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第三話「何を、ですか?」

 全身が痛い。息を吸うだけで、紙で切ったような沁み込む痛みが身体中を苛む。

「おや、意識が戻ったようじゃな」

 少女特有の甲高くて可愛らしい声と、それに似合わぬ威厳に満ちた口調が耳朶を打つ。

「そなた、運が良かったのう。“親無し”の狂いかけなんぞ、即刻灰にされてもおかしくはないのじゃぞ。緋音に感謝せよ。もうすぐやってくるのでな」

 冷たい手が額に触れた。それで初めて自分がひどく汗をかいていると分かった。

 額に張り付いた前髪が気持ち悪い。

「本当に『成り立て』なのじゃなあ。可哀想に…。だが、そのうち何もかもが曖昧になってゆく。良いことなのか悪いことなのか、妾には分からぬが…」

 オルゴールのような高く涼しげな声と手の冷たさが心地よく、意識はふたたび痛みのない眠りの中に溶けていく。

 絶叫と恐怖に塗り潰された真っ赤な悪夢の中に。



◇ ◆ ◇ ◇ ◆ ◇ ◇ ◆ ◇



 風邪に似た疲労感の中、桜坂さくらざかかおるは目を開けた。頭はふかふかの枕に沈み、疼痛に苛まれる体はほどよくスプリングのきいたマットレスに受け止められていた。胸のあたりまで触り心地の良いブランケットがかかっている。

 今まで身を横たえた中で最上級のベッド――その足元に一人の女が立っていた。真っ直ぐなセミロングの髪は一度も脱色や染色されていないだろう、カラスの羽のように黒々としていた。彼女が首を少し動かすと、サラリと揺れた。

「にどめまして、こんばんは」

 良く通る良い声で女は言った。

「昨夜、あなたをボコボコに殴り倒した者です」

 アナウンサーのようによどみない口調で衝撃的なことを言い放った。薫の脳裏におぼろげに記憶が甦る。敵意と恐怖がブレンドされた感情が胸に湧き上がった。

「どうして…」

「あなたが私を襲って血を吸おうとしたから。自衛のため。正当防衛」

 薫が重くまばたきをする間に、女は音もなく薫の脇に移動していた。

「私は待鳥まちどり緋音あかね。あなたより少しばかり年上の吸血鬼。どうぞよろしく」

「きゅうけつき…」

「そう。あなたも、今はお仲間だよ」

 吸血鬼。それは映画や小説、フィクションの中だけの存在だ。

 そのはずだ。

「残念ながら実在するんだなぁ。吸血鬼だけじゃなくて人狼も一反木綿もぬりかべもいるよ、参考までに」

 ちょうど手を伸ばせば届くぐらいの距離を置き、待鳥緋音と名乗った女はベッドに腰を下ろした。

 かんきつ系の爽やかな匂いが、薫の鼻をくすぐった。甘さと酸味を含んだ魅惑的な香り。なぜか香水ではないような気がした。常に一定の量が鼻腔を擽る…この良い香りは、まさか彼女の体臭なのだろうか。

「あなたは、この深緋市こきひしに住む吸血鬼に血を吸われて殺された。普通ならそれで死ぬんだけど、おそらくその吸血鬼は数百歳、ヘタすると千年ぐらい生きた古老だったんだろうね。そのせいであなたは死んでから甦ってしまった」

 薫に対して斜に座った緋音は、原稿を読み上げるように淡々と、しかし不思議と耳触りの良い声で語る。薫はゆっくりと上半身を起こし始めた。関節が、筋肉の一本一本が、骨の髄までもが痛む。歯を食いしばった途端、唇が裂けた。

 鋭い痛みに唇に手をやると、傷口から滴る血よりも先に、唇を裂いた硬いものに触れた。

 牙、だ。

「吸血鬼のトレードマーク。私もしばらくはよく舌とか唇切ってたよ」

 ぐいっと唇をめくれさせ、彼女は鋭く尖った犬歯を見せてきた。

「基本、吸血鬼は狙って仲間を増やす。映画とか小説とかで見たことない? 気に入った人間を大事に、あるいは強引に仲間にするでしょう。現実でも殆どそう。けっこう同意のもとに変わる人も多いみたいだけどね」

 最後の一言だけ、彼女の心情が感じ取れた気がした。バカにしたような、理解できないというような嘲りが。

「同意があるにしろないにしろ、変えた人間の面倒は最後まで見るのが吸血鬼の社会の絶対の掟。そうでないとすぐに死んじゃうか…あなたみたいに暴走することになる」

「暴走って…僕がですか」

 薫の顔を見返して、緋音ははっきりと頷いた。

「親から教育を受けられなかった吸血鬼は、最初の3日のうち不注意で死ぬ。一週間生き残ると大量殺人を犯すか、飢餓状態になる。前者は吸血の欲望に忠実になった場合で、後者は人間性に縋りついた場合ね」

 淡々としたニュース原稿を読み上げるかのような口調に、なんとなく授業を受けているような気分になってきた。実際、吸血鬼の世界のことを教えて貰っているわけだが、薫は素直に聞き入っている自分に驚く。

「吸血の本能をコントロールするのって、大変なんだよね。一度味を知ると、我を忘れてしまう。血が美味しくて堪らなくって、次々襲ってしまう。でもそうすると警察の魔物対策専門部署とかフリーのハンターに見つかって殺される」

 そんな漫画みたいな組織があるのか、と思うが、吸血鬼が実在するのならいてもおかしくないか、と納得する。

「あなたは恐らく、人間を襲えず飢餓で狂いかけてたんだと思う。凄い弱かったし。人間性が中途半端に抗ってるこのタイプは人を殺しても血を吸う事ができず、殺人だけして逃げてしまう。殺される前に勝手に飢え死にする」

 緋音が首を少し傾ける。セミロングの黒髪がさらさらと揺れる。

「吸血鬼の考え方からすれば、あなたはとても運がいい」

 長々喋った中で、二回目の感情的な声だった。声のトーンは、言葉とは真逆に「運が悪かった」と言っているように聞こえた。

「吸血鬼社会の掟の一つでね。困っている吸血鬼がいたら助けあわなきゃなんないの。とはいっても、仲悪いやつらは毎晩殺し合ってるんだけど」

 黙って聞いている薫の反応を伺うように、緋音はそっと薫と目をあわせた。

 言われたことを飲み込むだけで精いっぱいの薫は、奇妙に感情の起伏がなくなっていた。ショック状態といっていいのだろう。普通なら否定したり、怒ったりしても良いはず―などと嫌に冷静に考えている。

「突然、あなたは吸血鬼になりました、とか言われて混乱しているのは分かってる。でもあなたは決めなきゃならない。明日の朝までに」

「何を、ですか?」



「このまま、生き続けるか、死ぬか」

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