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ROI++  作者: 霞ひのゆ
第一話 闇色の少年
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第一話1

 アルベール、君はきっと信じないだろうけれど、君は正真正銘僕の息子なんだ。


 僕の地位を継ぎ、この世界を治めることを許そう。


 ただしそれは、僕の出した試練を成し遂げることが出来たらね。



R O I + +


~第一話~


 風の生暖かい、夜だった。

 闇に光る街灯が、等しい間隔に並んで、一人として人の居ない夜の街を照らしている。

 足元のレンガを蹴って進むが、なんら変わりない風景に、モニカ・ハワード警部補はすでに息を切らしていた。

 とっぷりと日の暮れたヴィッテックの街に、力の限りに叫ぶ赤ん坊のような音が響いている。

 街の異常を感知し、警報が私を呼んでいるのだ。

 幸いなことに、夜の巡回でちょうど近くを見回っていたため、現場には早々に駆けつけることのできるはずだった。

 だけど、いくら走っても、走っても、手に持った発信機の点滅する点、警報の知らせる事件現場には、依然として到着する様子はない。

 本当に、景色、いや、自分自身がまったく進まないのだ。

「どうなっているの!」

 モニカは息を荒げながら、奇妙な街にひきつった声をあげた。

 いくら足を動かそうともがこうと、横に並んで煌煌と光るセピア色の街灯は、一ミリもモニカの後ろに退こうとしない。

 まるで見えない手に押し返されているようだ。もしそれが透明人間なら、すねを蹴り上げて悲鳴をあげさせることぐらいできるだろうが、モニカがいくら足を振り上げても、滑り台を駆け上がる時のように、つるっと元の位置に戻ってしまうだけだった。

 非常警報が鳴ったということは、盗難か、傷害か、何らかの事件が発生し、誰かが危険な状況にあるということ。

 この手で平和を守るのだと啖呵を切って警官になったというのに、いざという時これでは、一人娘の旅立ちを泣く泣く承諾した両親に顔向けできない。

 モニカは自由にならない自分の体にいらだちながら、腰にかけていた無線機を引っ張り、胸いっぱい空気を吸い込んだ。

「ヴィンテック中央広場、警報が鳴りっぱなしよ! 誰か居るんでしょう? 早く来なさいよ!」

 精一杯の大声で怒鳴るが、「了解」の声はないし、独特の砂煙のような音もしない。

 こんな時に故障なんて! モニカは顔を真っ赤にし、ついに無線機を地面に投げつけた。

 その時、叩きつけられた無線機が、唸るように音を発した。“壊れたものは叩けば直る”なんて、田舎の祖母が言っていた冗談とも取れる方法が、まさかこんな所で証明されるなんて。

