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ROI++  作者: 霞ひのゆ
第二話 罪の意識
8/10

第二話3

 誘導は、成功した。だが、こいつがブラッドの目的の人物とは限らないし、何よりこいつがブラッドに生意気を吐いたらと思うと、考えただけでゾッとする。

 こいつはずいぶん肝が据わっている。だけど、まだまだ世間知らずの子供だ。俺でもブラッドの前では硬直しちまうんだから、こんなチビ助が行ったら、一目で泡吹いて失神しちまうかもしれない。

 しかも、あれを便利なものだって? まるで、ゲームに出てくるアイテムを指すような言い方じゃないか。

 考えてみれば、あんなガキの持った銃が本物とも限らない。金持ちの坊ちゃんがいたずらに持ち歩く、ただのモデルガンの可能性だってある。

 そんなレベルじゃない。ブラッドの鉤爪は、本物の殺人道具なんだ。

「ねぇ、どっちに行けばいいの?」

 怪物が小さな体を引き裂く、残酷な想像に怯えていた俺に、アルベールが話しかけてきた。

 呼びかけに気づき、はっと顔を上げる。とたんに、一瞬にして辺りが光に包まれた。

 目が眩む。かと思えば、いつの間にか目の前にあるものは、異常に大きな黄金色の夕日。

 そして、夕日を背にポツンとたたずむ、アルベールの姿だった。

 また時間が変わった。さっきは夜だったのに、今度は夕暮れに変わっちまった。

 突然の変化に、俺は激しく頭を振って辺りを見回した。

 変わったのは目の前だけじゃない。後ろも、横も、街中全部、黄金色だ。

「結界がとけたんだ。時間が変わったのは、やつのせいだよ。気にしないほうがいい」

「け、結界? やつって誰だ?」

「冥界の王様」

 さらりと返された答えは、またも俺の度肝を抜いた。

 冥界の王? こいつ、本当に狂っちまってるのか?

 この若さで薬漬けかよ、と眉を顰めていると、アルベールがいらついた様子で近づいてきた。

 まさか、また銃を突きつけられるんじゃ。思わずかまえたが、アルベールは俺の服を掴み、軽く引っ張っただけだった。

「こっちに居てよ。僕……太陽嫌いなんだ」

 眩しそうに目を細め、呟かれた一言は、またしても俺を驚かせた。

 よろよろと俺の陰に隠れる小さい体。ふてくされた子供っぽい表情に、俺は思わず頬を緩める。

「あぁ、そんな顔してるよ。だから成長……」

 しないんだ、と言いかけて、慌てて口をつぐんだ。

 調子に乗って軽口を言えば、今度こそ本当に引き金を引かれかねない。今は大人しくこいつの日よけになっていたほうが、身のためだ。

 化け物に小悪魔を売り渡すまでの、ほんの少しの間だ。このぐらい、がまん、がまん。

 チビ助の命令どおり、この日の終わりに精一杯輝く夕日を浴びながら、俺は本日二度目の、地獄への道を歩き出した。


 生意気で、いちいちかんにさわる。普段の俺なら、問答無用で殴り倒しているような相手だ。

 それを、ただボスに献上するだけだ。俺の代わりに煮るなり焼くなり、売り飛ばすなり、金を搾り出すなり、好きなようにやればいい。

 そうだ――そう、思っていられればいいのに。

 目的地へ向かう途中、俺の頭の中には、なんともいえない罪悪感が渦巻いていた。

 太陽を嫌い、まるで親にすがるかのように、俺の裾を握りっぱなしのこのチビ助。

 拳銃を突きつけられたとはいえ、なんの恨みもない少年を、あの化け物ブラッドの前に差し出すのだ。

 俺が、生きたいがために。こいつを犠牲にして、俺が生き延びるために……。

 はたして、そんなことをしてまで生き抜くほど、俺の人生に価値はあるのだろうか?

