚で良いか」

 しかしこの申し出にもびっくりして飛び上がりそうになった。

「と、とんでもないです、もう充分で……!」

「遠慮深い奴だな。ちょっと名の知れた教会の司祭など、一度の診療で堂々と金貨の十や二十は要求してくるぞ」

「私は、医師でも、薬師でもない、見習いの身分ですから……それにあの村で暮らす分には、こんなに沢山頂いても使い道がありません」

 もちろん父が医師として実家が診療所になっているので、患者からは治療代は貰う。それを家業としている以上、対価として金銭を受け取ることを否定するつもりはないし、生活する上でも絶対的に必要な物だ。

 だけど何事にも限度という物があると思う。

 ノエルは一般的な庶民の生活に慣れ親しんでおり、どちらかというと日々の生活も慎ましい。ありすぎるものを貰っても、正直扱いに困るというのが素直な気持ちだ。

「おまえの腕を、見習いと一言で切って捨てるには惜しすぎると思うがな。……まあいい、そう言うなら定期報酬は私が預かっておこう。だが預かるだけだ、村へ帰る時には纏めて渡してやる。それ以前でもおまえの報酬なのだから、必要になれば遠慮なく言ってこい」

「でも」

 なおも断ろうとすると、ほんの少しだけキースが強い口調で告げてきた。

「ノエル。感謝の気持ちを伝える、その手段は人それぞれだと思うけど、報酬はきちんと受け取りなさい。そうでないと、無料、あるいは低価での労働が当たり前になってしまう。君はそれで良くても、同業者は困るだろう?」

「……」

 そう言われてしまうと、断り切れない。

 手の中の袋を三度見下ろす。

 どうしよう。ちょっと父へお土産を買って帰れたらと思っただけなのに、それ以上の報酬を貰ってしまった。

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