第五話「夜明けまであと三十二分。」
緋音が顎が外れそうなほどの大口を開けてあくびをしていると、ドアが開いた。慌てて口を閉じれば、吸血鬼にしても顔色が悪すぎる桜坂薫が立っていた。
「夜明けまであと三十二分。死ぬ気なのかと思ってたよ」
もう一度大あくびをすると、薫はさきほどよりも感情を滲ませた。なにやら不満げな顔をしている。
「一大決心をしたとこ悪いんだけど、そろそろ良い吸血鬼は寝る時間だ」
目尻の涙を拭い、あくびを押し殺そうとしながら緋音は言った。
「最初の授業、日の出と共に眠り、日の入りと共に起床。それが健康優良吸血鬼の生活習慣だ。というわけで、急いでその部屋のカーテンを閉めましょう。はい、すぐ」
パンパンと手を叩いてみせると、薫は不満げな顔のまま室内に戻る。
緋音は目をこすりながらフラフラ立ち上がる。三度の大あくびの最中に戻ってきた薫は、不満に加えて胡乱な眼差しを緋音に向ける。そんな薫には一切頓着せず、緋音は彼をぐいぐい寝室の方へ押す。
「ん、よし、じゃ、寝よう。今すぐ。あーもう、床でもいいから寝たい」
「えっ」
「寝るんだよ。寝るっていうより、機能停止に近いんだけど」
細かいことは明日以降と言いながら緋音はぐいぐい薫を押す。
「本当なら自分専用の棺が健康上ベストだけど、今から外に出たら灰になっちゃう。だからせめて最高級のベッドで寝るの。ほれ、早く」
「一緒に寝るんですか?」
「そーだよ。この部屋、なぜかベッドルーム1個なんだよ。あーもうめんどくせえ、床でいいなら床で寝れば?」
身をよじる薫を軽く突き飛ばし、緋音はジャケットを放り捨てるとふっかふかのベッドにダイブした。
一度大きくバウンドする間に、緋音は大きな羽根枕と掛け布を取っ払って薫に投げつける。薫の「うわ」という驚いた声を聞くか聞かないかのほんの一瞬のうちに緋音は深い深い眠りに――死者と同じ眠りの中に急速に落ちていった。