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ROI++  作者: 霞ひのゆ
第二話 罪の意識
6/10

第二話1

 悪魔は 人の悪しき心を糧にする


 人の心の闇を喰い 育ち


 いつかは その“器”をも突き破り 外へ出てくるんだ



R O I + +


~第二話~


 雲ひとつない星空の下、俺は死にものぐるいで無人の街を走っていた。

 額の汗が流れ、目にしみる。まだ汗をかくほどの季節でもないのに、恐怖からの冷や汗が絶えない。

 足がもつれ、つまずきそうになる。それでも、必死に足を進めた。

 なぜ、どうして、こんなことになったのか。

 少なくとも、今の俺には、わからない。


 事の始まりは、突然すぎる出会いだった。

 学校の成績なんてちっぽけなことで親と大喧嘩の末、手のひらに収まるぐらいの全財産をはたいて、勢いで手近な都会に飛び出してきた。

 来たはいいが、その頃の歳では雇ってくれるところもなく、仕方なく裏の仕事に手を染めて、犯罪と呼べることをいろいろとこなしてきた。

 麻薬運びや密売、そこら辺に居るさえない男を捕まえては、同じ年頃の仲間と強盗の繰り返し。時には殺しの手伝いもした。

 まともに働くことさえ許されない俺たちを拾ってくれたのは、当時この一帯をめぐる抗争の真っ最中だった今のボス、ブラッドだった。

 明らかにヤバイやつだということは、田舎者の俺にも一目でわかった。

 だが、金も身寄りもないあの頃の俺には、それが天の救いのように思えた。

 ブラッドはみるみるうちに力をつけ、いつしか仲間もドブネズミのように増えていった。俺たち下っ端にもすこぶる金まわりがよくなり、俺は一時、これを持って実家に帰ろうという気にもなったほどだ。

 しかし、裏世界に染まった人間は、やはり冷酷で、悪魔のように無慈悲。

 ブラッドに罰と称して殺された仲間たちを、俺は嫌というほどこの目で見てきた。

 それが震え上がるほど恐ろしかったから、自分は絶対にそんな罰を受けずに済むように、と――そう、心から思っていたはずなのに。

 俺はミスを犯した。絶対に許されないミスを。つまり、俺は、殺されるんだ。

 逃げたって無駄だ。ブラッドはこの一帯のボス。逃げ出したネズミを一匹捕まえるなんて、たった一言「やれ」と部下に命令すればいいだけだ。

 逃げ道もない、ただ殺されるのを待つばかりの人生――。ならば、ブラッドのあの鉤爪にいたぶり殺されるより、ひと思いに自分でこの命を絶とう、なんて思い、安い酒を片手に、俺は人生最後の晩酌を楽しんでいた。

 たった一人の宴会場は、薄暗い、人などめったに通らない裏通り。なけなしの全財産をはたいて買った酒を転がし、その中心で一人、バカ騒ぎをしていた。

 気まぐれで、酔った勢いとむなしさに、“便利屋”なんてバカなものを始めたのが、全ての運の尽きだった。

 今思えば、単に、ひとりで死ぬのを怖がっていたんだと思う。時々通りかかるやつらに「用事はないか」と酒を片手に声をかけては、そそくさと逃げられて悪態をつく。

 最後の最後に来たって、誰にも必要とされやしない。そんなふうに、俺の人生最後の夜は過ぎようとしていた。

 やがて酒も底を尽き始め、人通りも少なくなってきた。ぼやける目で腕時計を見ると、そろそろ、明日が今日に変わる。

 あぁ、終わるんだな、これで。今になって思えば、あれほど楽しかった罪の数々も、地獄に落ちる俺への足かせにしか思えない。

 例えようのないだるさが、体中にのしかかっていた。ありきたりな“人生の走馬灯”なんて見ないつもりだったが、思ったよりも早く、それは俺のまぶたの裏を駆け抜けていった。

 なんてちっぽけな人生だったろうと、思わず酒臭い嘲笑が漏れた。それほど俺の人生なんてもんは、薄汚れ、家の片隅で一生を終えるボロぞうきんのような、寂しく貧しいものだった。

 その時、もう一時間近く何の音もなかった通りに、コツ、と軽い靴音が響いた。

 これが最後のお客かもしれない。そろそろ、ブラッドの部下たちが俺を見つけ出すころだろう。

 もしも、最後のお客が、俺から目をそらさなかったら。もし、立ち止まって俺の話をきいてくれたなら――なんでもやってやろう。そいつの望むことを、なぁんでも。この世のありとあらゆる罪は、この目で見てきたつもりだ。