 今まで、散々同じようなことをしてきた。だけど、金や物でなく、いざ命と引き換えとなると、なんともいえない罪悪感が、腹のあたりを這いずり回る。

 とくに、このチビ助……アルベールがただ者ではないということは、バカ呼ばわりされた俺にだってなんとなくわかってきた。どこか人間離れした存在であるようで、今、ここに存在することにさえ、妙な違和感を覚えるような……あまりに長く学から遠ざかっていたせいでうまく言葉に表せないが、とにかく、こいつは世間の言う“普通”ではないのだと、横に居るだけでひしひしと伝わってくる。

 生まれ持った容姿のせいか、刃物も恐れない堂々とした性格のせいか、または、身を守るために持った拳銃のせいか……新作ゲーム機や可愛い女の子に華やいでいるような、歳相応の雰囲気というものが、まるでない。

 さっき、服を掴まれた時には、正直まだまだ可愛いもんじゃねえか、とも思った。

 しかし、今はどうだ。路地裏に入り、太陽が隠れたとたん、あの鋭い猫のような目は、うまそうな獲物に狙いをつけたように、冷たくぎらぎらと輝いている。

 もし自分があの視線の先に居たら、カチコチに固まってしまうに違いない。そうして獲物が動けないで居るうちに、こいつはどんどんと近づいてきて、裂けた口でにやりと笑って、首筋にがぶりと噛みついて、血肉を――。

「ねぇ」

 ぞわっと毛を逆立てた俺に、アルベールが突然話しかけてきた。

 俺は慌てて平静を装い、少し距離を取る。

「な、なんだ?」

「さっき、悪魔の話をしたよね」

 アルベールの問いかけに、俺はあぁ、と唸るように返事をした。

 あの時、こんなチビ助に泣かされそうになった自分が、相当情けなく思える。できれば、思い出したくない。

「僕は悪魔を狩っているとも言った?」

「あぁ、うん。言っていたな」

「ふうん……じゃあ、いいよ。それだけ知っていれば」

 それだけ言い終わると、アルベールは口を閉ざした。

 まるで、重要な話のオチを聞き逃したような、むず痒い感覚が残る。

 訊くか、訊くまいか。散々迷い、そわそわと目線を走らせた後、俺はようやく口を開いた。

「その……悪魔って、なんだ?」

「……聞いてなかったの?」

 アルベールが迷惑そうに眉を寄せる。

「いや、聞いた。悪魔は人の悪心を喰らうってことだろ。そういう話は、俺も何度か聞いたことがある。親の言うことを聞かない、子供向けのおどしだったけどな」

「物語なんかじゃない。これは事実だ」

 ははっ、と笑い声をあげた俺を、アルベールはきっぱりと否定した。

「ハデスを知ってる?」

「あぁ……あの世の偉いやつだか何かだろ、確か」

「そう。天のゼウス、海のポセイドンの長兄で、冥府を司る王。それがハデス」

 アルベールは一本調子で説明すると、またも耳を疑いたくなる言葉を吐いた。

「彼は僕の父親。地上ではエルカイドと名乗り、吸血鬼の姿をしている」

 唐突な告白に、俺は思いっきり顔を顰めた。

 やっぱりこいつ、正気じゃない。クスリはやめとけ、と今にも声をかけそうになったが、アルベールは話を続けた。

「ただでさえ今の冥王は無能なのに、最近になって、冥界の規律を乱すものが現れた。それが悪魔の存在だ。やつらは好き勝手に人の魂を喰らい、体を乗っ取り、人間のあるべき形を乱し始めた。悪魔のクーデターは地上だけにとどまらず、生前悪魔の被害にあい、魂を悪魔に売り渡したことを隠したまま、死んで冥界に降りて来てしまう魂が現れた。器を失った魂は儚く、なにより脆い。裸のままの魂に、悪魔はいとも簡単に乗り移る。伝染病のように広がっていくやつらの力に、冥王はすぐに対処に取りかかった。しかし、それも悪魔の驚異的な侵食には追いつかなかった。そこで、ハデスは吸血鬼エルカイドとしてこの地上に現われ、元である人の心から悪魔を吸い出そうと試みた。だが、それにもすぐに限界が来た。増えすぎた人間、命を持つもの、全ての心に、悪魔は少なくとも住み着いている――それに気づいたあいつは、ついに僕のところへ来た。もし僕が、エルカイドに代わり、地上に蔓延る悪魔を退治することが出来たら、すぐにでも僕に冥王としての地位を譲ろうと言い出した。なんて面倒なこと、そう思う? だけど、僕にとってそれは願ってもない幸運だった。最高の闇の世界、それが手に入る。その話が本当ならば、僕は依頼を受けようと言った」

 アルベールは早口で一気に語り終え、そして一息ついた。

 そのまま押し黙ったアルベールに、俺は恐る恐る話しかける。

「そして、今に至る……?」

「そう」

 アルベールが頷く。俺は苦笑いし、嘘だろ? と肩をすくめた。

「まだわからないの?」

 苦手な猫の目がこちらを向く。視線をそらしかけた瞬間、アルベールが俺の胸に強く指を突き立てた。

「僕がなんのためにニ度も君の前に現れたのか、僕が何のために君にこの話をしたのか」

 なんのために? 俺の前に? なんのために……――?

