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第二章 王都への誘い 5

 退出するこちらに気付いて振り返るジークベルトとキースの二人に黙礼を残し、レミシアーナの手をとったまま、彼女の部屋へ戻る。後に続くのはヘレナだけだ。

 自分の部屋の、カウチにそっと腰を下ろしても、レミシアーナはすぐにその口を開かなかった。黙って自分の隣に座るようにと目で促され、そんなことはできないと首を横に振ったけれど、まるで縋るような眼差しを向けられると長く抵抗はできない。

 恐る恐ると言った様子で、なるべく浅い位置に腰を下ろしたが、上等なクッションの感覚が妙に落ち着かなかった。

 そのままどれほどの時間が過ぎただろう。

「……お願い、ノエル。おまえも一緒に、王都へ来て欲しいの」

 思い切ったように切り出された言葉に、思わずひゅっと息を飲んでしまった。そんなノエルの反応を、レミシアーナは拒絶と感じたのだろうか。

 必死に言葉を言い重ねてくる。

「私達がここにいるまで、という約束だったのは判っているわ。でも、そこを曲げてお願いできない?」

「……レミシアーナ様」

「お兄様にはああ言ったけれど、本当は不安……ううん、怖いの」

 怖い。

 たった一言の短い単語に込められた感情は、いかほどのものなのか。少なくとも想像するだけでレミシアーナの心を縛り付けるだけの威力はあるはずだ。

「……何が、怖いと思われるのですか?」

「……王都へ戻って……もし、またあの方とお会いすることになったらと思うと」

 あの方、が誰を指す言葉なのかは、何となく判る。婚約者であった、第二王子だろう。

「だけど、一番怖いのは……ベロニカ様よ」

「ベロニカ様?」

 初めて聞く名だ。それは一体誰の事だと思った疑問は、そのまま顔に表れたらしい。レミシアーナは口にするのも嫌だと言わんばかりに、ぶるっと身を震わせると、話を続けた。

「おまえにはまだきちんと話していなかったわね。私と殿下……エセルバート様との婚約が破棄された時のこと」

「それは……」

「聞いてくれる? 私の話を聞いた上で、判断して欲しいの」

 何となく判っていた。この後の話を聞いてしまった後だと、きっと自分はレミシアーナの願いを断る事はできないと。

 でも今この時、彼女の口を止めさせることもできない。僅かに目尻を下げ、困ったように、それでも黙って耳を傾けるノエルに、彼女は語った。

 レミシアーナと第二王子エセルバートは、幼い頃から将来夫婦となることが定められた婚約者だった。アルベーニ公爵家は、代々国に貢献してきた騎士の家系で、歴代の将軍、そして将軍達の頂点に立つ大将軍を輩出している由緒正しい家系だ。