「ちょっと、聞こえる? 夜勤はまた下品なドラマに夢中なの? 誰か、一人ぐらい、まともなやつが、いるはずでしょ!」

 ゼイゼイ喘ぎながらそう言うと、ようやく返答があった。

「なんでここに警官が居るんだ」

 しかし返ってきた声は、無線から漏れた擦れ声ではなかった。それは不思議と澄んだ声で、まさに、今、すぐ近くに居るような――。

 モニカは激しく動かしていた足を止め、声のほうへ振り返った。

 体が闇に溶け、青白い顔だけが、ぼうっと浮かんでいるようだった。

 一瞬、本気で亡霊かと思った。しかし、ゆっくりだが、確実に近づいてくると、首の下にはちゃんと体が備わっていることが確認できた。

 そうか、全身、黒ずくめなんだ。膝裏まである丈の長いコートが、小柄な体を覆って、人物を闇と同化させている。

 顔はよく見えないけれど、やや中性的な声や体格からすると、まだ十代も半ばの少年だろう。

 見かけたこともないし、声も聞いた事がない。日ごろ住人との交流をかかさないモニカに覚えがないということは、その少年は遠くからやってきたお客様ということになる。

 それ以外にわかることといえば、喚こうが暴れようがいっこうに進まないモニカとは逆に、少年は平然と進んでくるということ。

 そう、少年は透明の壁などものともせず、迷いもなく歩いてくる。なぜ? まるで私だけが魔法にかかったよう。

 足音が近づき、街灯が少年の全身をゆっくりと映しだす。

 少年が顔を上げた瞬間、はっと息を呑まずにはいられなかった。

 艶のある黒髪、傷ひとつない白い肌、形のいい鼻と唇。そして、青みがかったムーン・グレイの瞳。

 長いまつげに囲まれた目は、眠たげに半分伏せられ、ぴくりとも動こうとしない。

 なんて綺麗なんだろう。まるで腕のいい職人が作った人形のよう。生きている気配さえ感じさせない美少年に、モニカは息を詰めたまま、いつしかその場に硬直してしまっていた。

 背後から風が吹き、散らばる前髪に少年がゆっくりと瞬きをする。しかしその整った面構えは、モニカに目を移したとたん、不快そうに顰められた。

「なぜここに女がいる?」

 少年は害虫でも見るような目でモニカを睨み、薄い唇を動かす。決して褒められるものではない態度に、モニカはむっとした。

 前言撤回。なんて可愛くないの。

「見てわからない? 私は警官よ。こうして誰かが助けを求めているっていうのに、つまらないメロドラマを見ながら、のんきにコーヒーでもすすってろっていうの?」

 荒い呼吸に肩を弾ませながら、モニカは少年をじろじろと見回した。

 本当に全身真っ黒だわ。もちろん、安全用の蛍光テープもつけていない。こんな夜更けに子供がひとりで外を出歩くなんて、まったく感心できたものではない。

 血が通っていないのではないかと思うほど赤みのない頬が、少年の異様な印象を際立たせる。

 不気味で、いかにも怪しくて……でも、外見ばかりはきれいな男の子ということは、否定できないわね……。モニカは目をこらし、もう一度上から下へと念入りに少年を見回した。

 その時、ろうのように白い手のあたりで、何かがきらりと光った。コインかしら? 袖に半分隠され、よく確認できない。もっとよく見ようと身を乗り出すと、少年がそれとなく腕を振り、モニカをぎょっとさせた。

 明かりにきらめく、金色のバレル。シャツと同じほど白いグリップ――間違いない、拳銃だ。

「ちょっと! 未成年が持ち出していいものじゃないでしょう!? 危ないことをしてはダメよ!」

 普段のモニカなら、子供がいたずらに銃など持っていたら、四の五の言わせずに手から叩き落とすだろう。

 しかし、休まずに走り続けたせいで体はクタクタだし、声を荒げるだけで精一杯で、自分がこの少年から銃を叩き落すなど、なぜか思いもつかなかった。

 怒鳴られて恐縮するような性格でないということは、短いやり取りの中でも重々承知している。案の定、少年はモニカなど最初から居なかったかのように、モニカの横を抜けて再び歩き出した。

 後を追おうと踏み出してはみるが、氷を踏んだように足はつるりと定位置へ戻り、やはり前へ進むことができない。

 躍起になって足踏みするモニカを尻目に、少年は無人の広場にコツコツと靴音を響かせた。

 少年の目線の先を追ってみるが、相変らず規則正しく並んでいる街灯が、向こうに行くにつれて小さく見えているだけ。

 突き当りには、子供たちの間でオバケ屋敷だと噂のバロック建築があり、美術館にするという話も出たが、結局予算不足で投げ出されている。“立ち入り禁止”の看板を掲げる背の高い外門には、棘のある蔦がこれでもかというほど巻きついているため、入ることは不可能だ。

 少年はそこを目指しているのだろうか? 何十年も前に主人を失った屋敷とこの少年に、何の繋がりがあるのだろうか?

