表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/24

第一話「灰にしなかったんだから、いいでしょ別に」

 終電を逃してしまった。背後でガラガラと駅のシャッターが降りていく。他にも数名げんなりした顔で去っていく人を眺めてから、待鳥まちどり緋音あかねも歩き出した。

 朝までカラオケでヒトカラでもしようかな…。

 自然に沸いた考えに緋音は苦い笑みを漏らして、首を左右に振った。カラオケはやめとこう。それより久々に外で食事でもしよう。いつもは店で済ませているが、今夜は休みだ。たまには贅沢に、新鮮なものが食べたい。緋音は夜の深緋市こきひしへと歩き出した。

 深夜営業の居酒屋から賑やかな喧騒と良い匂いが漂ってくる。食欲をそそる匂いにつられるように歩いていると、路地裏に来てしまった。エアコンや厨房から緋音が思わず追ってきた良い匂いが溢れだしている。

 ジャケットのポケットに手を突っこんだまま、くるりと踵を返して――緋音は突如動きを止めた。

 不審な音を聞いた猫のような完全な静止。

 店内の騒ぎ、バックヤードの忙しそうな喧騒が、湿った静かな路地裏に響く。


―――こつん。


 音の方にぐねりと首だけ向ける。

 青いゴミバケツの蓋が吹っ飛んだ。

 人を詰め込めそうな大きさのバケツの中身が空中に飛び出す。生ゴミまみれのそれは、毒蛇の威嚇音のような奇声を発してから、壁を蹴って方向転換し、緋音の方へ跳んだ。

 半分背を向けたままの緋音は、足を思いきり振り下ろす。頑健なブーツが踏みつけたのは、モップの端。突端を踏みつけられたモップは生き物のように勢いよく跳ねあがる。一体何を拭いたものか、ドロドロのモップの頭は襲撃者の顔面にめり込まんばかりに正面衝突した。

 ほぼ同時、緋音の頭上にさきほど吹っ飛んだゴミバケツの蓋が落ちてくる。

 緋音は見上げもしないで蓋をキャッチすると、モップを顔に纏わりつけて視界を塞がれた空中の襲撃者を、飛来した害虫を叩き落とすように引っぱたいた。ズシャアアッと凄い音を立てて、生ゴミまみれの襲撃者はアスファルトの上を転がる。

 緋音はゴミバケツの蓋を捨てると、その辺に落ちていた三本脚の木製の椅子を拾い上げ、立ち上がろうともがく襲撃者に歩み寄る。

 無造作に背中に片足を乗せて動けなくすると、椅子がバラバラになるまで襲撃者を殴りまくった。

 完全に動かなくなったのを確かめてから、ぐったりと肩を落とす。ボロボロの襲撃者の脇に不良っぽくしゃがみこみ、血とゴミだらけの頭髪を掴んで持ちあげる。

 だいぶボコボコになっていたが、見た目二十代の男性だ。今や完全に意識を失い、だらりと口を開けている。本人の血で赤く染まった口の中に見えるのは四本の鋭い犬歯。

 男の髪を鷲掴みにしたまま緋音は周囲の気配を探る。散々大騒ぎしたが、店から誰か来る様子はなく、こちらを監視している視線もたぶんない。

「ってことは……そういうことだよね、これ」

 緋音は陰鬱に呟くと、心の底からめんどうくさそうに天を仰いだ。だが、ビルとビルの間の路地からは殆ど空など見えない。諦め顔で立ち上がり、男性の足首を掴み、犬のリードを引くようにスタスタ歩き出した。当然ながら、男性はずりずりずりずり引き摺られる。

 もう片方の手は携帯電話を取り出して、短縮番号を押す。数コールで相手が出た。

「もしもし真潮ましおさん。今いいすか? あのー、車一台回して貰えませんかね。えっと、同類を一人半殺しにしたんですけど、この子“親無し”のようで」

 すいません待ってますーと軽い調子で答えながら、緋音は街の闇の奥へと瀕死の男を引き摺りながら消えた。



◆ ◇ ◆ ◆ ◇ ◆ ◆ ◇ ◆



 結局、昨夜の緋音の食事は店の輸血用パックだった。客に新鮮な血を提供する給血きゅうけつ係の人間たちが血を吸わせてくれようとしたが、断った。彼らは吸血鬼専門高級ナイトクラブ夜行雲やこううんの大事な商品だ。血は大事にして欲しい。

