第九話「映画や小説って、吸血鬼を滅ぼす為に作られてるんじゃないかって思うよ」
こいつ、なんでこんなに素直で大人しいんだろう…。
緋音は、横目で薫を見た。今、薫は車のハンドルを握っている。棺屋で2時間ほどかけて棺を選び、ねぐらに運んで貰うよう手配した後、別の人間とファミレスで会った。
主に戸籍関係の整理だ。住所変更や大学への退学届など、昼間活動しなければ処理できない、人間社会との関係の整理。普通、無理やり吸血鬼にされた人間は抵抗を示す。
吸血鬼としての考え方や常識が身についている緋音でも、拒絶は当然の反応だと思う。しかし、桜坂薫は反発や拒絶がない。緋音が彼を半殺しにしたことを告げた時はけっこう殺気立っていたが、以降は素直だ。気持ち悪いくらいに素直だ。
現代っ子…ゆとりだのさとり世代だのって言われてる子って、みんなこうなのだろうか。いやいや、さとりどころの騒ぎじゃないだろ、これ…。
淡々と退学届にサインする薫を、緋音は戦慄しながら見ていた。
年月が経って見た目と年齢とのギャップが激しくなる前に処理する必要があるが、いまのところ戸籍はこのまま残しておいても問題ないだろう、などの話を薫はとても熱心に聞いている。なぜか話が盛り上がり、偽造戸籍の作成や戸籍売買などのアングラな話に突入する頃、緋音はドリンクバーのすべての飲み物を制覇していた。
戸籍処理係が次の仕事で呼ばれたのをきっかけに、緋音たちはファミレスを出た。
処理係がついでにと運転してきてくれた緋音の車に乗り、ねぐらへ向かうと告げる。放られた鍵を受け取り、薫は不思議そうな顔をする。
「運転免許持ってるんでしょう。お願いするよ」
「運転できないんですか?」
「できるようになったけど、死ぬ前に免許取ってなかったの。普段は気にせず運転してるけど、免許持ってる者がいればそっちに頼むのがプチ常識」
「へえ…」
「これからドライバー頼まれること増えるかもね。まあ、運転免許も最長30年ぐらいで不自然になってくるんだけどね。年齢と顔のギャップがね」
「確かにそうですね」
緋音の車は中古の軽自動車だ。色だけなら、変形してエイリアンと戦ってくれそうな鮮やかな黄色。
薫が椅子の位置を調節している間に、緋音はカーナビで自宅を設定する。カンパニュラ派に属する吸血鬼の多くがねぐらとしている場所だ。
「…あの、この場所って」
「ああ、場所知ってた?」
「はい。ここから行ったことないので、ナビは助かりますが」
驚きと興味が半々の、はっきりと楽しそうな様子で薫は駐車場から出た。丁寧な安全運転だ。ちなみに緋音はちょっと荒っぽい。吸血鬼の高い反射神経があればこそ事故を起こさないといえよう。きちんと習っていないのだから仕方がない、と緋音は開き直っている。
緋音はあまりに素直すぎて不気味な“養子”を横目に見つつも、ねぐらの説明を始めた。
「私が眠るところを見ていただろうから、分かると思うけど、吸血鬼は言葉そのままに「死んだように寝る」。昼間寝ている吸血鬼は、完全に無防備なんだよ」
「簡単に胸に杭を刺せるってことですね」
「そう。太陽光を浴びても滅びない吸血鬼はいるけど、昼間の眠気に勝てる吸血鬼は滅多にいないの。たまーに、いるけどね。いわゆるデイウォーカーっての」
「へえ~」
「だから吸血鬼は他の種類の魔物や吸血鬼の味方をしてくれる人間に昼の間守って貰うのが基本」
「それってもしかして、人狼ですか」
「……映画や小説って、吸血鬼を滅ぼす為に作られてるんじゃないかって思うよ」
緋音はぐったり肩を落とした。
「そのとおり、私たちを守ってくれるのは人狼、ワーウルフ。うちは、プラスしてエルフと人間ね」
「エルフ…って、え、エルフいるんですか? あの、耳の長い、弓使うあれ」
薫はなぜか妙な興奮を示した。ファンタジー生物が好きなのだろうか。
「前見ろ、信号黄色だぞ。エルフいるよ。私の“祖母”はイギリス出身の吸血鬼でね。この深緋市で三番目に大きな勢力のボス。カンパニュラ・ナイトウォーカーっていうんだけど、吸血鬼になる前は魔女だったらしい」
「魔女もいるんですか」
「見たことないからほんとか知らない。でも人狼とエルフはほんとにいる。全員カンパニュラ様が連れてきて、日本で増えた」
「ドワーフとかトロールはいるんですかね」
「見たことないから知らん。カンパニュラ様に聞いて………」
何気なくサイドミラーを見た緋音は、言葉を切った。
「どうしたんですか?」
「桜坂、アクセル全開。運転に全神経を集中して、逃げろ」
緋音が言い終わるか終わらないかのうちに、背後についた黒い車から轟音が発せられた。それは吸血鬼と同じくらい映画の中で馴染み深いもの――銃撃だった。