 なんと世界の汚いことか。学校なんて平和な牢獄にせっせと通って、理解できない数字だか歴史だかを勉強していた頃が、まるで別世界のように思える。

 あの頃は、まさか自分がこんなふうに終わりを迎えるなんて、思ってもいなかっただろう……――。

 足音が近づく。明かりもほとんどない通りを、ゆっくりと、確実にこちらへ向かってくる。

 うつむいた俺の視界に、黒い靴が入ってきた。よく磨かれていて、いかにも金を持っていそうだ。

 足音は、俺の目の前で止まった。

「便利屋って、なんでもしてくれるの?」

 うっすらとかすれたような、中性的なハスキーボイス。

 風邪気味か? と問いかけるわけにもいかず。

「おう、なんでもしてやるよ。泥棒、強盗、殺人、ガキのお守りに、スーパーマーケットのおつかいまで。なぁんでもしてやる」

 空になった酒のビンで、ダンボール製の“便利屋・なんでもやる!”の看板を叩き、冗談混じりにそう答えた。

 すると、客は小さく鼻を鳴らし、コートの裾をふらりと揺らす。

「人殺しなんて、君には無理だよ」

 やけに癇に障るイントネーションだ。

「あぁ、それは俺にもわかってる。冗談だ。この手で人を殺すなんて、俺にはできない……」

 苦笑しながら顔を上げると、整った少年の顔を、遠くにある街灯がぼんやりと映し出した。

 哀れなホームレスを見下ろすために、伏せた目はグレー。ほんの少し、青にも見える。信じられないくらい長いまつげに、ほっそりとした女みたいなあご。不機嫌そうに結んだ唇は、少し色が悪い。

 顔を隠すベールのように長く伸びた前髪が、夜風に吹かれて少し散らばった。

 後光が見える。ぼやける目の前に、天使さまが居る。早々にお迎えが来たのかもしれねぇ……なんて、バカなことを考えてしまうほどの、美少年だ。

 生ゴミ臭い荒れた街に、まったく不釣合いな人物――。天使を見上げ、俺がぼんやりと惚けていると、少年はすっと青白い手を差し出した。

 ついにお迎えか。この骨っぽい手をとれば、きっと、すぐにあの世で目を覚ますことになるだろう。

 コツン、と、額にひやりとしたものが当たる。俺が手を取ろうと目線を上げると、とたんに後光が消え失せた。

「じゃあ撃たせてよ。一発でいい、すぐ終わる」

 眉ひとつ動かさずに銃を突きつけられ、俺は銅像のように固まった。


 俺は逃げた。恐怖ですっかり酔いも覚め、気の狂った変質者から逃げまくった。

 しかし、あいつはどこまでもついて来る。しかも前方には車どころか、人っこ一人見当たらない。

 助けを乞える相手も居なく、必死に逃げ惑う俺をいたぶるかのように、悪魔はしつこくついてくる。

「逃げるなよ。死にたくなければ、撃たれろ」

「ふざけんじゃねぇ! 死にたくないから、こうやって逃げてんだろ!?」

 わけわかんねぇこと言うな! と反論してみるが、あいつは依然として無表情のまま追ってくる。

 最初にあいつを天使だと思った俺がバカだった! 天国からお迎えが来たと思った俺がバカだった!

 天使どころか、あいつは悪魔だ。地獄からお迎えが来ちまった!

 いくら美人に迎えにこられたって、地獄に行くのはまっぴらごめんだ。それほどの罪を犯したかもしれないが、人間なら普通そう思うだろう?

 死にたくない、死にたくない! 死にたくない!

 気づいたら、泣きべそ交じりに息を切らせ、心の中で必死に叫んでいた。

 死ぬのが怖い、撃たれる、殺される、痛い、死ぬ、死ぬ……――恐怖が頂点に達した瞬間、はっと頭が冴えた。

 つい数時間前には、俺は何を思っていた?

 あれほど死のうと思っていたのに……そう、死のうとしていたんじゃないか!

 俺は足に急ブレーキをかけ、素早く回れ右をし、挑むように腕を広げた。

 ピンチどころか、これはチャンスなんだ。一発の銃弾に撃ち抜かれるほうが、拷問の苦痛に顔をゆがめて死ぬより、ずっと幸せな死に方だ。

 さすがにこの行動は予想外だったらしく、悪魔も足を止め、温かみのない顔を顰める。

「俺を殺せよ! さぁ、出来るもんならやってみやがれ、チビ助!」

 興奮して叫ぶが、チビ助、はちょっとまずかったらしい。その言葉に、少年は明らかな嫌悪を見せた。

 少年が腰から拳銃を抜き、黙ってこちらへ銃口を向ける。

 俺は大きく息を吸い込み、ゆっくりとまぶたを閉じた。

 あぁ、いよいよ俺、死ぬんだ。あの世へ逝くんだ。地獄だろうと、天国だろうと、この際どっちでもいい。

 すさんだ街の片隅で死ぬ、ちっぽけな青年の最後を、もの悲しげな月明かりが照らす。

 絶対居ないだろうと思われる神様とかいうやつに、天を仰いで最後の祈りを捧げていると、重苦しいため息が聞こえてきた。

 ここで銃声が聞こえて、気づいたら女神様の前に居た、なんていう展開を希望していたのだが……。

「面白くない」

 少年はポツリと呟き、銃を体の横に下ろした。

 その一言と、意外な行動に、俺は唖然と少年を見つめる。

 さっきまで「撃たせろ」と言ったり、「早く殺したい」と言わんばかりに追ってきていたくせに、今になって「面白くない」だって?