 今宵も夜行雲は盛況だ。夜行雲の給血係は、人数は勿論のこと種類も豊富だ。一番人気は徹底的な食事管理をしているヘルシーでオーガニックな血。アルコールを大量摂取にしておくことで酒精が多く含まれた血液も需要が高い。酒の味は楽しめても、酔っぱらうことが出来ない吸血鬼だが、飲酒した人間の血をじかに吸えば酩酊感を味わうことができる。夜行雲はお上品なので実施していないが、もっとアングラなところでは麻薬中毒者の血を供す店もある。麻薬の場合は吸血鬼にも効くのだが、人間を通すと薬効だけを楽しめるのだ。人間は煙草のフィルター代わりのようなものだ。

 待鳥緋音は吸血鬼になって25年ほどになる。享年は19歳。人間として生きた年月を第二の生が上回る頃、吸血鬼は一人前になると言われている。緋音は社会人数年目といったところか。

「緋音ちゃん」

 ホールの隅のいつもの位置に突っ立っていると、耳に心地好いテノールが呼びかけてきた。すらりと背が高く、痩身にオーダーメイドスーツの男が微笑んでいた。

「こんばんは真潮さん。昨日は助かりました」

 この吸血鬼専門高級ナイトクラブ夜行雲のオーナーであり、緋音の“従兄”先崎ひろさき真潮ましおだ。

「いいんだよ、緋音ちゃんにはいつもお世話になってるからね」

 にっこり笑って、ウインクしてみせる。思わず笑顔を返してしまう魅力的な笑顔だ。なにより、声が素敵だ。まるで名手の奏でるピアノのような聞き心地の良い声――吸血鬼は声に音楽的な魅力を持つ者がたくさんいる。中には真潮のように同族をも一瞬惑わせる程の者も。

「拾ってきたあの子ね、やっぱりどこからも『出生届』が出ていないよ。状況から見ても“親無し”吸血鬼確定だね」

 素敵な声が告げる不穏な内容に、緋音は形良い眉を無意識につりあげた。

「最近、荒れすぎじゃないですか」

「そうだねえ」

 人間のウェイターが新鮮な血を満たしたワイングラスを2つ運んできた。真潮自らグラスを取りあげ、緋音に渡す。緋音は「どーも」とグラスを受け取る。店内ではワイングラスで血を味わう吸血鬼も多い。

 緋音はグラスの中で鮮紅色の動脈血を揺らして、ウェイターが去るのを待ってからよく通る声を低めて囁く。

鬼柳院きりゅういん椿つばきが行方知れずになってからもう1カ月です。どの派閥の若いのも調子に乗ってます」

 鬼柳院椿は深緋市こきひしの吸血鬼たちの頂点に立つ高齢の吸血鬼で、日本の人類史の最初から闇の中に寄り添っていた鬼柳院一族のひとりだ。椿自身は少なくとも千年は生きている筈、と緋音は“父”から聞いている。

 その椿が1カ月以上姿を見せない。老齢の吸血鬼の中にはあまり表に出ない者も多いが、椿はパーティー好きで知られていた。週に一度は“子”や“孫”たちは勿論のこと、他の血族や派閥の吸血鬼も招いてお祭り騒ぎをする。

 明らかに異常だ。深緋市吸血鬼の勢力図において最大の版図を誇る鬼柳院派は椿について一切口を閉ざし、活動も縮小されてしまった。だが元が人であるだけに吸血鬼の口にも戸は立てられない。

 夜の街を鬼柳院派が狩りもしないで徘徊しているという噂が立ち始めた。緋音も実際に目撃している。我が子を探すような鬼気迫る異様な様子だった。

 もしも椿が死んだのであれば隠蔽する必要は殆どない。確かに椿ほど強大な吸血鬼が死ねば、鬼柳院派の勢力は衰えることになる。だが、派閥同士が血で血を洗う戦争中ならばまだしも、現在の深緋市は複数の古老吸血鬼が棲んでいることもあって、安定している。ごく普通に派閥の長の交代を発表しておく方が良い。吸血鬼といえど、死ぬ時は死ぬのだ。

 鬼柳院派の不審な動きに呼応するように、第二勢力が動き始めた。羽喰はぐい勝樹かつきという深緋市外で転生した、百歳に満たぬ吸血鬼を長とし、“親なし”やハグレを中心とした若い吸血鬼たちで構成されている。

 派閥構成員の性質上、羽喰派は破壊的な行動をする吸血鬼が多い。それを、長年人間社会の影で上手に立ちまわってきた鬼柳院派が、腕力と権謀術数で制御していたのだ。

 しかし、今の鬼柳院派は見る影もない。

 当然、悪ガキどもは調子に乗り始めた。

 人間を狩るのは吸血鬼に必要な行為だ。だが、節度を守らねばならない。ましてや全国区のニュースで取りあげられるような大事件を起こすなど言語道断である。1週間前、羽喰派の吸血鬼たちがド派手に人を殺しまくった。日本全国を震撼させた大量殺人事件として、海外でもセンセーショナルに報道されてしまった。日本史上最悪の事件として今も注目の的である。

