竹の花
友達はその時々に出会っては別れて行くものらしい。親友と永久に続く友情を信じて疑わず……それは就中耳に優しい美談であろうと私も思う。
だが、そのような友情が芽生えた試しもなければ、節目節目に私の中での友情は住む場所と通う場所を変えて、それっきりとなるのが常であった。
とは言え、友情に生まれた思い出の数々は良きも悪きもしっかりと私の記憶の引き出しの中に納められてあり、忘れるに忘れられず無為自然と忘却の彼方へ旅だったかと思えば折を見ては懐かしくも忌々しい思い出がぽろぽろと剥がれ落ちるのである。
その切っ掛けも千差万別であり、記憶の鍵とでも言おうか、五線紙を見れば淡い恋心を思いだし。破れたジーンズを見れば失恋を思い出す。思い出とは往々にして着色の後、現実よりも酷く切なく、特に悦楽に色濃くなると言う。だから、私のろくでもない思い出も例外なく甘美にはさらにガムシロップを垂らし、苦きには良薬を振りかけ、酸っぱいには檸檬汁でもって酸味を増すのであった。
回想するだけでも気が付けば溜息がこぼれてしまう。
けれども、そう嘆く私にも、不思議な思い出が一つ二つあって、その鍵は決まってドロップの缶なのである。
その日はたまたまのど飴を買いにスーパーの菓子コーナに赴いた。すると偶然にその缶が目に入ったのだった……
「私は病気なの。だからこの町にいるんだって」と言った女の子は確か名前を瑞穂と言い、私はみぃちゃんと呼んで放課後は学校の裏山にある竹林で遊んでいた。
決して可愛いとは言えないみぃちゃんは、走ればすぐに胸を押さえ、朝は決まって苦しそうに白い顔をしてぐったりと机に突っ伏していることが多かった。高学年になるにつれて、学校も休みがちになり……そして、6年生の春に転校をしてしまった。
寂しい記憶のはずなのだが、不思議と思い出す度に空を見上げる力をくれる思い出。
みぃちゃんは体が弱くて午後から学校に来ることも多く、体育の授業は決まって見学をしていた。ゆえに、心ない言動に俯いているところをよく見かけた。
どうして私がみぃちゃんと仲良くなったのか……それは忘れてしまったが、鮮明に覚えているのは、みぃちゃんが植物の名前を色々とよく知っていたと言うこと。大凡名もない草花の名前を教えてもらったし、偏見からして言えば女の子らしいと言うか……花言葉を添えて野に咲く花を私にくれた。中でも田んぼの畦に咲いていたすみれが好きで、花言葉を聞いてみた時は「勇君みたい」と決して教えてはくれなかった。
どんな花言葉であるか……知ろうと思えば知ることができた、けれど……その意味を知るのは少しばかし恐い。だから、今でも不明のままである。
のど飴を忘れてドロップだけを買った私は本末転倒だと、夕暮れの空を仰ぎ、そして、缶を何度か振ってみた。缶を鳴らす軽重な音はなおも懐かしい。
みぃちゃんは遊ぶ時、必ずポーチに押し込むようにドロップ缶を入れて持ってきていた。みいちゃんが筍に躓いて転んだ時、葉に足を滑らせて転けた時、決まってそのドロップが鳴った。私はその音を聞くと、かくれんぼをしていても、鬼ごっこをしていても駆けて行って泣きじゃくるみぃちゃんのポーチからドロップを一粒出してはみぃちゃんを泣きやませた。
私はメロンや苺にチョコ味が好きだった。それを知っているみぃちゃんは迷わず好きな味だけを私にくれたものだ。私からすれば、子供心にも今となってもなお、『ハッカ』不必要であり、どうして甘い夢の中にあえて悪夢を混ぜ込むような蛇足をするのだろうか、と眉を顰めたくなる。
けれど、みぃちゃんはそんなハッカが好きだった。「すうすうするから好き」とハッカを舐めては呼吸を大きくして一人で嬉しそうにしていた。
家に帰り、10円玉で蓋を開けてからおみくじのように何度か振ってみると、なんの因果か、はじめの第一個目はハッカであった。
◇
「勇君は優しいから好き」週末の朝はそんなみぃちゃんの笑顔と共に目が覚めた。曇り空の空を見上げてみても、私だけはとても清々しい目覚めてある。こんなに気持ちの良い目覚めはいつ以来だろうと思うほどに……
あの頃に帰りたい。そうは思わない、それはきっと今も昔と同じくらいにそこそこ幸せなのだからだと思う。
そして、私には今日予定があった。厳密に言えば昨夜突然に降って湧いた予定であったのだが……
『竹林に勇君へプレゼントを隠しました。竹のお花が咲いたら探してね』と書かれた当時流行っていたアニメのキャラクターが印刷された便箋が小学校の卒業アルバムに挟んであったのを見つけたのである。
それを見つけた私はなんとなく竹の花について調べてみようと思い、インターネットの検索サイトにて『竹の花』と打ち込んで検索をかけてみた。
「おいおい」
思わず、目を疑ったのはとあるブログに行き着いた時であった。ブログの名前もその日のタイトルもそのまま『竹の花』なのである……上位に表示されて当然であろう。