「頭の悪い人間は嫌いだ。人間はもとから嫌いだけど、バカはもっと嫌いだ」

 銃をホルダーに戻しながら、面倒くさそうに少年は吐き捨てた。

 いいや、バカは認めよう。確かに俺は頭がいいわけでもないし、こいつみたいに容姿が人一倍優れているわけでもない。これといった自慢もなければ、特技なんて持ち合わせたことは一度もない。

 確かにそう、俺はバカだろう。自ら悪魔に立ちはだかって、「殺せるもんなら殺してみやがれ」なんてほざくやつは、バカだとしか言いようがない。

 そのバカを、このチビ助は殺すと言って追いかけてきたんじゃないか。いまさら、なにを?

 呆気にとられていると、少年はちらりともこちらを見ずにコートをひるがえし、背を向けた。

「ちょ……ちょっと待てよ! これだけ追い詰めておいて、「面白くない」でやめちまうのか!? 俺のこの気持ちは、一体どうなる!」

 俺は半ばやけになって叫び、少年の腕を掴んで引き止めた。

 驚くほど細く、肉など知らないというような腕だ。骨と皮しかない、と言ったほうが良さそうなほど。

「君の気持ち?」

 そんなものがあったのかと言いたげに、少年は振り返る。

「あぁ、死にたい。俺は今すぐ、死にたいんだ」

 両手で少年の腕を握り、いつになく真剣な顔でそう言った。酔いがさめ、その覚悟ができたのだと、自分でも今、はっきりと自覚した。

 しかし少年は俺の手を振り解き、意外な言葉を吐いた。

「見返りはあるの?」

 突然の問いかけに、今度はこちらが眉を顰める。

「いや……金なら持ってない。全財産、酒に代えちまった」

「じゃあ契約はなりたたないよ。利益のない仕事をするほど、今は気分がよくない」

 そう言って向けられた目つきに、思わず背筋がゾクリとした。

 刺すような視線ってのは、このことを言うんだろう。不自然なほど整った面が、そいつの迫力を余計にあおる。

 思わず、ごくり、と息を呑むと、圧倒される様をあざ笑うかのように、少年がフンと鼻を鳴らした。

 こんなガキに、何をビビっているんだ。体格差でもこっちが有利。掴みかかって生意気な面に喚き散らすぐらい、俺にもできるはずなのに。

 苦いものがのどに詰まっているような、圧迫感が体を固める。こいつ――ただ者じゃない。

「な……何様のつもりだよ、チビ助」

 声を絞り、出来る限りの強がりを吐くと、少年は不機嫌そうに顔を顰めた。チビ助、はやはりまずいようだ。

「僕はアルベール。アルベール・ブレスリン」

 黒のコートをひるがえし、少年は唐突に名乗った。

 その堂々とした態度は、なんだか膝をついてひれ伏したくなる気分にさせたが、なんとかあと一歩のところで留まった。

 ここで、俺の名前は……と名乗り返すほど、度胸があったら苦労しない。

 少年は、じっとこちらを睨みつけたまま、それ以上何も語ろうとしない。

 俺もその場から動くことができず、しばらくの間、ただ黙って互いを睨みつけていた。

 年のころは十三、四……俺が田舎を出たころだな。どちらにしろ、チビ助だ。ベジタリアンか拒食症か? この細っこい体と狂った目つき。深刻な不眠症にも見える。

 光をまったく受けつけないグレーの瞳の中で、凛とした青がきらめく……。あんなに細い瞳孔は、ちゃんと機能するのだろうか?

 そんなことを思っていたら、少年はくるりときびすを返し、また俺に背を向けてしまった。

 しかし今度は、追いかけて「俺を殺せ」なんて、引き止める気にもなれず。

 少年の小さな足音が、誰も居ない街に響き渡る。細かい黒髪が風に揺れ、影が小さくなっていく。

 気がつけば、清々しい朝日の中で、俺はポツンとひとり、立ちすくんでいた。


 十三で家を出た頃から、一度も代えたことのない、愛用の腕時計が時をさす。

 午前四時といえば、起きているのはパン屋か新聞屋、というところか。

 空には紫雲が広がり、まだ日も昇りきっていない。――いや、それどころではないんだ。

 俺とチビ助……アルベールが居たはずの時間では、遅くても午前0時前後が妥当だろう。

 あの悪夢のような追いかけっこを繰り広げていたのも、話していたのも、ほんの数分。精一杯長く見ても、三十分ほどだ。

 それなのに、なぜ俺は、朝日を浴びている?

 ずいぶん遠くに見える、まぶしい朝日に目を眩ませ、手をかかげて日よけを作った。

 不気味で、奇妙で、どこか神秘的な雰囲気を残して、夜に溶けていった闇色の少年……。あれは、酒が見せた幻だったのだろうか?

 それにしては、はっきりと右手に残る、あのか細い腕の感触。

 本当に小悪魔にでも化かされたのか……と、非現実的なことを思ってしまった。




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