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第三章 白蝶 3

 生まれつき、ノエルの左手には他者の傷や病を癒す魔法の力が宿っている。

 初めてそのことに気付いたのは小さな子どもの時だった。

 自宅の庭先にカラスに襲われたのか、傷ついた小鳥が蹲るように落ちていて、今にも死んでしまいそうなその小鳥を助けてあげたいと願った。

 すると左手が熱くなり、手の中に拾い上げていたその小鳥が突然全ての傷を癒して飛び立っていったのだ。

 びっくりして、最初は気のせいかと思った。

 けれどそれからまた再び、左手の力を使う機会が訪れる……近所の子どもがふざけて上った高い塀の上から転げ落ちて、大怪我を負ったのだ。

 泣き叫ぶ子どもの傷口に手を添えると、その時も左手が熱くなった……そして気付けば、子どもの傷の大半はその手の下で癒えていたのだ。

 素直に嬉しくて、その喜びのまま母に伝えた。

 きっと、凄いわねと、そう喜んで笑ってくれると思っていたから。

 だけど……ノエルの左手に治癒の力が宿っていると知った母は、喜ぶよりも、深く嘆き悲しんだ。どうしておまえに、とそんな言葉ばかり繰り返して。

 そして、決して二度とその力を使ってはならないと、誰にも知られてはならないときつく言い含められたのである

 始めは、どうして母がそんなに嘆くのか、その理由が判らなかった。ノエルにとって自分の魔法の力は素晴らしいもので、この力があればもっと沢山の動物や人を助けることができる、母の助けになれるとそう思っていた。

 でもどうして母がそれほど嘆いたのか、その理由を朧気ながらに理解したのは、そのすぐ後だ。

 子どもの傷を癒したその数日後、母はノエルを連れて誰にも何も告げずに、当時暮らしていた町を出てしまったのである。

 まるで逃げるような母の行動に、どうしてこれほど急に引っ越さねばならないのかと、折角できた友達にも別れを告げる事のできなかったノエルは嘆いたが、その嘆きは町を移動する途中見かけた、魔女の火刑現場で引っ込んでしまった。

 国では二十年も前に魔女裁判や魔女狩りは法律で禁じられ、表向き悪しき慣習はなりを潜めたように思われている。

 それでも完全に消え去ったわけではない。

 悲鳴を上げながら無実を訴え、それでも炎の中に消えていく……ノエルがその、魔女と罵られた女性が家族と共に焼かれた姿を目撃したのは、八つの歳の頃だ。

 そしてその時に知ったのだ。自分のこの治癒の力も、他者や教会の人々にとっては異形の、神に背く力なのだと。

 このことをもし人に知られれば、自分も焼かれる。自分だけでなく、母ももろともに。その時に感じた恐怖と目にしてしまった凄惨な火刑の光景は、幼い少女の心を縛り上げるのに充分だった。