 素早く思考を廻らせて、行き着いた答えは二つだった。

 ひとつは、俺の近くに、その悪魔という存在が居るから。一番確率が高いのは、間違いなくブラッドだ。

 ふたつめは、……いや……まさか、そんなわけが……。

 長々と息を詰めすぎたせいか、鼓動が妙に大きく聞こえる。

 頬を伝い、冷や汗が落ちる。呼吸の仕方を忘れてしまった。ついに目を回しそうになった時、アルベールがようやく手を引いた。

 緊張から解かれ、ようやく呼吸が戻ってくる。俺はゼイゼイと喘ぎ、冥王の息子を見つめた。

「まぁ、いい。そのうちわかるよ」

 アルベールはあっさりと俺に背を向け、もう目前となっていたアジトの入り口へ進んでいった。


 粉々に割られた看板の下を、俺は冷や汗を流しながら通った。

 ついに、またブラッドの巣に戻ってきてしまった。一人の少年を犠牲にするために。

 湿った、薄暗い通路を進むにつれて、あの重たいものが俺に圧し掛かってくる。

 ダメだ……こいつは、こいつだけは、みすみすブラッドの餌食にしてはいけない気がする。

 まるで、そっちへ行くなと足を引っ張られているようだ。体が石のように重く、なかなか足が進まない。

 あの世の王子さまか……嘘だろ……そんな夢のような……神様の話なんて……。

「いい所だね、太陽がぜんぜん当たらない」

 冷や汗を拭う俺の後ろで、アルベールはのんきに呟いた。

 今に鼻歌でも歌い出しそうな軽やかな声だ。俺はあぁ、と沈んだ返事をし、震える足を前に進める。

 しかし、正面に見慣れた扉が見えてきた辺りで、歩みが徐々に硬くなり、ついに扉の前で足が止まった。

 ステッカーで埋め尽くされたガラス張りの扉の向こうで、無数の人間がざわめいている。

 アルベールをこれからどうしてやるのか、ブラッドが鉤爪を揺らしながら語っている様が、目に浮かぶようだ。

 こんな俺のために、これ以上誰かを犠牲にするなんて……入ったら生きては帰れない、地獄の門をくぐらせるなんて……――そうだ――今すぐ、こいつを連れて、どっか遠くへ逃げよう!

