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ROI++  作者: 霞ひのゆ
第二話 罪の意識
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第二話2

 何はともあれ、ついに“明日”が“今日”になった。つまり、俺は今日、殺される。

 迎えが来るまで、逃げ回るような度胸もない。ならばいっそ自分から潔く名乗り出ようじゃないか。

 小悪魔に遊ばれた、この夢のような心地のまま、あの世へ行ってしまおう。

 もしかしたら地獄の入口で、あのチビ助が「ウェルカム・トゥ・ヘル」なんてボードを持って、待っているかもしれないし。

 そんなことでじわじわと迫りくる恐怖を紛らわしながら、俺はいつもの集会場へ向かった。

 集会場といっても、店主を殺して奪い取った、古風なナイトクラブが今のアジトだ。

 酒は地下の貯蔵庫に腐るほどあるし、広さも十分。ボスのブラッドが気に入っていて、今のアジトには一年ほど住んでいる。

 ブラッドは飽き性で、新しいものを見つければすぐに手に入れたがるやつだ。だから一年も同じ場所に留まることは、とても珍しい。

 クラブは人通りの少ない裏通りにあるため、昼間でも日が当たらず、じめじめと薄暗い。ブラッドは太陽を嫌うやつだから、ここはやつにとって最高のねぐらなのだろう。

 ブラッドに粉々に割られた看板の下を通り、汚い通路を進んでいく。

 ちょうど突き当たりの扉から、大音量の音楽が収まりきれずに漏れていた。ギターやドラムを壊れるまで掻き回すハードロックはブラッドの好みで、何を言っているのかわからない狂った歌は、まさにブラッド自身を表しているようだ。

 扉の前まで来ると、やかましい音楽に混ざり、グラスの割れる音、何かを叩き合う音、そして、何十という無数の話し声が聞こえてきた。

 どうせ意見の有無もなく、目の前で殺人ショーを見せられるために、今回も観客がわんさか集められているのだろう。

 深呼吸をし、最後にもう一度気持ちを整えた。大丈夫、思い残すほど大切なことなんて、俺にはないだろ。

 下品な言葉を書きなぐった扉を押し開けると、とたんに騒がしいざわめきが止まった。

 黒山の人だかりは次々にこちらへ視線を向け、口元で裏切り者への罵りを呟く。

 人が退き、自然と道が開けると、つま先から頭の毛の先までギャラリーに睨まれながら、俺は死への道を一歩一歩進んでいった。

 派手だけど、眩しくはない。それほどの明かりが照らす店の中心に、女を両端に従えた、バカでかい人影が見えてきた。

 影だけならば、それは肉の塊のように見えるだろう。しかしそれは、近づくと筋肉の塊だとわかる。

 ジャガイモのようなゴツゴツした顔に、細く、切り傷のような目。その奥には、獲物を今か今かと待つ、肉食獣の欲望が燃えている。

 筋肉まみれの腕は、化け物のように大きく、俺の頭などすっぽりと掴み、リンゴのように粉々に割ってしまえそうだ。

 その指先には、黒々と光る鋭い鉤爪がついていた。一応五本指ではあるものの、それぞれがピーターパンのフック船長を思わせるような、不気味な形をしている。

 こちらを見据え、ニヤリと持ち上げられた分厚い唇に、俺はゾッと背筋を震わせた。

 ブラッドから二メートルほど距離を取り、立ち止まる。湧き上がる言い訳が口をつきそうになったが、俺は黙ったまま、うつむいた顔を上げられずにいた。

 ブラッドは座っているのに、こちらを軽々と見下ろされている。それほど、ブラッドの図体はバカでかい。

 ワインレッドのソファーが、ブラッドの体重に耐えられず、ギシッと悲鳴をあげた。

 頬に、冷や汗が伝う。

「おーい、ジョン。昨日はどこで何をしていたのか、正直に話してくれよ? まさか、また知らず知らずのうちに密告の手伝いをしちまってた、なんて、バカな言い訳は聞きたくねぇぜ」