 しかし次の瞬間、少年の本当の目的が姿を現した。

 街灯が向かい合って並ぶ突き当りの角から、大柄な人影がビュッと飛び出してきた。

 熊のような体格でありながら、荒野を駆けるヒョウのような素早さで“オバケ屋敷”の前を猛然と突っ切っていく。

 モニカがあっと声をあげる間もなく、少年は人影に向かって素早く銃をかまえた。

 撃とうとしている! モニカはとっさに手を伸ばし、少年の首根に掴みかかった。

「人殺しは犯罪よ! 何百年も前に、戦争や殺し合いの時代は終わったの!」

 キンキン声で喚き散らされ、少年は鋭い目でモニカを睨んだ。しかし、標的がまんまと逃げたのを確認し、大人しく手を下ろす。

「邪魔しないでよ。半日かかって、ようやく仕留められるところだったのに」

 感情のない目で前を見据えたまま、少年は呟くように声を漏らす。

 子供の口から、そんな言葉が出てくるなんて。平和になったはずの世界は、思っていたより荒んでいたのかしら。

 その時、体の上からふっと重いものが退いたような気がし、モニカの足の硬直が溶けた。

 つまずくように何歩か進んでみると、ぴたりと寄り添っていた街灯は、何ごともなく後ろに流れていく。

 背筋を伸ばし、肩をまわして、その場でピョンピョン跳ねてみる。ついでに何歩か歩き回るが、もう体に異常は感じられない。

 さっきは地面が逆戻りしているみたいに、まったく私を進ませなかったのに、今度は何事もなかったかのように、普通に歩くことができる――どう考えても納得できない。もう一度足の動きを確かめながら、モニカはむかつきの残る胸をさすった。

 奇妙といえば、あの少年もそう。

 モニカが振り返ると、例の少年は大きくコートをひるがえし、今まさに立ち去ろうとしているところだった。

 右手に持っていたはずの拳銃は、いつの間にかなくなっていた。多分、あの黒ずくめの上着のどこかへ隠されたのだろう。

 悪いことをしたという意識がないのか、少年はさっさと立ち去ろうなんて気はさらさらないらしい。モニカはマイペースに足を進める少年へ駆け寄り、その腕を捕まえた。

「銃刀法違反よ、おいで」

 少年の腕は驚くほど細かった。これなら歳相応の体重もなさそうだ。しかし、貧しい家の子供には見えないし、むしろ高貴な存在であるかのように、乱暴に扱ってはいけないとさえ感じる。

「どうして?」

 少年が振り返り、不満げにモニカを睨んだ。

 少年の顔を近くで見て、モニカはようやく今までの違和感の原因に気づいた。この子、不思議な目をしている。

 瞳孔の細い、昼間の猫の目のような瞳。人間離れした奇妙な目に見つめられ、モニカは不覚にも怯んでしまった。

 しかし、すぐに負けじと唇を結び、堂々と胸を張りなおす。

「子供が銃なんか持っていたら、警官は補導するのが当たり前の世の中よ。もしもあなたが、秘密捜査なんかの極秘任務にかかわっているなら、きっと別だけれど」

「似たようなものだ」

 少年はモニカの腕を振り払い、吐き捨てるように呟いた。

 ちっとも従う姿勢を見せやしない。頑固な少年の態度に、モニカはやれやれと腰に手を当てた。

「じゃあ、あなたはいったい何のために銃なんか持っているっていうの?」

 モニカの問いかけに、少年が再び顔を上げた。

 何度見ても、ついうっと怯んでしまう。真っ直ぐにモニカを見つめる大きな瞳は、光を受けつけることを拒否し、コンクリートのような灰色の世界に、冷たい青が揺らめいているように見えた。

 橋の上から見下ろす水面のように、このまま見つめていたら吸い込まれてしまいそう。危険だ、と頭のどこかで命令が出ていても、なぜか目をそらすことはできなかった。

 そのまま誤魔化されそうになっている自分に気づき、モニカは慌てて目をそらす。

「な、何だっていうの?」

 頭を振り、もう一度問いかける。

 すると少年はふいとそっぽを向き、やっと口を開いた。

「暗殺屋だから」

 少年は短く、きっぱりと言った。


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