 それ以来、ノエルは決して力を使うまいと、母の言いつけを守ってきた。

 自分の力があれば助かる人がいると判っていても、目の前で亡くなる人や家族の嘆きを目にしても、全て父の背に隠れて見ないフリをしてきた。

 仕方がないこと、それがこの人の運命なのだと、そう思うようにしてきたのだ。

 全ては父という存在があったからこそ、できたことだった。

 でも……今回、助けを訴えられる立場になってようやく、医師としての父の辛い立場を理解できたような気がする。

 どうか子どもを、親を、夫を、妻を、兄弟を、大切な人を。

 助けて下さいと縋ってくる人の、意に反したことを告げるのはどれほど辛い事か。

 父には治癒の力もなく、娘がそんな力を持っていることも知らない。

 だからその時を粛々と受け止め、誠意を持って患者と相対するしかない……多分、人としてそれが正しい。

 医師として出来る限りの事はする。けれどどうしたって手の及ばない事がある、その事実を曲げてはならないのだ。

 だけど今回、ノエルにはそれができなかった。尊い命を助けたのだと、自分を誇りに思うよりも、本来の正しき運命をねじ曲げてしまったような怖れの方が強い。

 必要最小限の力しか使っていない。傷の殆どは今も子どもの身体に残ったまま、後は正しい治療で癒していくことになる、など何の言い訳にもならないだろう。

 普通ではありえない力を使ったのは事実。

 いつか、この歪みはどこかに現れて、自分を飲み込む時がくるのだろうか。

 それにあの時舞い上がった白い蝶は一体なんだ。

 すぐに消えてしまったのも、ノエル以外誰も気付かない様子だったのも、やはりあの時の黒い蝶と似ているように思えて仕方ない。

 幼い頃力を使った時には、あんな蝶は舞い上がっただろうか……あまりにも昔の事過ぎて覚えていないけれど、ひょっとしたらいたのかもしれない。

 ノエルが、突然現れた蝶の存在よりも、小鳥や子どもの怪我の方に気を取られていて見落とした可能性は充分ある。

 どう考えてもあの白い蝶は自分が癒やしの力を使った時に出現した。

 ではあの時目にした黒い蝶も同じように誰かが何かの力を使った証なのか。

 レミシアーナに特別な力があるようには思えない……黒と白の蝶。

 いくら考えても答えは見付からない、ノエルは何も知らないから。良いものなのか、悪いものなのかも。 

 ただ自分の行いが、自然の摂理に背いている事実だけははっきりと感じる。

 それでも子どもやその両親を含め、全ての治療が終わるまでにどれほどの時間がかかっただろう。

 気付けば随分な時間が過ぎてしまったようで、見上げた空はすっかり星空に変わってしまっていた。

 これほど暗くなってしまっては、もう次の街まで移動することはできない。

 表に出れば、騎士達が野営の支度をすっかり整えている。きっと今夜は交代で寝ずの番につくのだろう。

 つい先程までノエルが治療を行っていた場所も、騎士達が張ってくれた天幕の中だ。

 今、その中では眠り続ける子どもと、その子どもに寄り添う両親がいる。

 ありがとうございますと、何度泣きながら両親に手を握られ、感謝の言葉を告げられただろうか。

 その言葉自体は嬉しいはずなのに、今ノエルの胸の内をしめているのは罪悪感と恐怖だ。

 母の言いつけに背くような真似をしてしまった罪悪感と、してはいけないことをしてしまったような恐怖。

 きっとあの子どもの命は、今日、あの場所で尽きることが運命だっただろうに、それを黙って見送ることのできなかった自分の我が儘で引き延ばそうとしている。

 こんな行いを、神は許してくれるのだろうか。

 じっと自分の手を見つめた。既に手は綺麗に洗い流したが、袖口を始め服の至る所に血が染みこんでいる。まるで自分の方こそがどこかに大きな傷でも負っているのか、と言わんばかりに。

 ぎゅっと両手を握り締める。そのまま、左手を自分の額へ押し当てた。

「どうしたノエル。気分でも悪いのか」

 誰も自分の方を見ていないと思ったのに、突然そんな声を掛けられて、大げさなくらい肩が震えてしまった。

 この時自分は一体どんな表情をしていただろう。多分、ひどく強ばった顔をしていたに違いない。

 その証拠に声を掛けてきたジークベルトが、驚いたように目を丸くしている。

「……おまえ、顔色が真っ青だぞ」

 こんな夜空の下、いくら近くで松明が燃えているとはいえ、顔色など判らない。

 そのはずなのに、ジークベルトの目にそう見えるくらい自分は顔色を無くしているのだろうか。

 何故そんなに青ざめているのかと、自分の心の内側を探るような真似をされたらどうしようと怯えたが、幸いにも彼はノエルの顔色の悪さを疲労のせいだと思ったらしい。

「疲れただろう、早く着替えて、食事をすると良い」

 視線の先では、食事の支度が進んでいる。もうすぐで整うだろう。

 野外でもある程度の料理ができるだけの材料と道具を積んできているため、少なくとも次の街に着くまで空腹を堪える、と言う必要はなさそうだった。

「……はい、ありがとうございます。あのご夫婦にも食事を運んで行って構いませんか?」

 結局あの夫婦は崖の下に、馬車や馬の他多くの荷物を落とし、失ってしまった。

 回収出来る物は騎士達が回収してくれたようだが、遥か下まで転げ落ちてしまったものもあるし、壊れて使い物にならない物も多い。

 親子で商売の為、王都へ向かう途中だったと聞いた。その売り物も壊れ、傷つき、すっかり汚れてしまっていて、殆ど価値はないに等しいだろう。

 今日口にする食べ物もない。

 子どもや自分達の命が助かったと喜んだのも束の間、これから先の厳しい生活を想像すると、どれほどの不安に陥るだろうかと思う。

 せめて今夜の食事だけでもと思っても、ノエルにはジークベルトの温情に縋るしかない自分が少し切なかった。

 けれどそんなノエルの、おずおずと申し出た言葉に彼は当たり前のように言った。

「そちらへは誰か別の者に運ばせる。良いからおまえは早く着替えてこい、酷い格好だぞ。そんな格好で食事を運ばれてきても、相手も困るだろう」

 改めて自分の姿を見下ろすと、確かにひどい。折角の料理も、これでは台無しだ。

「あちらの奥の天幕でレミスが待っている。お前の着替えもそこにあるはずだ、行ってこい」

「……はい」

 ぺこりと頭を下げて、示された場所へ向かおうと一歩足を踏み出した時だった。

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