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あまごい  作者: 白石ひな
6/17

日直と朝の電車


 「もしもし、梓?」


 お風呂から上がってくると携帯に表示されていた不在着信。それは梓からのもので、私はすぐに掛け直した。


 「あ、彩月?」


 「うん、どーしたの?」


 私と梓は、滅多に電話なんかしない。ほとんどメールで済ませてしまうから、こういうときは十中八九大事な用の時だ、……たぶん。


 「今日、どうだったのかぁと思ってさ」


 どきりと胸が鳴る。いま、もし目の前に梓がいたならこの動揺は簡単に悟られてしまっていただろう。だが、幸いなことにもこれは電話。さすがに梓も電話越しでは気付かなかったようで、同じ調子で言葉を紡ぐ。


 「で、例の彼とは会えたの?」


 「えっ、あー……」


 会えたって、言うべき? でも、会えたのに傘返せなかった……ううん、返さなかったことは、どう説明すればいいの?


 「……今日は会えなかったんだよねー」


 こんなにすんなりと嘘を告げておいて、激しく後悔。いっそのこと、本当のことを言ってしまえばよかったのに、今さら言う勇気もなくて。電話口で梓が何か言ったけれどその声は、右から左へすーっと消えていった。


 電話は確かに繋がっているものの、頭はぼうっとしている。定まらない焦点の中で、私の目がやっと何かを捉えた。それは皮肉にも荷物整理のために一度鞄の外に出していた折り畳みで、私をじっと見つめている気がした。


 次会ったときは、絶対に返そう。うん、そうしよう。そう決意して私は梓の声に集中する。話題はちょうど学校のことのようだった。


 「あ、そういえば、」


 梓はタイミングよく話を転換させようとする。私は「うん?」という声を出して、言葉を促した。


 「明日、彩月日直じゃない?」


 「……えっ。えぇ!? やだあ!」


 情けない声が部屋に響く。そうでなくても泣きたい気分だったのに、反響した声が耳に入ってきて、一層気持ちが沈む。


 「ははっ。どんまい! あ、ってことは、明日朝、早く学校行かなくちゃね?」


 ……そうだ。日直は面倒くさいことに、教室の鍵を開けなくてはならない。だから必然的に、学校に早く行かねばならなくなる。


 私はため息でもつきたくなったのに、電話の向こうでは梓が楽しげに笑っているから、頬を膨らませた。


 「梓も明日、早く行く?」


 「はぁ? 行くわけないじゃん」


 電話だから表情はわからない。だけど、なんとなく呆れた顔をしている気がした。だけどめげない。だって朝早くから教室で一人とか、寂しいもん!


 「行こうよー。ねっ? ねっ?」


 「はぁぁ?」


 嫌そうな声が聞こえる。でも、少しだけ梓の心が揺らいでいる気がした。


 「ねー、お願い!」


 「えー……」


 あと一押しだ!

 と、私はない頭を働かせて、最高の落とし文句を用意する。


 「購買のプリン買ってあげるから!」


 なんて、最高の落とし文句なんて言ったわりに、安い気もするけど。


 「……仕方ない。ただし、『起きれたら』だけどね」


 なんだかんだで優しい梓は、こう言うけれど絶対に来る。間違いない。そう思うと頬が緩んでしまって、にやにやとしてしまった。


 「ありがとう!」


 気分が良くなっていつにもなく上機嫌な声を発したつもりだったけれど、そんな私に水をさすように梓の妙に冷めた声が聞こえてくる。


 「なんか声、気持ち悪いけど」


 「え、声気持ち悪いって何!?」


 「や、そのまんま」


 私の気分は急下降。ひゅるるるー、って音さえするんじゃないかと思った。

 とにもかくにも、梓は明日来てくれるらしいし、もうそれでいい。


 電話口では梓が別れを告げたところだった。私もそれに返すと机の前に立つ。


 いつ、会えるかな。……あ、そうだ。長傘、どうしよう。

 悩み事は増えるばかりだ。……いや、そんな自然発生的なものではなく、自分で増やしている、のかな。とにかく頭が痛い。私は左手で軽くこめかみを押さえながら、鞄に折り畳みをしまった。