「なぁ……!」

 小さく声を発した瞬間、すばやく何かを背中に突き立てられた。

 ビクッと震え、背筋を伸ばす。固く冷たい、覚えのあるその感覚――銃口だ。

「行ってよ。君が連れてくるようにって言われたんだろ?」

 重みのある唸り声に、俺は身を震わせ、あごを引いて頷いた。

 背骨に銃を押し当てられたまま、俺は恐る恐る扉を開く。

 ざわめいていた室内が、スピーカーの電源を切ったようにシンと静まり返った。

 数時間前のリピート再生のように、仲間たちがこちらを睨みつけ、そして一斉にブラッドへの道をあける。

 人ごみの避けた道の先で、悪魔がニヤリと目を細めた。

「おかえり、ジョン坊や。てっきりケツまくって逃げたかと思ったぜ」

 ブラッドの猫なで声が、部屋の奥から俺を突き刺した。

 前には化け物。後ろには銃。俺は硬くこぶしを握り、口元を痙攣させて精一杯微笑んだ。

「来いよ」

 回れ右をしたがる足をなんとかコントロールし、俺はそろそろと足を進める。

 アルベールが銃を下ろした。しかし、気配は後ろからついてきている。

「なにを震えてる? まさか、見つからなかったんじゃないだろうな。え? それとも、あっさり殺されようってのか、この俺様に」

 ニヤニヤと震える俺を眺めながら、ブラッドが巨大な手を揺らす。

 アルベールは見ているだろうか。あれが、何人もの人間をなぶり殺してきた悪魔の手だ――。鋭く尖った爪が光り、俺はごくりと喉を鳴らした。

 また一定の距離をとり、ブラッドの手前で足を止める。連れの足音も、重なるようにぴたりと止まった。

 ブラッドが唇をさすり、俺を見回す。連れて来いと言った人物が見当たらないのか、ブラッドが不機嫌そうに眉のない眉間を寄せた。

 やつはどこだ、とブラッドが口を開きかけたその時、俺の陰から、アルベールが自ら進み出た。

 隣に並ぶアルベールを、俺はそろそろと見下ろす。恐怖を隠せない自分とはうって変わり、この化け物を目の前にしても、アルベールはツンとした生意気そうな面のままだ。

 予想外の姿に驚いたのか、ブラッドは切り傷のような目を丸くした。

「お前が、あのアルベール・ブレスリンか?」

「そうだけど」

 素っ頓狂な声に、アルベールは淡々と答える。

 ブラッドは大声をあげて笑うと、ひげもないあごを撫で、興味深そうに身を乗り出した。

「おいチビ助、お前、誰の名を名乗ってるかわかっているのか?」

 今にも鼻先がつきそうだ。あそこまで近距離でブラッドに凄まれて、眉一つ動かさないとは。やっぱりこのチビ、普通じゃない。

 ブラッドも、ブラッドだ。なんでこんな子供に思い入れる? さっさと首根っこを掴まえて、金を送れと両親に電話させればいいのに。

 そんな思いが、どうやら顔に表れていたようだ。

「なんだぁ、ジョン、知らねぇのか?」

「え?」

 突然の問いかけに、俺は引きつった声をあげる。

 ブラッドはその巨体をソファーに戻し、仰々しくアルベールを見つめた。

「ブレスリン家は、裏で名高い犯罪一家だ。よく言われたもんだろう。現当主で詐欺師のコルソ・ブレスリン、そして跡継ぎで暗殺者のアルベール・ブレスリンの仕事には、関わるなってな」

「こいつ……暗殺者!?」

 俺はひっくり返った声をあげ、思わずアルベールの横から飛び退いた。

 暗殺者だって! どうりで、銃の扱いも、生意気な態度も、ブラッドのプレッシャーにも負けないで居られるはずだ。

 だって同類なんだ。こいつも、ブラッドも、やっぱり人を殺す化け物だったんだ。

 おののく俺をよそに、アルベールはにっこりと微笑んでみせる。

「よく知ってるね」

「あぁ、常識だろ。もしもお前が本物なら……」

「僕の腕も落ちたものだ。こんな雑魚に、僕の存在が知られているなんて」

 アルベールの発言に、周囲がいっせいにどよめいた。

 なんてこと言うんだ。俺自身も、周りを固める仲間たちも、一瞬にして凍りついた。

 恐れを見せないどころか、あろうことか、こいつ、あのブラッドを挑発しやがった。

 嘘くさい笑顔を崩さない少年を前に、ブラッドの顔色が、明らかに怒りを帯びてくる。

 次の瞬間、あっと声もあげさせず、ブラッドの鉤爪がアルベールを捕らえた。

「大人をあまりなめんなよ、坊や」

 ばかでかい手でマッチ棒みたいな引き寄せ、ぎらつく目でアルベールを睨みつける。

 しかし、その声が終わる頃には、ブラッドの腹に銃が突きつけられていた。

「本業をなめないほうがいいよ」

 ブラッドが悔しそうに唸り、アルベールを壁へ投げつけた。

 頭を打ち、気絶でもするかと思いきや、アルベールは猫のように着地し、すっくと立ち上がる。

「でかいモグラが住んでいなければ、最高の物件なのに……これだから、バカは嫌いだ」

 ブラッドの怒りに気づかないのか、わざとなのか、アルベールはこれみよがしに鼻を鳴らしてみせる。

 ブラッドの瞳が燃え上がる。そして黄ばんだ歯を食いしばり、いっそう低く唸った。

「あぁ、俺様も生意気なガキは嫌いだ。……やっちまえ」

 その一言で、騒音のスイッチが入れられた。雄叫びをあげ、武器を取り、ギャラリーがワッと騒ぎたてる。

 俺を押しのけ、自分が鉤爪の餌食になってたまるかと、誰もが一目散に華奢な少年へ襲いかかった。

「やめろ!」

 俺は殺気立った仲間たちに揉まれながら、気づけば必死に叫んでいた。

 しかし、その声は銃声や雄叫びにかき消され、俺自身にさえも届かない。

 押しつぶされそうな俺の目の前で、アルベールが青く揺れる目を瞬く。

 それを最後に、小さな少年の姿は、男たちの群れにのまれていった。



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