 ブラッドの低い猫撫で声が、俺の腹に響いた。取り巻きの女が甘えた手つきで手入れする鉤爪が触れ合い、カチカチと音をたてる。

 俺もあの鉤爪の餌食になるんだ……。ごくりと喉を鳴らし、恐る恐る口を開いた。

「あぁ……俺、酒を飲んでいたんだ。どうせ殺されるなら、せめて最後に……」

「よーくわかっているじゃねえか。まぁ、そのぐらい許してやるよ。お前は古なじみだからな」

 ブラッドはわざと黄ばんだ歯をむき出して笑い、右の鉤爪を持ち上げた。

 俺はついに身震いが隠しきれなくなり、半開きの口から、情けなく擦れた声を漏らす。

「そ……そうやっていたら、変なチビが話しかけてきて……お、俺に、死ねって言うんだ」

「死ねだと? 誰か俺様に黙って、ジョンを殺すように指示したか?」

 ブラッドは鋭い目をクラブに走らせ、唸るように声を張り上げた。

 誰も返事などするわけがない。それぞれあてがわれたテーブルにはりつき、酒の入ったグラスに手を添えて、先に鉤爪の餌食になってたまるかと、ただ頑なに口を閉ざしている。

 ブラッドがギャラリーを見回し、不機嫌そうに舌を鳴らした。このままでは、憂さ晴らしに誰かが犠牲になりかねない。

 もう人が死ぬのを見るのはごめんだ。俺は恐怖の金縛りを振り解き、慌てて身を乗り出した。

「そ、そいつ、自分はアルベール・ブレスリンだって名乗ってた。この中には居ない。俺も知らない。ただの、生意気そうなチビで……」

 引きつったままの言葉に、ブラッドがとたんに眉を寄せた。

 表情の変化に気づき、俺はひっと息を詰める。

「アルベール……ブレスリンだって……?」

 ブラッドが低く唸り、意味ありげに目を光らせる。

 頷くと、ブラッドは大きな五本の鉤爪をゆっくりと揺らし、半月のような目を細めた。

 ついに時が来た。俺はごくりと喉を鳴らし、覚悟を決めた。しかし、ブラッドは手の甲であごをさすると、次に意外な言葉を吐いた。

「そいつを捕まえて来い。そうすればジョン、お前の失態も見逃してやる。こりゃあ、いいカモが出てきたもんだ。捕まえて、たっぷり絞り上げれば、滝のように出てくるぜ。金が、宝石が、黄金がな」

 そう言って耳まで持ち上がった口は、裂けているのかと思うほどあまりにも不気味で、俺は震えあがり、頷くことも出来なかった。


 たった一度会っただけの、素性も知らない少年を探し出す。

 ましてや、ここは目が合うだけで、殺し合いを始めるのが常識のような街だ。

 そんな血気の多いやつらに、「こんなチビ助を知らないか?」と聞いて回るなんて、まったく、楽しくて涙が出る。

 ブラッドの命令の後、俺は体格のいい数人の仲間と共に、すぐにアルベール捜索へ放り出された。

 とはいえ、手がかりは俺の酔っ払った曖昧な記憶と、アルベール・ブレスリンという聞き覚えのない名前だけ。

 とくに行く当てもなく、乗り気でない仲間たちは、厄介事を持ち込んだやつを睨みつけ、俺はその視線から逃げるようになるべく縮こまった。

 他に手がかりはないかと思考を巡らせてみるものの、出てくるものは、あの猫のような目と、か細い腕の感覚ぐらい。

 やたらと綺麗な容姿をした少年で、金と白の装飾を施した拳銃を持っていた。靴はブランド物。それだけは恨めしかったからよく覚えている。

「なんであんな、生意気なチビなんか……」

 ぶらぶらと路地裏を歩く団体の最後尾で、俺はぽつりと呟いた。

「まさかお前、ブレスリン家を知らないのか?」

「あぁ……まぁ、どっかの金持ちなんだろ? ブラッドがああ言うぐらいなら」

「そんなもんだ」

 つばを吐きかけ、仲間は俺に背を向ける。こちらを睨みつける目つきは、まるでゴミ溜めでも見るような目だった。

 一度失敗した者は、たとえブラッドの機嫌しだいで許しが出たとしても、仲間にはこうやって冷たくされる場合が多い。理由はわかる。自分が次のジョン・スタントンになりたくないだけだ。

 もしもあの時、ほんの少しの良心を捨てて、ブラッドを恐れ、取引現場を警察に密告すると言っていた仲間を殺していたら――いや、昨日チビ助に言われたとおり、俺にはとても、人殺しなんて無理だ。