 空はいつもより暗い。だけど、冬に比べれば格段に日中の時間が長いこの季節だからか、すでに太陽は上っている。朝方の空は眩しい。久々にこんな時間に家を出たからか、目が辛くて仕方がない。


 ……だが、そんなこと言っていられるだけの余裕はなかった。


 いつもならゆっくりと歩くはずの住宅街を、全速力で駆け抜ける。息が辛いとか、そんなことは言っていられない。鞄が重いとか、そんな文句も言っていられない。頭に浮かぶのは鬼のような形相の梓のみ。


 そう。そんなベタな! と叫びたくなったがしかし、確実に、寝坊だった。

いつも通りの時間に出るのなら問題ない。もともとそんなに支度に時間をかけるタイプでもない。が、今日は日直で早く学校に行かねばならなかった。


 やっぱりお母さんに「早く出る」って言い忘れたのが一番の失敗だ……。


 私は腕につけた時計に目をやる。私が乗りたい電車の発車時刻までは2分ほど。できることならもう走りたくなどなかったが、やはり頭には梓の姿。自分から頼み込んだのに遅れてなんて行ったら、と思うと顔が真っ青になった。


 絶対駆け込み乗車だ。

 それを少しだけ恥ずかしく思ったが、背に腹は代えられない。どうせ電車の中は知らない人ばかり。梓の逆鱗に触れるより、よっぽどよかった。



 ぜえはあと息を切らしながらやっとの思いで改札につく。出発時刻まではもう1分を切っていた。改札を抜けて、そびえ立つラスボス、長い階段。私は吐き気がしたのはきっと気のせいだと、それを駆け上がった。階段を越えた先では電車のつく音が聞こえる。そして降りてきた乗客が階段に見え始めた。


 やばい!


 私はさらにスピードアップした。そして、


 「ドアが閉まります。ご注意ください」


 駆け込んだ電車の中。背後で、そんな声を聞いた。



 うわぁ、なんかデジャブ。……って、昨日のことだけど。


 昨日も園ちゃんと駆け込み乗車をしたが、まさか二日連続ですることになるとは。私は一抹の恥ずかしさを抱えながら車両を変えるために歩き出した。


 そんな私の肩が、ポンポンと二回叩かれる。不思議に思いながらも振り返らないわけにはいかないだろうと、ゆっくりと振り返った。


 「どーも」


 夢でも見ているのかと思った。それくらい信じられない。

 いや、同じ駅なのは知っていたのだから偶然がないこともないだろうと、思ったけれどまさか、本当に会うなんて。


 そこで、はっとする。

 彼は私が駆け込み乗車をしたのを見たのだろう。それがどうしようもなく、恥ずかしかった。でも言葉を返さないわけにもいかなくて。私は、わざとらしく驚いたような声を出した。


