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第二章 王都への誘い 4

 人々の感謝の言葉や気持ちは、素直に心に響く。どことなく面映ゆい気持ちで目を伏せた。

 そこで、レミシアーナが小さくあくびをした。すぐにガウンの袖で口元を隠したが、彼女の仕草はジークベルトにもキースにも、しっかりと目撃された後だ。

「なんだ、年頃の娘がはしたない」

 そうジークベルトは言うけれど、その顔は笑っている。

「仕方ないではありませんか、自然と出てしまうのだもの」

 むう、と頬を膨らませる彼女の仕草が、とても愛らしい。

 けれどまた再びあくびをしてしまう……どうやら外でお茶をして、皆で会話を楽しんでとするうちに、少し疲れてしまったようだ。

「お部屋に戻りましょうか」

 やんわりと声を掛けると、素直に頷き、立ち上がった。直後、ふらっとふらついたレミシアーナに慌ててジークベルトが手を伸ばす。

 身体を支えようとする兄の手を、寸前で押しとどめたのはレミシアーナ本人である。

「大丈夫よ、お兄様。あまり甘やかさないで」

 自分の足でちゃんと立って、歩いて戻ると彼女は言う。これまでのレミシアーナであれば、大人しく兄の腕に抱かれて部屋まで運んで貰っていただろう。

「へえ。良いね、そういう頑張り屋なところ、いつものレミスらしくなってきたかな」

「キースったら、からかわないで。……ただ……いつまでも落ち込んで、弱ってはいられないもの。少しはしっかりしなくてはと、思っただけです」

 言いながら、それでもレミシアーナの表情が曇る。彼女の中で前に進もうと思う気持ちがあるのと同じくらい、まだその心を捕らえる何かが残っている、そんな印象だった。

 しかし一日の大半をその何かで囚われていた事を思えば、前を向こうとする勇気が出てきたことは大した進歩だ。

 泣き暮らしていたという彼女と今の彼女との心の中で、どんな変化があったのかは判らないまでも、その努力が良い方向へ向いてくれればと思う。

「ノエル、俺からもお礼を言うよ。本当にありがとう」

 キースからも改まった様子で礼を告げられ、さすがに少し身の置き所がなくなってきた。

「私は、自分に出来ることをしているだけですから……」

「うん、でもその君にできることが俺達にはできなかったことだから。感謝の気持ちは謙遜せずに受け入れて欲しいな」

 感謝されるのは嬉しい。認めて貰えるのも嬉しい。

 だけどそれと同じくらい、どことなく気恥ずかしい気がした。

「……ノエル、おまえはいつまで私の側にいてくれるの?」

 そこで何気ないふうを装って投げかけられた問いに、軽く瞠目する。言葉ほど、レミシアーナのこちらを見つめる眼差しは軽くない。

「……皆様がこの村に滞在なさっている間は、お側にいます」

 最初からそういう約束だった。未だ、公爵家一家が王都へ帰還する日取りは決まっていないが、多分長くても一、二ヶ月のことになるだろう。

 そう、と呟いてレミシアーナが目を伏せる。

 今すぐいなくなるわけではない事にホッとするのと同時に、遠くない未来で離れてしまう現実を自覚して沈んでいるようにも見えた。

「……少し、風が強くなってきたようです。お部屋に戻りましょう」

 何となくそんなレミシアーナの様子を見ていられずに、手を差し出す。その手に少女の細い指先が重なってきて……大分回復したとは言え、まだまだ全快には時間がかかる。

 できれば彼女が本来の彼女らしく、溌剌と笑う姿を見てみたいと思うけれど、多分自分はその時までは側にいないだろう。

 そう思っていた、これから半月後の、春の終わりまでは。

 その意識を変えざるを得ないきっかけとなった知らせは、徐々に夏の匂いを感じさせる初夏の風と共に、公爵家の城へと届けられた。

 使者である騎士の手で運ばれた一通の手紙は、王からの召集状だった。

 国防の要である将軍が長く王都を離れている状況は好ましくないと、その帰還を求める内容であるそうだ。

「一体誰のせいで離れざるを得ない状況になったのか、どの口が言うって感じだよね」

「滅多なことを言うな、キース」

「だってさ。ジークだって思うことはあるだろう」

「……ないとは言わない。だが、それとこれとはまた別の話だ。国の問題と、個人の問題は分けて考えねばならん」

 レミシアーナをこんなところまで療養に連れてこなければならなかったのは、第二王子の不実な言動が原因だ。それを判っていて、なのに王都を離れた事を遠回しに責めるような口調はいかがなものだろうかとノエルも思う。

 もちろん王都を離れる際はその旨を伝え、許可を受けた上でのことだと聞いている。それなのに、と言いたくなるキースの気持ちは理解できた。

 きっとジークベルトも彼と同じような事は考えているはずだ……いや、実の妹を傷つけられた分、彼の憤りはキースより強いに違いない。

 しかし、彼自身が将軍職に付いているのも事実だ。

 彼は将軍の一人として、この国を守る義務がある。そこを指摘されると、これ以上私情を優先する事は出来ない。

 元々王としては王子の起こした騒動が原因であるために、王都を離れるジークベルトを堂々と引き止めることができなかったが、本音では否と言いたかったのだろう。

 王家と公爵家の間の問題はまた別の手段によって解決を考えていかねばならないだろうが、ひとまず王の臣下としてこの国で公爵位を賜っている限りは、その召集を無視することはできそうにない。