 なんだかばつの悪い気分のまま、不機嫌な仲間の後について、延々と街を歩き回った。

 時々見かける住人は、遠まきに姿を見ただけで逃げていくへなちょこか、一目でわかる人相の悪い同類のやつらばかり。

 ここは昔から力がものを言う犯罪の街。しかし、最近では街全体をブラッドが支配しているため、同類のやつらの犯罪はめったに起こらない。

 ブラッドを恐れ、媚びて仲間に入ってくるやつも居るが、反抗しようとするやつは、女子供であろうとブラッドが片っ端から殺していっている。

 その様を何度も目の前で見せられて、人殺しに慣れるどころか、俺のブラッドに対する恐怖心は、日に日に増していくだけだった。

 ただ黙って見ているだけなのに、真っ黒な津波にのまれるように、毎晩悪夢にうなされる。それなのに、ブラッドは……。

 そう……ブラッドは、すでに人間じゃない。化け物だ。あの鉤爪、あの表情、狂った頭も、何もかも……――。

 背筋を走る悪寒に顔を上げると、前を歩いていたはずの仲間の姿が、いつの間にか消えていた。

 あまりにも考え込んでいたために、置いて行かれてしまったのだろうか。

 怖気づいて逃げたと思われたら大変だ。日の当たらない路地から、慌てて足を踏み出す。

 そのとたん、あっという間に視界が真っ暗になり、俺は引きつった声をあげた。

「な……なんだ……!?」

 真っ暗闇の中で、俺はやみくもに手を伸ばした。平行感覚がなくなり、何かにすがろうとするが、周りには何もない。

 手を横に動かしてみた。建物の壁にすら触れない。ついさっきまでは、ほんの人一人分の路地を進んでいたはずなのに。

 何もない。何も見えない。まるで視神経を抜かれてしまったようだ。声をあげようにも、今度は口の感覚がない。

 突然暗闇に包まれて、五感が狂ってしまったのだろうか? いや、確かに手が宙をきる感覚はある。

 しかし、何も見えない。目が見えない。声が出ない。口がない。頭がない?

 脳みそが混乱する。まるで闇に溶けてしまったようだ。

 どうしよう、どうしたらいい? 俺はいつの間にか死んでしまったのか?

 ここは地獄か? 冥界か?

 冷や汗が出る。動悸が激しくて、息が苦しい。

 誰か、誰か、助けてくれ。わからない。なにがなんなのか、わからない。

 ここはどこだ? 俺は誰だ? なぜここに居る? なぜ……――。

「なぜ? 君には、心当たりがないの?」

 暗闇の向こうから、突然、声が聞こえてきた。どこかで聞き覚えのある声だ。

「わからない。ここはどこだ? 俺はなぜここに居る?」

 俺は返事をした。声が出た。口がある。

「それがわからないようじゃ、君は本当のバカだね」

 ため息交じりに聞こえる、誰かの声。待てよ、その言葉、どこかで聞いたような……。

「素直に自分自身に聞いてみれば、すぐにわかるんじゃないの? 便利屋さん」

 カツン、と靴の鳴る音がして、街灯に明かりが灯った。

 ぼんやりと、空に伸ばした自分の手の甲が浮かび上がる。俺は一歩も動くことなく、あの路地の出口で、ただ空に向かって手を振っていただけだった。

 ふっ、と体から重いものが退き、バランスを崩して転げそうになる。

 かろうじて踏み留まり、顔を上げる。その先には、青白い顔で立つ、あの闇色の少年が居た。

 いつの間に現れたんだ。目を見開く俺に、アルベールは相変わらず感情の読めない視線を向け、小首を傾げる。哀れみとも蔑みとも違う、不思議な表情だった。

 俺はごくりと喉を鳴らし、混乱が解けないまま、目の前に居るチビ助の名前を思い返した。

「……アルベール・ブレスリン」

「なに?」

 生意気そうに目を伏せ、少年は返事をする。

 相変わらず、かんに障る、でも、どこか逆らう気持ちを起こさせないような……どちらにしても、嫌な感じだ。

 突然夜が来たことや、さっきの不思議な感覚は、今は忘れておこう。

 とりあえず、こいつを捕まえれば、俺は死なずにすむ!

 俺はすばやく腰につけていたナイフを取り、アルベールの喉元へ突きつけた。

 さすがに、これにはアルベールも驚いたようだ。しかし、ほんの少しまぶたを上げただけで、相変わらず人間味のない顔でこちらを見上げる。

「僕を殺すの?」

「殺しはしない。俺たちのボスが、お前を欲しがっているんだ」

 俺はナイフをしっかりと握り直し、そう答えた。

 そう、殺しはしないだろう。金持ちといえど、ただのガキだ。せいぜい、ケツでも叩いて、たっぷりと泣かせて、助けてくれと親に電話させるくらいだ……たぶん。

 しかし、アルベールは動揺をまったく見せることなく、やれやれと肩をすくめた。

「大して力もないくせに、外だけバカみたいに成長した能なしモグラ」

「ブラッドを知ってるのか?」

 明らかにブラッドを指す発言に、俺は思わずそう返してしまった。

 アルベールは「ひっかかった」とばかりにニヤリと目を細める。

「へぇ、今のでわかったの? 日ごろ君がそう思っている証拠だね。ボスに告げ口してやろうか」

 喉元にナイフを突きつけられているのにもかかわらず、チビ助は俺をからかってクスクスと笑う。

 生意気な態度に、俺は口元を痙攣させ、威嚇するよう唸った。

「あいつは化け物だぞ。いや、化け物なんてもんじゃない。あいつはもう、悪に身を売り渡した、悪魔ってやつそのものだ」

 ブラッドを真似て、わざと歯をむき出して脅すが、アルベールは体を引くどころか、自ら身を乗り出した。

 やわらかい首筋に、ナイフの先が食い込む。

「知ってる? 悪魔って、人間の悪い心が大好物なんだよ。悪心は、罪を犯した者だけに生まれるわけじゃない。ほんの少し、誰もが持っているような、小さな罪悪感や、人を憎む心、人を羨む心、神の望まぬ汚い欲望、それら全てを喰い物にする」