 過去には家の者の中から王妃を出した事もあるし、逆に王族の姫を娶ったこともある。

 本来ならば第二王子ではなく、その上の王太子の妃となっていてもおかしくない。

 それを第二王子との間に縁談が纏まったのは、ひとえに周囲の人々が二人の幸福を願って、互いの初恋を叶えようとしてくれたからだ。

 幼馴染みとして育った二人は、小さな頃からとても仲が良く、それが恋に発展するのに長い時間は必要としなかった。

 成長してからもエセルバートはレミシアーナに優しく、真摯に接してくれていた。

 突然婚約破棄等と言う暴挙に出たところだけを聞くと、なんと酷い王子なのかという印象を抱くが、以前の彼は決してそんな心ない真似をする人ではなかったのだと。

「けれどエセルバート様は、ベロニカ様と知り合ってから変わってしまったわ」

 その女性、ベロニカ・ブローマーは男爵家の娘で、ある日突然宮廷に父であるブローマー男爵に連れられて現れたのだという。

 年頃はノエルと同じか、一つ二つ上か。

 たちまち彼女は宮廷で話題を浚うようになった。

 それほど彼女は美しかったし、そして男性の目を引きつける艶やかさがあったのだ。

 最初、エセルバートはそんなベロニカにさして興味を持っているようには見えなかった。騒ぎ立てる他の貴族青年達を見て、逆に呆れた様子だったくらいだ。

 だからレミシアーナはすっかり安心していたのだ。彼とベロニカがどうにかなることなど、考えてもいなかった。

 今思えば、暢気すぎたのかもしれない。婚約者を信じて特別な手段を講じなかったことを後悔するのは、それから間もなくの事だ。

 気がついた時にはもう、レミシアーナの知らないところでベロニカは、エセルバートの懐深くに潜り込んだ後だった。

 ついこの間まではレミシアーナを見て微笑んでくれていた人が、その後からは他人を見るような……いや、それよりも冷たい眼差しを向けてくるようになった。

 一体自分の何が相手の気を損ねたのか判らなくて、何度も話し合いの場を持とうとしたけれど、まるで人が変わったようにエセルバートはレミシアーナを相手にせず、そして代わりのようにベロニカを側に置くようになったらしい。

 公爵家の姫として上にも置かぬ扱いを受けていたレミシアーナにとって、格下の家の娘に婚約者の心を奪われる事はひどい屈辱だ。

 でもそれ以上に傷ついたのは、エセルバートの態度の方である。

 どういうことかと訴えるこちらに対し、彼は何一つ誠実な対応をしてはくれなかった。

 それどころか、レミシアーナの目の前でベロニカを抱き寄せ、二人で何事かをくすくすと話ながら、意味深な眼差しを向けて寄越す始末だ。

 男女の濃密な雰囲気を見せつけられては、未だ初心なレミシアーナには何も言えなかった。

 そして、結果的に婚約を破棄された。

 以前は必ず幸せにすると言う言葉を告げたのと同じ口で、今はおまえを愛することはできないと。

 その時にもベロニカはエセルバートの隣にいて、彼の言葉を聞きながら、形ばかりは申し訳なさそうに瞳を伏せつつも、その目は笑っていたとレミシアーナは言う。

「……そんなやり方が、許されるのですか」

「事情を知ったお兄様は強く抗議してくださったわ。あまりにも酷いなさりようだと。でも……」

 エセルバートは一切取り合わなかったどころか、本来ならば王子を諫めるはずの王や王妃の態度さえ煮え切らないものだったらしい。

 しまいにはあまり事を騒ぎ立てるようならば、将軍位を取り上げるとまでエセルバートが脅してくる始末だ。

 第二王子であるエセルバートに、そんな権限はない。

 いくら何でもそんな横暴を王も認めるとは思いたくない。冗談ではないとこちらは更に抗議を重ねても、当然の状況だった。

 しかしこれ以上騒ぎにしては、誰よりもレミシアーナの名が傷つく。

 必ずエセルバートも自分のやりように気付き、後悔する時がくるから、どうか今は怒りを堪えて欲しいと王ではなく王太子に頭を下げられて、引きさがらずを得なかったのだと。 

「あの時の、エセルバート様のお言葉は一生忘れられない。……でも同じくらい、あの時のベロニカ様の目を忘れられないの」

 どこにいても、何をしていても彼女が自分を嘲笑っているようで。

 おまえは自分より劣った存在なのだと……どんなに高い身分でも、想い人一人繋ぎ止めることのできない子どもなのだと、そう言われているようで。

 愛した人を奪われ、プライドを傷つけられ、思い描いていた未来まで潰されて、レミシアーナには絶望と恐怖しか感じられなかったと。

 婚約破棄をされてから、泣くかわめくか、薬で死んだように眠らされるかだった。

 みかねた兄が少しでも喧噪から離れて心を落ち着けられればとこの村に来た時も、あの湖に落ちた時も、自ら死ぬつもりはなかった。

 だけどいつだって、自分が死ぬ時の事は考えていたと打ち明けられて、これまで以上に彼女の心の傷の深さを教えられる。

「助かって、兄様やキースがいつも側にいてくれて、そしておまえもいてくれるようになって、随分落ち着いたつもりよ。今はもう、自分が死ぬ時の事なんか考えていない」

「……はい」

「でも、またベロニカ様の顔を見たら、心が揺れそうで怖いの。あの人の目を見ると、悔しいとか、腹立たしいとか思う以上に、心がどこか深いところに沈んでしまうような気がするのよ」

 そして沈んでしまった心はそう簡単には浮き上がってこられない。

「本当は、王都になんて戻りたくないわ。でも、今回ここに来るだけでもお兄様がどれほど無理をして下さったのか、判っているつもりよ。お兄様の立場では、こんなふうに王都や、主領地の城を離れることなどできないのだから」