 「わっ。……おはよう、ござい、ます?」


 「おはよう」


 何度見ても間違いない。私の目の前にいるのはやっぱり、例の彼だった。ビックリして上手く言葉が出せない。


 だって、晴れの日に会えるなんて。いままで雨の日にしか会ったこと、なかったのに。


 そこで私はやっと鞄の中のものについて思い出す。


 「あ!」


 そしてつい、声が漏れた。


 「どうかした?」


 聞かれて、悟った。もう後戻りはできないと。

 私は無言で鞄を漁り始める。鞄の中で異様な存在感を放つそれを見つけるのには、苦労しなかった。


 「あの、」


 なんで手、震えてるんだろう。

 疑問は頭の隅にやって、鞄の中に入れていた手を傘と共に取り出した。


 「これ、ありがとうございました!」


 私は軽く頭を下げながら彼に向かって傘を突き出す。彼は「あー」という声を漏らしてからそれを受け取った。


 「別にいいって言ったのに。でも、ありがとう」


 「いえ。長い間借りていてすみません」


 傘を持っていた手が、傘が入っていた鞄が、なんとなく虚しい。何かを奪われて、すっからかんになったみたいだった。


 「あ、でも、長傘はさすがに持ってくるの恥ずかしいだろうし、いいからね?」


 「えっ、でも、傘、ないんですよね?」


 昨日、傘がなくて困っていた彼。きっと私が彼の長傘を持っているせいだ。


 「え?」


 「だって、昨日……」


 「あー、大丈夫。昨日母さんが新しいの買ってきたから」


 そう言って彼はにっこり笑った。私は心のどこかで、ほっとしていた。


 「ところで、いつもこの時間なの?」


 彼は唐突に尋ねた。私と彼の身長差ではやはり見上げねばならなくて、きっと上目遣いになっているのだろう。


 なんとなく、恥ずかしい。


 「いや、今日はたまたまなんです」


 「へぇー。俺はね、部活の朝練なんだよね」


 言いながら肩をすくめてみせる彼。私はなんて言ったらいいかわからずに、「大変ですね」なんて月並みな返事をした。


 部活、何やってるんだろう。高校、どこなんだろう。

 聞きたいことはたくさんあるのに、何一つ聞けない。私の口にはチャックでもついてるのかな。


 電車が揺れる。その度に私は倒れまいと足に力を入れた。だって倒れたら私は彼に寄りかかってしまう。そんなこと、できない。ドアが何度か開いた。外から流れ込んでくる空気が一々、私たちの間の換気をしているみたいだった。だけど、この沈黙はやはり解けない。


 そして園ちゃんの最寄りに着く。さすがにこの時間に園ちゃんが乗ってくるわけがないとは思いながらも、一人でドキドキしていた。こんなところを見られたら絶対に後でからかわれる。そう思うと顔が赤くなる。私の顔はドアが閉まってもなお、赤かった。


 そして電車が次の駅に向かい出した頃、彼が口を開く。


 「俺、次の駅だから」


 沈黙が始まってからずっと、上げられなかった顔を上げて、彼を見る。彼の襟元には校章が光っていた。


 「じゃ、」


 そして電車は、駅に着いた。


 「またね」


 彼の口角が上がる。目尻が下がる。目の前のドアは、開かれた。私はそれと同時に急いで言葉を紡ぐ。


 「あ、はい! またっ!」


 彼は一瞬驚いた顔を見せてからまた、顔を緩ませる。そして彼は電車から降りた。その襟元には「海南」と書かれた校章。


 海南、高校なんだ……!


 やがてドアが閉まって彼の姿が小さくなっていく。私は梓に会いたくてうずうずしながら、電車に揺られていた。





 「梓!」


 「え、なに? なんで朝からテンション高いの?」


 梓は私のことを怪訝そうに見るけれど、それすらも気にせずに、口を開いた。


 「今日電車でね、彼に会ったの! ちゃんと傘、返したよ!」


 「へぇー、そりゃよかった」


 私と梓は学校に向かって歩き出す。せっかく早く来たのに立ち話になって日直としての責務が果たせなかったなんて、死活問題だ。


 「うん。でね、彼ね、」


 梓は相づちを打って私の言葉を促す。私は満面の笑みを浮かべていた。


 「海南高校の人だったの!」


 「頭いいんだねー」


 「えー、もっと何かないの? 驚くとかさぁ」


 私は梓の反応の薄さに口を尖らせた。一方の梓は私の気持ちなど露知らず、一刀両断に否定の言葉を口にした。


 「あ、でも、」


 梓は何か思い出したように声を発する。私はきょとんとした顔でその先の言葉を聞いた。


 「園ちゃんの元カレ、確か海南だよ」


 「そうなの!?」


 「うん、そうそう」


 そんな態度全く見せていなかった園ちゃんに、少しだけ驚く。

 そっか。園ちゃんの元カレ、海南なのかぁ。なんて思いながら私たちは、校内に踏み入る。湿っぽい風が、私たちを包んでいた。



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