その花言葉
「どうぞ」
私は言いながら中央から端に移動した。
その女性は化粧気はなかったがどこか疲れた目元をしつつも、ショートカットが随分とよく似合っていた。茶色い髪の毛に桃色のコートは少しアンバランスな印象であったけれど……きっと天真爛漫な性格なのだろう。私はばかばかしい事を考えたものだと自身にのみ呆れて、視線をスミレの群集にもどしたのだった。
私は何をしているのだろう……
この場所に来たことに関しては後悔はない。それに、120年と言う周期の中で、経った10年と言う短時間で、あの場所の竹に花が咲いたと言うのは運が良かった思うべきなのだろう。後5年遅ければ、みぃちゃんからの贈り物は土へ還り、もう10年遅ければ……私の記憶の中にみぃちゃんが居る自信もない……だからこそ、私はこの場所に赴いたのだ。
回想、竹の花の開花、そして偶然に辿り着いたブログ……この偶然を辿ってゆけば、奇跡的に重なった道を素直に歩いて行けさえすれば……そこにみぃちゃんが居るかもしれない……また逢えるかもしれない……そう思ってしまったのだ。
「そのお花、ローゼンセですよね」
私が一人肩を落としていると、女性が不意にそう言った。
「えっ。ああ、よくご存じですね」
少しばかし珍しい花のはずなのだが……
「その花を貰える人は幸せ者ですね。お見舞いですか?」
「いいえ、人に会いにきたんですけどね……でもどうして、幸せ者なんですか?」
女性は何やら嬉しそうに私の顔を見ていた。小顔に大きな口、目元は優しく無造作な前髪が可愛らしいではないか……けれど、健康的に見える笑顔とは裏腹に肌は白く、まるで何かお病に冒されているようにも見えた。
「花言葉です。ご存じですか?ローゼンセの花言葉は『変わらぬ想い』なんですよ」
ますます、嬉しそうにして言う。
「そうなんですか。それは知りませんでした」
嘘である。確信的に花言葉でのみローゼンセを選んだのは誰であろう私なのである。
「私……この場所好きなんです」
勝手に花なんかも植えちゃったりして……彼女は呟きでそう続けた。
私も同感である旨を伝えると、女性は少しばかし気さくに話しをしてくれ、この病院の看護士であること、そして、今まさに夜勤明けであることを教えてくれた。
「そうだ、手を出してください」
彼女はそう言うとハンドバックからドロップの缶を取り出すと、手慣れた仕草で蓋を開け、私の手の平の上で何度が振った。
「あれ……」
イチゴの粒を私の手の平に、自分は緑色の粒を手の平に転がし、それを眉を寄せて不服そうに覗き込んでいる……幾ら振れども音がしないのは言わずもがな。
そんな彼女を見て私は自分の鞄の中からドロップ缶を取り出すと、驚いた彼女の顔を横目に白い味の粒を振り出して彼女の手の平にそっと落とした。
その時の彼女の顔はとても面白い表情であったことは言うまでもない。心境を見透かされたような、どうしてそれを知り置いているのか……わかりやすく、どうして?と額に書かれてあるようで本当に愉快であった。
「ハッカが好きだったよな。みぃちゃんは」
私は言った。
それなりに勇気のいる発言であったのだが、彼女の表情を見ていると、わりと自然に言葉が出てきたので力は必要としなかったのは不思議である。
ありがと。彼女はほっとしたように、脱力をしてそう言い、
「やっぱり勇君だったんだ。なんとなく面影があったから」と嬉しそうに言うのだった。
「みぃちゃんこそ、大きな口と髪型が同じだったから、なんとなくわかったよ」
また嘘をついた。口の大きさも髪の毛の長さも、朧気な記憶でしかなく、口から出任せ言われたならば即座に謝らなければなるまい。
「嘘つき。子供の頃は髪の毛長かったもん」
頬を膨らませて見せたみぃちゃんには、その本当にあった。やっと見つけられた面影……
「ああ、ごめん」
そう言った私であったが、
