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檻の中の歌姫

 白い扉の向こうは、誰もいない看護師詰所だった。


 無造作に置かれたカルテに、積み上げられたトレー。けれど、その向こうに広がる風景は、花音の母のいる病棟と配置が違う。

 大きなテレビに大きなテーブルがいくつもあり、何人かの人がお茶をしている。煙草を吸っている人もいれば、車椅子に座ったまま、項垂れている人もいる。ホールの開け放した窓の前で、多分小学生くらいの女の子が立っていた。窓の外に向かって――歌っている。


 この病院は、敷地内禁煙だった。どうして煙草を吸っている人がいるんだろう。それに、少女の歌う窓には鉄格子がされている。フロア全体が檻の様だ。花音がそれ以上にびっくりしたのは、何故か看護師詰所には鍵がかかっていた事だ。内鍵なので、中からは容易に開けることが出来る。

 この時、そこがどういう病気の人がいる病棟なのか、花音はまるで判っていなかった。だから、その鍵を開けた。

 

 カチャ。


 そんな些細な音に気が付いた少女は、音の方を振り向いた。


 その少女は、お人形の様に可愛らしい少女だった。白い肌に長い黒髪、少し首を傾けてこちらを見る仕草。花音が見てもカワイイと思うくらいだから、男の子にはモテるだろう。真っ白なワンピースを着て、手には少しボロっとした、白かったと思われるウサギのぬいぐるみを持っている。

 ただし。

 黒髪はぐちゃぐちゃで、リボンの一つもしてないし、目の下には、子供に似つかわしくないくま(・・)がある。少しだけ頬がこけていて、やつれた感じだった。


「こんにちは。貴方は?」

 近づいてきた少女に促されるように、花音は自己紹介をした。

「長谷川花音、12歳。小学校6年生です。貴方は?」

「私?」

少し驚いたように見えた少女は、子供らしく、にっこりと笑った。

「三井彩菜、11歳。同じく小学校6年生です」

 同学年!

 驚いた花音は、ちょっと言葉を失った。

「彩菜ちゃん、小学校はどこ?」

少し表情を曇らせた彩菜は、それでも小さな声で言った。

「南小。花音ちゃんは?」

花音も少しためらってから、答えた。

「北小。結構遠いね」

 そして、そのまま黒髪に手を伸ばす。彩菜が少しビクっとしたが、花音は気にしなかった。

「からんでる。私、直してあげるよ。こういうの得意なの」

 彩名は、自分が花音に髪を触れれても、平気な事に驚いていた。

「……うん。お願いします」

 そして花音はからんだ彩名の髪を綺麗に梳かし始めた。


「ちょ! 誰? 施錠忘れたの!」


 看護師詰所の前で看護師さんが大声を上げると、パタパタと二人の看護師さんが詰所に戻ってきた。ホールで霧吹きを当てながら丁寧に絡んだ髪を梳いていた花音は、その声に驚いた。


「ごめんなさい。歌声が聞こえたので、つい……」


 見上げた先には、半年前に別の病棟に移動になった看護師の笹井の姿があった。

「笹井さん。ごめんなさい」

もう一度謝ると、笹井は俯いた。

「ごめん。尋問みたいになっちゃうけど、どこから入ったの?」

他の二人の目線も厳しい。

「あの、一階廊下のドアから……」

言い終わらないうちに一人が叫んだ。

「開放のヤツらめ~~~」

意味が解らず首をかしげた花音に、笹井が教える。

「本当に申し訳ない。こちらの落ち度ではあるんだけど、覚えておいて欲しいの」

笹井は出来るだけ花音に解りやすい言葉を選んで説明を始めた。

「この病棟は閉鎖病棟になっていて、許可なく面会したり、入院している人が外に出ない様になっているの」

ああ、と、花音は思い当たる。この病院には精神科病棟が併設されていて、お母さんが運ばれた時に夜の外来で、大声で騒ぐ人を見かけた。廊下の手前に別棟専用のエレベーターがあった筈だ。

「もう一つ、看護師詰所にはとっても強い薬が置いてあるのだけど、ここに入院している人は、楽になりたくてたくさん薬を使いたい人もいるの。だから看護師詰所にはいつも鍵をしているのよ」

花音は、うんうん、と頷く。

「誰も看護師詰所に入っていかなかった?」

厳しく問い詰める笹井に、花音は答えた。

「髪を梳いていたのですが、見ている限りでは、誰も入っていっていません」

ずっと扉が見えるホールにいたのだから、入っていったら判る。


 大きく安堵の息を漏らした笹井は、次の瞬間固まった。


「か、かか、カカカ?」

「髪、梳いてました」

 特に問題無さそうに答える花音の後ろで、彩菜が人差し指をたてて唇に当てている。彩菜の笑顔など初めて見た看護師達は目を見合わせた。

「――お願いシマス」

 笹井の敬語に、花音は微笑んだ。

 今まで誰も彩菜の髪に触れることが出来なかった看護師達は、小さな不法侵入者を叱ることが出来なかった。何より、今まで能面のような表情だった彩菜が、二年・・ぶりに笑ったのだから、責めようがない。


 彩菜はお礼に花音の好きな歌を歌った。透き通るような声が、薄汚れた広いホールを抜けて、病棟中に響く。それは何かの始まりの様で、他の患者達も笑顔にした。天使の歌声の様に、神の福音の様に、少女は高らかに歌う。時には花音を誘い、時には他の患者を導いて、彩菜は歌い続けた。

 

 それが、互いにあまり自分の状況を悟られたくなくて、けれど、誰かに助けて欲しかった、二人の少女の出会いだった。 

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