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ROI++  作者: 霞ひのゆ
第二話 罪の意識
9/10

第二話4

 ――いったい、何が起こったのか。なぜ、こんなことになったのか。

 俺は床に尻もちをついたまま、唖然と目の前の光景を見つめていた。

 まるで、地獄絵図だ。大の大人が、叩きつけられたイモムシのように、弱々しく体を捻らせ、哀れな声で助けを請う。

 その中で、闇色の影がゆっくりと起き上がった。

「33、34、35……38」

 ぶつぶつと呟く口元から、赤い液体が細いあごへ流れ、冷たい床に落ちていく。

 まるで、吸血鬼だ。

 アルベールは銃を握り締め、唖然とするラスト・ボスを見据えた。

 悠々と座っていたソファーは血に染まり、少ない灯りを浴びて、床の鮮血が黒く光る。

 さすがのブラッドも、この光景には目を見開き、驚きと動揺を隠しきれていない。

 汚れた口を拭いながら、アルベールがちらっと腰を抜かした俺のほうを見た。

 俺はヒッと悲鳴をあげ、震える足で床をかき回す。

「ひ、人殺……」

「言っとくけど、殺してないよ」

 アルベールはブラッドに視線を戻し、冷静な声で俺を跳ね除けた。

 確かに、皆悲痛な唸り声をあげて、微弱だがもがいている。殺してはいないかもしれないが、死ぬほどの苦痛はあたえているようだ。

 俺が部屋中を見渡していると、ギシッとソファーの軋む音が響いた。

 ちょうど、ブラッドが重たい体を椅子から起き上がらせたところだった。筋肉を痙攣させ、酷く侮辱されたことに、体中の血管が怒りに湧いている。

 俺が息を呑んで見守る中、ブラッドは大きく肩をいからせてアルベールを見据え、ゆっくりと近づいていった。

 もはや人とは思えない巨体を揺らし、今すぐにでも、華奢な少年を真っ二つに割りたいというように、黒光りする凶器がわなわなと震える。

「よくも……」

「くだらない。数だけで僕が殺せるとでも思ったか」

 怒りのこもった声を遮り、アルベールはまたもブラッドを煽る言葉を吐いた。

 グレーだったはずの瞳はいつしか青く染まり、軽蔑と嫌悪の目で、じっとブラッドを睨みつける。

 一遍の恐れさえ見せないアルベールに、ついにブラッドの人間味が一気に消え失せた。

 過剰なほど荒く息を吐きながら、血走った目が、みるみるうちに真っ赤に染まっていく。両腕がまるで別の生物のように勝手に痙攣し、鉤爪が巨大化していく。

 体の中からなにかが突き破ろうとしているかのように、皮膚のあちこちが跳ね上がった。皮がはじけ、中身が飛び出し、血が吹き飛ぶ。それでも、悪魔は裂けた口を大きく持ち上げ、ニタリと笑った。