「でも、私も嘘ついたからおあいこかな……ほら、人に会いに来たって言ったから……もしかしたらって……ブログにも竹の花の写真載せたんだよ」
私は思わず身を乗り出してしまった。
「あのブログ、みぃちゃんのだったのかよ!俺、あのブログ見て竹林に行って、ここの住所見つけたんだ」
「信じられない。勇君が見てくれるかもって思って、写真載せたのに。本当に見ちゃうなんて!」
みぃちゃんも顔を寄せて、興奮気味にそう話した。
それから、「でも、竹の花が咲くのに120年もかかるなんて知らなかった」と無邪気に笑って見せたのだった。
◇
「病気治ったんだ」
顔色こそ白かったが夜勤と言う激務をこなしてなお、微かな余裕を覗かせる笑顔が私に確信の弁を滑らせた。
みぃちゃんは私の言葉に「うん」と頷き、少し考えてからブラウスのボタンにゆっくりと手をかけたかと思うと、襟元から3つボタンを外し、丁度、胸が膨らみ始める場所までは露わとして私に見せたのである。
「その傷……」
私は思わずはっとなってしまった……
「こっちの病院に入院してから2回大きな手術受けたの。もう10年も経つのに、傷はいつまで経っても消えなくて……」
傷に触れさせた左手……腕時計のベルトから微かに見えた、消えない傷に私は、思わず目を閉じて、深々と頭を垂れた。
それを見なければなんとでも言葉を掛けられた。だが、その傷を見てしまった以上は、言葉を……今更無力たる言葉を選ばなければならない。私は必死になって探した。真心と幸福、優しさと喜び。人を笑顔にできる言葉を探してはそれを一心に込めた。
「みぃちゃん。苦労したんだな。がんばったんだな」
私なんぞの涙をも添えたいと激しく思った……
「こんな大きな傷があるとさ……まるで化け物みたいにバカにされるのよね。今でこそ、そんなのなくなったけどさ……高校生の頃は本当に辛かったよ……」
「みぃちゃん……」
彼女は優しい。
昔よりも、もっと優しくなっているに違いない。強い弱いなど詭弁である。中傷に耐え、自分と向き合ってここまで生きて来たみいちゃんは誰よりも人の痛みのわかる人間になってるはずなのだ。
困難に苦難を乗り越えた人間が優しくなれると言うのは、より多くの人間の気持ちを痛みを理解できるからであると私は信じて疑わない。五体満足の私にはわかろうと努力することはできても、決して到達できない明確な一線がある。
どんなに足掻いてもそれは決して踏み越えられない。そして、踏み越えた気になっても踏み越えていけない一線なのだと思う。
沈黙の中、私は必死にみいちゃんの苦しみを理解しようと苦心した。けれど、それこそが健全たる私の高慢であると気が付くや否や、みぃちゃんを傷つけた全ての醜き餓鬼どもに腑を煮えくり返らせ、機会あらば成敗してくれん。と心に固く誓いを立てた。
たとえみぃちゃんがそれを望まなくとも、それくらいしか私には叫ぶ術はない。
「どうだっ!」気まずい沈黙に耐えられなくなったのか、みぃちゃんは左手の甲を見せて戯けて見せる。薬指には銀色が光っていた。
「結婚したんだ」
みぃちゃんの元気の源はこの指輪にあるのだと。私は少し安堵した……安堵したのだが……その瞬間にじゃらりと、手の平にはキーホルダーのついた鍵がぶら下がったのだから、胃液が逆流したような気持ちとなってしまった……
「こんな傷だらけの私なんか、誰も、もらってくれないよ」
「随分と自虐的だな。みぃちゃんは十分可愛いよ。本当に」
事実である。私がみぃちゃんと仲良く遊んだのも、一緒に居たかったからだ。気になる女の子にちょっかいを出すのは男の基本であるが、弱々しいみぃちゃんにはちょっかいを出しづらく、スカートなんぞを捲ろうものなら、その拍子に転んでしまうかもしれない……一緒に遊ぶことでそのかわりとしたのは、自分で言うのも気が引けるが、子供ながらに私の優しさだったのかもしれない。
「小学生の時もそんな風に言ってくれたよね。優しいもんね勇君は」