 それでもジークベルトは、まずは何よりレミシアーナの心が回復することを願って、こちらを優先してくれた。

 婚約破棄など公爵家にとっても不名誉かつ醜聞でしかないはずなのに、ただの一言も責めず、ただ心に寄り添うように心配してくれていた。

 それはどれほど心が絶望に染まろうと、きちんと伝わっていた。

「そんなお兄様にこれ以上迷惑は掛けられないわ。だから私は戻らなくてはならない……でも、怖いのよ。……お願い、ノエル、私と一緒に王都へ来て?」

「……レミシアーナ様」

「どうしてか、おまえが側にいてくれると、耐えられそうな気がするの。ずっとなんて言わないわ。ただ、あともう少しだけ……もう少しだけ、一緒にいて欲しいのよ」

 レミシアーナと共に王都へ行くということは、この村に父を一人残して行くということだ。この一ヶ月の間も、父と離れての日々だったが、今はその気になればすぐに会いに行ける。

 でも王都へ同行してしまったら、当たり前だがそんなに簡単には父の元へは戻れない。ただでさえノエルがいない間、全ての患者を一人で診なくてはならないのに、これ以上父を一人にして、離ればなれに暮らすのはどうなのか、と思う気持ちがある。

 申し訳ありませんと、それは無理ですと答えるべきだと頭ではそう考えていた。

 なのに、どうかお願いと縋るように握ってくる彼女の手を振り払うことも、押し返すこともできない。

 結局、

「……少し考えさせてください」

 と、そう答えるだけが精一杯で。

「ええ、もちろんよ。……良い返事を、期待しているわね」

 あまり悩んでいられる時間はない。

 レミシアーナの部屋から外に出て、扉を閉じた瞬間、ほうと溜息がこぼれそうになる。

 それを寸前で飲み込んだのは、伏せていた視線を上げたその先に、ジークベルトとキースの二人が、まるで自分を待ち構えるように立っていたせいだ。

「……ジークベルト様、キース様……」

 二人は今までノエルがレミシアーナとどんな会話をしていたのか、予想がついているようだ。サロンから退出する時には、こちらに意識を向けているようには見えなかったのに、実はちゃんとこちらの様子に気付いていたらしい。

「レミスから、一緒に来てくれと引き止められたか」

 問う、というよりは、確認するような言葉に、ぐっと沈黙してしまった。

「俺やジークも、君がついてきてくれると有り難いと思っているよ。レミスはああ言っていたけど……まあ、無理をしているのは判るからね」

 続いてキースまでそんなことを言う。

 何ともすぐには答えられず、俯くノエルにジークベルトが言った。

「お前にも都合や考えがあるだろう。だが、できれば考えてくれないか。……あの子が、これほど誰かを頼りにするのは、私やキース以外では初めてのことなんだ」

 今は心が不安定なために、どうしても弱々しい印象の拭えないレミシアーナだが、本来はとても芯の強いしっかりした少女だということは、ノエルにも判る。

 確かにこんなふうに彼女が人に頼るなど、珍しいことなのだろうとも。

 ノエルだって、気にならないわけではないのだ。

「……少し、お時間をください。……父に、相談してきます」

「ああ、そうだな。私も一緒に行こう」

「それは……」

「誤解するな、別におまえやグローヴァ殿に無理強いするために行くわけじゃない。同行してくれるにしろ、そうでないにしろ、これまでの礼をきちんと告げたいだけだ」

 すぐに馬を用意させるから、少し待てと告げて、彼が身を翻した。

 何とも言えない表情でその後ろ姿を見送るノエルの肩を、キースがポンと軽く叩く。

「まあ、君にとっても悩ましい事だと思うけど、一度考えてみて」

 そしてキースの方は、そのままレミシアーナの部屋へ入っていく。彼は彼で、彼女の様子が気に掛かるようだ。

 一人廊下に取り残されたノエルは、三人からそれぞれに告げられた言葉を頭の中で反芻する。

 無理強いはしないと彼らは言ってくれたけれど、結果はもう見えているようなものだ。

 きっと父は断らない。

 そして、自分も断れない。

 彼らがどうだということ以上に、結局ノエルもレミシアーナの事が気になって、このまま放って置く事はできそうになかった。

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