 化け物だ――。禍々しい姿を前に、俺はガタガタと体を震わせ、身動きひとつ取れなくなっていた。

「俺様の自慢の腕で、お前の両手両足、引きちぎってやるよ!」

 ブラッドがノイズのような奇妙な声で、嬉々としてアルベールに凄む。

 それでもアルベールはフンと鼻を鳴らし、負けじと言い返した。

「じゃあ僕は君の頭にキレイに弾ぶちこんで、中身があるか見てやるよ」

 ぶつんと血管がはじけ飛び、ブラッドが雄叫びをあげた。

 耳を劈く叫び声に、俺はたまらずに耳をふさぐ。

 強烈な大音声に耐え切れず、電灯やガラス戸が吹き飛んだ。いくら耳を押しつけても、鼓膜を打ち破られそうな痛みが脳みそを掻き乱す。

 このままじゃみんな殺される! 悲鳴をあげそうになった瞬間、ブラッドがアルベールに向かって巨大なこぶしを振り下ろした。

「アルベール!」

 幸い、アルベールは無事だった。間一髪のところでブラッドの腕から飛び退き、バランスを崩しながらも空中からブラッドに銃口を向ける。

 銃声が響いた。しかし、巨大化したブラッドの鉤爪に、小さな弾ははじかれる。

 この時、アルベールが初めてブラッドの前で不機嫌そうな表情を見せた。

 二発目の攻撃が地面を打ち、床が割れてむき出しになる。

 俺は慌てて店の隅へ這い逃げ、砂煙の中で暴れまわるブラッドを目で追った。

 意志をもったように両腕が何度も飛び跳ね、建物を破壊し、その中で辛うじて逃げ回る小さな人影が見える。

 もはや人間でなくなったブラッドの暴走は止め処なく続き、ついに柱を失った天井が崩れ落ちてきた。

 俺は必死に頭を抱え、壁に身をすり寄せた。倒れたテーブルに砕けたコンクリートが落ち、木片が俺を打ちつける。

 これじゃまるで戦場だ。やばい、このままじゃ、あいつ死ぬ。俺も死ぬ! なんとか逃げ出そうと身を起こしたその時、人影が、こちらに向かって飛んできた。

 あいつだ。投げ出されたんだ! とっさに受け止めようと手を伸ばしたが、アルベールは俺の手前で着地し、小さく悪態をついた。

「この……化け物」

 アルベールが飛んできた破片を払い、銃を左手に持ち直す。

 俺はとっさにアルベールの腕を掴み、抜けた腰を引きずって立ち上がった。

「逃げろ! お前みたいなチビ助じゃ、こんな化け物に勝てっこねぇよ!」

「ちょっと黙っててくれる? じゃないと脳みそ吹き飛ばすよ」

 アルベールはちっと舌を鳴らすと、腰から黒い拳銃を引き抜いた。これで二丁の拳銃が少年の手の中にある。

 その姿に、先刻の言葉がはっと俺の脳裏を過ぎった。

「……ブラッドを殺すのか?」

 ブラッドが暴れまわり、手当たり次第に物を破壊していく。

 その中で、アルベールは乱れた呼吸を整え、冷静に言葉を吐いた。

「悪魔は、よほど腹が減っていない限り、人間を一気に食い尽くしたりはしない。徐々に、徐々に、いたぶるように、楽しんで人間を侵食していく。悪趣味なその過程なら、まだ人間から悪魔を取り除くことができる。だけど、こいつはもう、体も、心も、まるで悪魔そのものだ。残虐を好み、もう何人もの人間を殺して喰っている」

 それを聞き、確かにそうだ、と俺は思った。

 ブラッドの今までやってきたことを思い返すと、人を傷つけ、じわじわといたぶり、殺してくれと泣き叫ぶまで過程を楽しむ……明らかに、残虐非道、こいつの言う、悪魔そのものだ。

 ブラッドが暴れまわるのをやめた。どうやら、獲物が居ないことに気づいたらしい。

 アルベールが俺の手を振り払う。そしてまた、前へ進み出た。

「自我を失って、悪魔に体を支配されるぐらいならまだましだ。体の奥底にほんの少しの良心でも持ち合わせれば、悪魔に打ち勝つことだってできる。だけど、ここまで悪魔に操られ……いや、自分の持ちえた悪心がここまで成長してしまうと、僕にも引き離すことはできない。手遅れだよ」

 ほこりが徐々に薄くなり、二人の目の前に、再び化け物の姿が浮かび上がってくる。

 以前より巨大化した腕、それに負けじと体も膨れ上がり、まだ成長する気なのか、体のあちこちがぶちぶちと弾けていく。

 巨大な体に不釣合いな小さい顔が、一番てっ辺で、獲物を見つけた、とニタリと微笑んでいた。

 やばい! 異様な雰囲気を感じ取り、逃げろと叫びだす前に、ブラッドが高く両腕を振り上げた。

 次の瞬間には、ガス管が爆発したような音と共に、地面が弾け、俺は一度飛び上がって床に叩きつけられた。

 砂ぼこりが喉に飛び込み、大きく世界が震える。目の前から、アルベールの姿が、消えた。

「お……おい、チビ助!」

 俺は慌てて立ち上がり、埃に咳き込みながら叫んだ。

 建物を全壊させたブラッドが、満月に向かって狂喜に満ちた笑い声をあげている。

 必死にクラブの中を見回すが、目の前に広がるのは、打ち砕かれた残骸ばかり。辺りには血のにおいが広がり、無骨なコンクリートの塊の下から、所々赤く染まった、人の一部だと確認できるものが覗いていた。