 世間的には吸血鬼の仕業ではなく、テロ事件ということになっているが、吸血鬼の存在を知っている人間には思いっきりバレているだろう。

 役に立たない鬼柳院派、腹を抱えて笑っているだけの羽喰派に代わって事件隠蔽のために奔走したのは緋音の“祖母”を長とするナイトウォーカー派であった。

「僕はこれからの生涯、きっと忘れないよ。あれからもう一週間も経っちゃったんだねえ。倉庫に隠れていた“成り立て”やハグレたちの手足を、千切っては投げ千切っては投げして、燃え盛るドラム缶の中に放り込んでいく悪鬼みたいな顔した緋音ちゃんを」

「灰にしなかったんだから、いいでしょ別に」

 満足した猫のように微笑む真潮に、緋音は空のワイングラスを突きつけた。

「怖いって意味じゃなくて、カッコ良かったよっていいたいのさ」

 真潮はまたしてもウインク。三十代の日本人のオッサンなのだが、一瞬どきっとするほど色っぽい。偶然ウインクを見てしまったらしい人間のウェイトレスが熱い溜息を吐いている。しかしウインクを貰った当の緋音は虫でも追い払うように手を振る。

「ひどい。叩き落とすことないじゃないか。緋音ちゃん、ほんと八雲やくもにそっくりだよね。“親”じゃないのに」

 今度はぶすーっとほっぺたを膨らませる。今時子どもでもやらない仕草だが、なぜか可愛い。けれど魅力はそのまま吸血鬼の強さだ。強い吸血鬼ほど、人の心を惹きつける。

「もちろん、緋音はこの俺の“娘”だ」

 聞いただけで腰砕けになりそうなとんでもなく妖艶な声がして、緋音も真潮もぎょっとした。二人して周囲を見回すが、声の主の姿は――。

「あ!」

「えっ…ひいっ!?」

 背後から伸びた腕が艶めかしく緋音の腰に絡みつく。緋音が何をする間もなく、首にがぶりと誰かが噛みついた。牙が刺さったわけではない。甘噛みだ。そして緋音の古い噛み傷に真っ赤な舌を這わせる。

「あの夜を忘れたわけではないだろう? 可愛い俺の鳥」

「お父さん…お父さんじゃなければ全力で殴るとこですよ」

 緋音のぐったりした声に、妖艶な声の主は嬉しそうに笑った。

「殴ってもいいぞ、それでこそ俺の鳥だ」

「緋音ちゃんで遊んでいる時の貴方は本当に楽しそうですね、泰久やすひさ兄さん」

 苦笑する真潮に、緋音をぬいぐるみのように抱きすくめたままの吸血鬼―金刃かねと泰久は艶やかに笑って牙を見せた。

 人間の女性が思わず見惚れ、聞き入ってしまう真潮の声や笑顔に対して、泰久の声と笑顔は想像妊娠させかねない。なんでこんなR18指定な奴が自分の“父”なのだろう、と緋音は遠くを見ながら思った。

「ここ何年かの緋音はつまらん。俺がセクハラしても呆れるだけだ。俺に飽きたのか?」

「夢中になったことのないものに飽きるとかないので…てかセクハラの自覚あるんですか!」

「知らなかった。大人になったんですね兄さん」

「俺は日々成長を続けているのだ。それはそうと緋音、もっとこうして親子の触れ合いを続けたいのだが、仕事がある」

 緋音の引き締まった腰周りを撫で回し、首に口づけし続けながら言う“父”に、緋音は益々ぐったりする。

「分かりました。分かりましたから離してください」

「抱きしめたまま連れて行ってやっても良い」

「いらないです」

「やっぱり緋音は俺に飽きたんだな。八雲にばっかり懐く…」

「八雲さんはセクハラしないんで」

「過剰な親子のスキンシップだ」

「過剰な時点でダメだろ」

「おーい、仲良し親子、早く行ってくれないかな。営業妨害になんだけどー」

 泰久の蠱惑的過ぎる声は、人間の従業員のみならず客の吸血鬼をも魅了してしまう。緋音が見回すと店内のすべての視線が、うっとりと泰久に縫い止められていた。

「緋音に見つめて貰えなければ意味がない」

「すいません、このバカ父は私が責任持って連れて帰りますので…」

「頑張ってね、緋音ちゃん…」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