とは言え、タイトルのままに、そのブログには竹が花を咲かせた写真が掲載させてあった。
どうして竹には花が咲かないのだろう。笹舟を作って遊んでいる時にみぃちゃんがふっとこぼした言葉である。
私にはどうでも良いことであったけれど、走り回るより植物図鑑を眺めている方が多いみぃちゃんには不思議で仕方がなかった様子であった。
後に親に聞いみると、「竹にも花が咲く」と言うではないか。その次の日にそのままをみぃちゃんに教えた。すると「いつ咲くのかなあ」と微風にざわめく竹の葉を見上げていた。
それから、毎日のように竹林に出向いては花の有無を確認していたけれど、120年と言う人間からすれば気の遠くなるような尺度の前に、易々とその花弁を拝めるはずもない。
狭しと言えども、今日もどこかでひっそりと花を咲かせているのかもしれないが……それに出会す確率など、宝くじに当たるようなものである。
思い出は思い出のままに……そう思って手紙ごとアルバムを閉じた私は、マウスに手をのせカーソルを位置を確認した。すると、カーソルに重なった写真の部分に見覚えのある地蔵が写っていた。
石づくりの体に青い前掛けをかけた地蔵である。
胸の中で合掌をしている姿であったらしいのだが、台風の折、被さった竹に押し倒されて手の部分が欠けてしまっていた。
その地蔵以外には別段見覚えがない写真であったが、アルバムの手紙が気がかりとなり、私は翌日にあの竹林に行ってみようと思いたったのだった。
半出ず症化していた私が、衝動的に腰を上げたのも珍しい話し。それというのも、そのブログの更新日が昨日であったからである。もしも、この写真を昨日撮影したものであったのらば、まだ竹の花は咲いているやもしれない。
どうしてもそう思わずにはいられなかった…………
懐かしい風景を横目に久方ぶりに故郷に帰って見れば、10年と言う歳月を感じさせず、何もかもが私が知るままであった。時間を遡ってしまったかのような錯覚に襲われながらも小学校の前を通りかかると、高く高く見上げていた桜の枝に、手を伸ばせば容易に届いてしまった。こんな事で時間の経過を確かめると言うのも何とも歯がゆい。
桜のすぐ隣の階段を登って、そのまま進むと竹林の前まで舗装道路が続いている。
私は見上げたその風景の異様さに息を飲んでしまった。陽の光を遮るほどの青々した竹の葉の姿はどこへやら……見渡す限り白の風景が広がっていたのである。花と言うよりはススキのような花弁であった。それでも、緑に対する白は異様な情景をのみ私に感受させ、不気味ささえも感じさせる。竹が花を咲かせると、それは不吉な予兆であると表された心情がわかる気さえした。
しばらく感動を超越していた私は、風に揺れるそれを見上げてはじめて、綺麗であると美を讃えるに到達出来たくらいである。一入の感動も良いが、それは目的の一端であり決して本懐ではない。
私はまず、地蔵の元へ歩いた。すると写真にあった通り、合掌部分の欠けた地蔵がなんとも柔らかい微笑みを浮かべてそこに立っているではないか。
あのブログの主はこの場所に立って写真を撮ったに違いない。私は確信をすると共に、地蔵の足元に備えられたすみれの花を見て、何とも切ない面持ちとなったのであった。
私は頭を掻いた。
これから、不毛な宝探しを敢行しようと気合いの一つも入れてやろうと目論んでいたにもかかわらず、それと思しき物を気合いを入れる前に早々と見つけてしまったからである。
それは地蔵の後ろにひっそりと置かれてあった。
拾い上げてみると、次の瞬間には底が抜けて、リボンの巻かれた銀紙と所々虫に食われた一枚の紙が竹の葉の上に落ちた…………
それは、形と円形の小さな蓋からドロップの缶だろうと推測できた。何せ、サビや黴やらとにかく幾星霜と繰り返される四季と風雨に姿形を体を残していただけでも、賞賛するに値する。
そのおかげか、中に納められてあった物の内、私の良く知っているアニメのキャラクターが印刷されたメモ用紙に鉛筆書きされた文字を読み取ることができた。
私はそのメモを丁寧に、財布の中にしまうと朽ち腐り、今まさにその役務を全うして果てたドロップの缶を片割れも含めて拾い上げると、出来るだけ泥を取り除いてからハンカチに包んで鞄の中に納めた。一見して汚らしい缶の成れの果てを持ち帰ったところでどうしようもないのだが……このまま泥に埋もれさせてしまうのも忍びない。
それに……10年と言う年月をただ孤高に耐えるを耐えて、終着の時に望をもってひっそりと、私が見つけるその時を待っていたとは、なんとも泣けて来るではないか。私は映画『忠犬ハチ公』を見て号泣する男なのである。
笑いたければ笑うが良い。私は凛としてその役務を全うした缶への哀悼と敬意を表して埋葬してその功績を称えようと思う。
命無きモノへの感謝の気持ちをを忘れてどうしますか!