 吐き気が込み上げ、俺は耐え切れずに嗚咽を零した。絶対あいつ……潰されちまった。

 冷たい絶望が、俺の足を砕く。

 うそだろ、そんな……――俺はまた、目の前で、誰かを犠牲にしてしまった。

 泣きたいのに声さえ出なく、喉が絞めつけられる。震える目頭から、熱いものが溢れ出た。

 あいつを殺しちゃ、いけなかったんだ。

 大きな黒い手が、後ろから心臓を鷲づかみにする。あまりの苦しさに、俺はぎゅっと肩を抱き、硬く目をつむった。

 暗く、熱いものが体を包んでいく。誰かが俺を後ろに引っ張り、そいつが表に出ようとしている。

 もう――どうなっても、いいんだ。

 結局、自分が殺される番になって、今更罪を悔いたって、なにも変わりやしなかったんだ。

 他人が苦しむ様をただ見ているだけ。ただ、手を出さずにじっとしているだけ。それがこれほど重い罪になるなんて、家を出た頃の俺は、これっぽっちも知らなかったんだろう。

 でも、俺はいつだってそうだった。

 気に入らない現状につばを吐いて、誰かが変えてくれることを、いらいらと待っているばかりだった。

 自分から踏み出せば、ひとつでも変わることがあったかもしれないのに。

 その可能性にすがって、失敗するのが怖くて、いつだって希望を見てみぬふりをしてきた。

 仲間を見捨てたあの時だって、飛び込んで弁護するぐらい、勇気を出せばできたんだ。

 ただ、怖かったんだ。誰にも必要とされずに死ぬのが。知っていたんだ。俺がもし死んだって、泣くやつも、悔やむやつも居ないってことぐらい。

 俺は、家族を捨てて、多くの命を見捨ててきた。そして今度は、ついに俺自身が見捨てられる番が来た。

 だけどあの時、体を張ってでも、ブラッドの罪を食い止めていたなら。

 たったひとつだけでも、自分の命に代えてでも守りたい、愛すべきものを持っていたなら……。

 神さま、あんたは俺を、救ってくれていたのかな。

 今さら、あんたは不公平だ、なんて不満を言うつもりはないけれど。

 欲を言えば、美人で、優しくて、器量のいい、愛する女の胸に抱かれて、死にたかったなぁ……――


 ――その時、コンクリートの崩れる音の中で、小さな銃声と、叫び声が響いた。

 その音は、かき消されそうな俺のもとにも、かろうじて届いていた。

 妙に遠くに聞こえる騒音に、俺はふと意識を取り戻す。

 視界が、不思議と明るく開けてくる。俺は顔を上げ、ゆっくりと辺りを見回した。

 ぼんやりとかすむほこりだらけの世界の中で、大きな影がうごめき、その上で、小さな影がはためいている。

 俺は身を乗り出し、目を擦った。頭がまだはっきりとしないが、見間違いじゃない。

 居た。あいつ、チビ助、居やがった。あいつ――生きてる。

 とたんに、頭を殴られたように意識がはっきりとした。俺は黒い影を振りはらって飛び上がり、目の前の巨大な影を見上げた。

 ついに屋根を突き破ったブラッドは、くるくると跳び回るアルベールを捕まえようと、巨大な手を頭上で振り回している。

 まるでぐずる赤ん坊みたいだ。どうやらバカでかくなった体の代わりに、脳みそを犠牲にしてしまったらしい。

 崩れた屋根の向こうには、満天の星空が広がっている。

 神秘的な月の光が、アルベールの灰色の目を、今度こそはっきりと青く光らせていた。

 アルベールがビービー喚くブラッドの頭を足蹴にする。

 そして二丁の拳銃を、ブラッドに向けた。

 二つの音が、ほぼ同時に響いた。

 次の瞬間には、栓の抜けた風船のように、巨大なブラッドの体が萎んでいった。

 しゅんしゅんと空気の抜ける音の代わりに、細く甲高い、何百人もの悲鳴が体から抜けていく。

 瞬きを二回する頃には、崩れた建物の中心に、元の姿より少し小ぶりになったブラッドが横たわっていた。

「や……やった……やった!」

 ジョンは思わず歓喜の声をあげ、すとんと降り立ったアルベールに駆け寄った。

 アルベールは黒の拳銃を腰に戻し、やれやれと肩を回して、俺のほうを振り向く。

 そしてなんのためらいもなく、俺に銃口を向けた。

「君もだよ」

 パン、とはじける音が聞こえ、俺は気を失った。



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