 ただ、王都へ戻ることで、一番の気がかりはやはりレミシアーナのことだ。

 この城へやってきて一ヶ月弱。心の傷を癒し、気持ちを落ち着けるには短い時間だ。

 やっと元気を取り戻しつつあるところだったのに、また王都へ戻れば……たとえ宮廷に上がることはもうなくとも、どこから第二王子やその恋人の話が聞こえてくるか判らない。

 そうなれば、また落ち着きかけた心を抉ることになる。

 それくらいならば、レミシアーナだけ信頼できる使用人達と共に、まだしばらくはこの城に滞在した方が良いのか。

 そう考えていたジークベルトの提案を退け、共に王都へ戻ると告げたのはレミシアーナ本人だった。

「お兄様がお行きになるところに、私も参ります。たった二人きりの兄妹だもの、離ればなれになるのは嫌だわ」

「だが……」

「……大丈夫です、どのみちずっとここにはいられないのだもの。あまり心配しないで」

 もっともこれまでの散々な姿を見せた後では説得力がないかもしれないけれど、と微笑みさえ浮かべて寄越す。

 ……ただ、その笑みが少しばかり強ばっていることには、その場にいた全ての人間が気付いていた。

 結局、これ以上兄の足手まといにはなりたくないと願う彼女の希望を聞き入れる形で、結局全員で王都へ戻る事が決まった。

 つまりノエルの役目ももうじき終わると言うことだ。

 レミシアーナが自分で王都へ戻ると決めた。そうできるだけの心の強さが戻ったことは嬉しいし、本来はやはりこんな田舎ではなく、もっと華やかな場所で活躍する人々だと思う。

 彼女の心が少しでも落ち着く手伝いができたことに満足して、新たな一歩となる門出を笑顔で送り出すべきだと判っていた。

 それなのに、どうしてだろう。

 一ヶ月近くも殆ど離れず側で過ごすと、やはり情が湧いてくるのか、彼らがいなくなると考えることが少し寂しい。

 今は落ち着いていても、王都へ戻ったらまたぶり返さないか。大丈夫だろうかなんて、自分が心配しても仕方ないことまで考えてしまう。

 せめて少しでも役に立てるよう、もう少し飲みやすく改良したお茶や、気持ちを落ち着ける香りのするサシェを作り渡してみようか。

 ハーブで作ったサシュは魔除けにもなる。

 公爵家の姫に渡すには粗末なものかもしれないが、レミシアーナなら気分を害する事なく、きっと受け取ってくれるだろう。

 そうと決まれば、早速準備に取りかかろう。彼らがこの別荘を出るまで、あと何日もない。手際よく準備をしなくては……そんなことを考えていた時だった。

「……ノエル、おまえに話したいことがあるの」

 思い詰めた表情で呼び止めてきたレミシアーナの表情は、少し前に兄に見せた気丈な姿よりも、随分弱々しく見えた。

「はい、どのようなお話でしょう?」

 答えれば、ノエルの手を少女の小さな両手がきゅっと握り締めてくる。触れられて判った、その手が冷たく汗ばみ、そして小刻みに震えていることに。

「……お兄様には、聞かれたくないことよ」

 今、ノエルが呼び止められた場所は、王都への帰還について皆で相談したサロンだ。すぐそこにはまだジークベルトやキースの他、家令や他の侍女達もいる。

 彼らはどう言った日程で帰還すべきか話し合っていて、こちらに目を向けてはいないが、少し声を上げればすぐに聞かれてしまう距離だ。

「……判りました、お部屋へ戻りましょう」

 あまりにもレミシアーナがか弱げに見えて、思わずその両手にもう片方の手をそっと重ねてしまった。

 振り払われるだろうかと不安だったが、逆に少女はその手の温もりに安堵したように、ホッと小さな息を付く。軽く握り返され、柔らかな少女の手の感触に何とも言えない、面映ゆい思いが込み上げた。

 自分の身分では側に寄ることも恐れ多いと感じていた相手。なのにこうして互いに手を取り合い、その体温を伝え合うと、自分達と変わらぬ心と身体を持つ、同じ人だという気持ちになる。

 もちろんそんな考えは、尊き身分の人に対して恐れ多いことなのだろう。どんなに同じ人であっても身分は弁えなくてはならないし、出しゃばってはいけないと思う。

 思うけれど、それだけで自分とは違う存在だと綺麗に割り切れることができないだけの気持ちは、既に生まれてしまっていた。

 ジークベルトも、キースもそうだ。

 生まれながらに高い身分の家の人々なのに、彼らはノエルが想像していたどんな貴族の姿より温かい。

 ジークベルトは時々きつかったり強いものの言い方をすることもあるけれど、彼と言葉を交わしていれば、彼の真っ直ぐな性根はすぐに理解できる。

 キースだって、色々細かい事に気付いては、気遣ってくれる。

 レミシアーナも少し気位の高いところはあるものの、兄と同じく真っ直ぐで優しい少女だ。

 きっと彼らは一度懐に入れたり、信じた人を自分から裏切ることは決してないのだろう。何の根拠もないけれど、素直にそう信じられる人達だと思う。

 それなのに、なぜ王子はこんな優しい少女から、他の女性に目移りしてしまったのだろうか。

 他に想う女性ができたのだとしても、せめて彼女の心の傷が浅く済むよう、心を尽くすこともできただろうに。

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