でも……みぃちゃんは言葉を詰まらせた……
「なんで生きてるんだろって思ったよ。子供の頃に死んでればこんな辛い思いはしないですんだし……胸の傷はわかってもらえるけど、この手首の傷はわかってもらえなくて……これでも『好きです。付き合って下さい』って何人かには言われたんだけど、この傷を見せたとたん、みんな何も言わずに離れて行っちゃって……」
消えない苦しみの捌け口をさすりながらみいちゃんは声を細く、ついに俯いてしまった。
声こそあげなかったけれど……触れる指先には水ではない滴が落ちては広がる。その光景を私は直視できず、再び瞳を閉じて締め付けられる胸をただ耐えているしかできなかった。
「みぃちゃん」
充血した瞳のまま、涙をのみを拭って「ごめんね」と言って顔を上げたみぃちゃんの表情には温もりがあった……よく転んだみぃちゃんはその度に泣くのである。筍に躓いて転んだ時は「もう筍食べない」と手足をじたばたさせながら泣いていた……
「俺さ。きっと、みぃちゃんのこと好きだったんだと思う。10年も経ったけど……」
私はそう言ってローゼンセの花をみぃちゃんに差し出した。
今ここで奇跡的に再び出会えることができたのだ。何を躊躇することがあるだろうか……考えたくはない。考えたくはないが、もしも、みぃちゃんが自らの命を絶ってしまったならば、手術が成功していなければ、竹の花が咲かなければ……私の眼の前に可憐に成長を遂げた揚羽蝶の姿を見ることは叶わなかったのだ。そう考えてみただけで、私の涙腺はおもむろにゆるみ、引き締めることを断固として拒否するのである。
誠に困った。
「それって、私が勇君のことを好きになっても良いってこと?」
みぃちゃんは再び頬に涙を伝わせて言った。
「違う」
「なによ、それ」
拍子抜けした。とでも言いたげな目元、心なしか尖った口許が愛らしく見えた。
「違う。俺がみぃちゃんことを好きってことだよ」
今度は全身全霊でもって私は照れながら言い切った。もう少しで舌を噛みそうになったくらいである。
「…………ありがと」
うれしい。みぃちゃんの頬が少し赤く色づいたように見えたのは、きっと私の錯覚だろうと思いたい。
◇
またしばらく沈黙が続いた。双方共に気持ちは同じ、なれども、次ぎに何を話し出して良いのやら困っている様子がみいちゃんからも伝わり、私自身も現実に困っていた。
ドロップを渡して、なんとかこの沈黙をどうにかしてやろうと、鞄をまさぐると、とあるモノに手が触れた。
すっかり忘れていた。渡す機会もないだろうと諦めていたがゆえの忘却だったのかもしれない。
「生きててくれて、ありがとう。俺、みぃちゃんのこと大好きだ」
人生ではじめてはにかんだ、そしてホワイトデーのお返しをした。
みぃちゃんは、微笑みを浮かべて小さな箱を受け取ると、それを両手で抱き締め、思い出したように
「こんなの反則。夜勤明けだよ、お化粧もしてないし、もっとちゃんとして聞きたかった……勇君、反則」と言いながら頬を膨らませて見せてくれた。
そして、「すみれの花言葉は温順・謙虚・誠実・小さな幸せだよ。勇君そのもの」と増して笑顔を咲かせたのであった。
みぃちゃんは微笑んでいた。私が渡したチョコレートを強く強く抱き締めて微笑んでいた。
花実は咲く前に散ることはない。咲いてこそ散ることを許されるのだろう。ゆえに、竹は花実を精一杯に咲かせ、その後に枯れて行く。
「勇君。私生きてて良かった。死ぬ勇気がなくて良かった」
そう言ったみぃちゃんの笑顔、それこそがどんな花よりも眩しくも可憐に輝いている。私はみぃちゃんの涙を拭いながら、深くそう想った。
「私。はじめて嬉しくて泣いた……泣けたよ」
そう言いながらみぃちゃんは涙を拭うことなく笑顔を咲かせた。
その笑顔は、私がこれまでに、今までに見てきた何よりも美しかった。誰にも何も言わせない。
私はその笑顔が一番可憐だと想ったのだ。
END