◇
メモに書かれてあった住所は、意外にも私の住居の近くであった。これがみぃちゃんの残した私へのプレゼントであったのであれば、転校してからみぃちゃんは現在私の住む界隈で暮らしていたことになる。
あくまでも憶測でしかないのだが……そう考えるだけでも因果とは面白いものだ。そう思わずにはいられなかった。
週を跨いだ祝日。私は買うべきモノを買い揃えて、その住所を目指して家を出た。
最寄り駅前の花屋の前を通ると、小さな花屋であるにもかかわらず、ローゼンセが置いてあったのである。鉢植えであったのが誠に残念であったのだが、無理を言って一輪だけ売ってもらった。このローゼンセが売り物ではなく店の観葉植物であったことが幸いしたようだ。
並み居る可憐な花々を選ばず、どこか慎みあるローゼンセを選んだのには理由がある。この花の花言葉を知り置いているから……ただそれだけである。それ以外を求められても困る。
予定外の買い物を済ませ、二駅区間電車に揺られて降りた。
駅舎の屋根の途切れ場所で深呼吸をしてから、予め調べてプリントアウトしておいた地図を頼りに幹線道路を歩き、それは『駅前』と言うには少し遠い場所に住所の場所はあった。駅舎からも見えていた5階建ての大きな大学病院。
緑地帯に植えられた木々の幼さと、艶々しい外壁を見るに少なくとも10年前からこの場所に存在していた建物ではないことがわかってしまった……私が落胆の色を濃くしたのは言うまでもない。だが、ここまで来て探りの一つも入れずに帰ると言うのも気が引ける。
正直に言おう。みぃちゃんに会えるなどとは期待のみを残して現実的には雲を掴むようなお話であると、電車に揺られている時分から自身をせせら笑っていたのだ。それでも……それでも……私が微かな望を託して、この場所に赴いたのは……みぃちゃんに会いたかったからだろうか……逢いたかったからだろうか……
◇
負け惜しみを噛み締めるように私は病院内へ入ると、入院病棟を隈無く周り『鴻池 瑞穂』と言う名前を探してみたが、当然のごとくその名前はなく。項垂れて私は、そのまま階段を登り屋上へと出た。
てっきり銀色の手すりと、大きな貯水槽にベンチが幾つか、そして並んだ物干し竿にはシーツが万国旗のようにはためいているだろう。そう思っていたから、ドアを開けた瞬間に木々が茂りまるで庭園を思わせる様に驚いてしまった。
今時は屋上にも緑地を設けるのか……と感心しつつも、一番太陽が燦々と降り注ぐ場所であるからして、頗る合理的であると言えばその通りでしかあるまい。
背の低い広葉樹が目に付く中で、ひと区画だけ木々が埋まっていない場所があった。そこには、樹木ではなく草花が植えられているのだ、季節柄萌える葉を宿し、命のかぎりと色取り取りの花を咲かせ、これでもかと生気に溢れている。私はその場所が一番良く見える場所にあるベンチに腰を降ろすと、ローゼンセと同じ紫色の花を咲かせるスミレの群集を見つめて、小さく溜息をついた。
「スミレはあれど、スミレを愛した人はなし」
昭和の文豪の誰かが呟いていそうな言葉であるが……私などが思いつくのであれば、わざわざ文豪が言う必要もあるまい。
胸の中には寒風が吹いているようであったが、麗らかな日当たりはこのまま玉響微睡むのも悪くない。と誘ってくれるには十二分。しかしながら、私が船を漕がずにすんだのは、「隣良いですか?」と女性が声を掛けて来たからであった。