 生気のない、モノクロの瞳が見開かれる。やがて色のない世界の中に、じわりと青が滲んだ。

「つまり君の中にも、悪魔のエサはあるってわけ」

 アルベールはトン、と胸に指をつき、俺を軽く押し返した。

 なぜか、ゾクッとさせられる、その言葉。気づけば、俺はナイフを取り落とし、少年から目を離せなくなっていた。

「なんで……そんな事を、俺に?」

 囁くように、目の前の少年に問いかける。

 すると、アルベールは上着の中から、あの金の装飾を施したリヴォルバーを取り出した。

 それを愛おしそうに撫で、アルベールは微笑む。

「悪魔を狩ることは、僕の仕事だから」

 その様は、まるで人を殺すことを罪とも思わない、無邪気な天使だ。

 俺は強張った皮を引っ張って、精一杯苦笑いを作った。

「悪魔だって? だったら、ブラッドも退治しちゃってくれよ」

「僕に人間は殺せない」

 俺の軽口に、アルベールの表情は一転した。

 子供っぽい笑みが消え、またあの射るような視線が、俺をじっと睨みつける。

 俺は、なんだってこんなチビに、またこんなにも怯えなきゃならない?

「あぁ……そうだよな。人が人を殺すなんて、最もおぞましいことだ。お前みたいなチビ助に、できるわけがないよな」

 フンと鼻を鳴らし、今度はこちらが言ってやった。

 精一杯の勇気を振り絞った言葉だったが、やはり、「チビ助」はタブーワードのようだ。

 アルベールは整った顔を顰め、空いていた手に、またひとつ拳銃を取った。

 なんの装飾もない、黒い銃だ。何のためらいもなく、今度はそちらを俺の心臓に突きつけた。

「殺そうと思えば殺せる」

 カチリ、と嫌な音をさせ、細い指が引き鉄にかかる。

 目で追えるほどゆっくりとした動きだったのに、俺はぴくりとも動くことができなかった。

 人間離れした、猫のような目が反抗する気力を奪う。見開かれた瞳孔は、明らかに――本気だ。

 こんなチビに、たった一人のガキに、一度といわず二度三度までも、すくみあがってしまうなんて――内心は不満と悔しさでいっぱいだったが、俺は歯を食いしばり、両手をソロソロと顔の横に上げた。

 殺さないで、と小刻みに首を振るが、アルベールは銃を突きつけたまま、一歩たりとも引こうとしない。

 やっぱりこいつ、普通じゃない。狂ってる。化けもんだ。悪魔だ。

 このままじゃ、ブラッドどころか、こいつにまで、殺される――。

 そう思った途端、体の中を、急激に冷たいものが湧き上がってきた。

 俺はその悪寒に押されるようにアルベールの肩に掴みかかり、気づけば必死になってすがっていた。

「なぁ、お願いだ! 俺、お前を連れて行かないと、ブラッドに殺されちまうんだよ! 少しでいい、少しでいいから、ついて来てくれ……! もう、あの鉤爪の犠牲者は見たくない。俺だって、本当は死にたくなんかないんだ!」

 震えた涙声に、アルベールがぴくりと反応した。

「……鉤爪?」

 意外なところに食いつき、ようやく銃が離される。

 俺はどっとあふれ出てきた汗を拭い、過剰なほど何度も頷いた。

「あぁ、あれ……きっと、クスリの副作用か何かなんだろうな。黒く膨れ上がって、まるでデカイ肉食獣の爪みたいでさ……お前や俺なんて、一握りで殺せちまうよ」

「へぇ、便利なもの持ってるんだ」

 アルベールはそう言って、ニヤリと口元を持ち上げる。目を細めずに笑う様は、さっきの可愛げのある笑顔とは裏腹に、小悪魔の微笑みそのものだ。

 アルベールは上着の中に銃を納め、コートを体に巻きつける。

「いいよ、行ってあげる。ただし、ちゃんと君もついて来てよね」

 無邪気な笑顔でそう言われ、有無も言えず、俺はアルベールを案内することになった。



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