第3章 要塞都市-1
遠目から眺めると無人の廃墟のように荒れ果てたガソリンスタンドに近づくにつれ、サマーベッドの上に悠然と寝そべり、ペーパーバック本を読みふける太った老人の姿が見えてきた。
男もこちらに気づいたか、本を投げ捨て傍らに立てかけたショットガンを取り上げるが、バギー車の運転席からレオンが片手を振ると、苦笑して銃口を下ろす。
「給油を頼むぜ、ボブ。代金はいつも通り現物払いだ」
スタンドの中に乗り入れたバギー車から降りると、レオンは荷台に積んできた、食料と飲料水を詰めこんだダンボール箱を下ろした。
「おう、いつもすまねぇな。……っと、今日は一人じゃねえのかい?」
計量器から引き出したノズルを車の給油口に差し込みながら、ボブは助手席に座る小柄な人影に目をやった。
「……」
フード付きのポンチョを頭から被ったリュナは、体の紋様を見られないよう、無言で両裾をかき合わせる。
「あーっと、新しく助手を雇ったんだ。最近仕事が増えて、さすがに俺一人じゃしんどくなってさ」
務めて平静を装いつつ、レオンがフォローを入れた。
「へえ。そいつは羨ましいねぇ。商売繁盛ってわけか」
笑いながら受け答えしつつも、この陽気にポンチョで全身を隠したリュナの姿が気になるのか、ボブは訝しげな視線を時折送ってくる。
「……何だかまだガキみてぇだが……よそ者か?」
「あ、ああ、出先で拾ってきた戦災孤児だよ。ほら、俺だってホンゴウのオヤジに拾われてきただろ?」
「ホンゴウか……惜しいことをしたな。いい奴だったのに」
死んだレオンの養父とは親しかったのか、寂しげな顔つきで肩をすくめるボブ。
が、おもむろにレオンに顔を寄せると、小声で耳打ちしてきた。
「よそ者っていやあ……最近、見かけねえ連中がこの界隈をウロウロしてやがる」
「野盗どもか?」
「いや。別に何か悪さをするってわけでもねぇんだが……どうも気にくわねえ。こうすっぽりコートを着込んで顔も隠しててな。そら、ちょうどその新入りみたいに」
「……!」
びくっと肩を震わすリュナを、ボブの視線から遮る形でレオンが前に出た。
「おいおい、こいつは別に怪しい奴じゃねーぞ? ただその……ちょっと顔や腕に火傷の痕があってさ、人に見せたくないんだとよ」
「ふうん? まあ、それならそれでいいけどな」
回り続けていたデジタル式のメーターが満タンの表示で止り、老人はガソリンのノズルを引き抜いた。
「あと聞いた話じゃ……ガウルにGC軍の陸巡が来てるそうだ。近々、この辺でもまた派手な戦闘がおっ始まるかもしれねえぞ」
「そいつはありがたいね。俺たちジャンク屋にとっちゃ稼ぎ時だ」
「稼ぐのもいいが、あまり無茶はするなよ? 一応、おまえのことは死んだホンゴウからよろしくいわれてるんでな」
「いつまでもガキ扱いはよしてくれよ。あんたこそ、そろそろ跡継ぎでも捜して楽したらどうだい?」
「俺か? 俺は今のままで満足さ」
ボブは豪放磊落な笑い声を上げながら、足元に落ちた本を拾い、埃をはたいた。
「そうさな……できればこんな晴れた日に、好きなブラッドベリの小説でも読みながら死ねれば最高だぜ」
「この町は十年前に全滅したのよね? あの人、いったいどこからガソリンを仕入れてるの?」
バギー車が走り出し、バックミラーの中で遠ざかっていくガソリンスタンドを見つめながら、リュナはフードを背中に降ろした。
「さあな? 蛇の道は蛇っていうし……どこか闇ルートを握ってんだろ。そういうことは互いに詮索しないのがここのルールなのさ。それにあいつは死んだオヤジの親友だったから、俺には格安でガソリンを分けてくれるし、時には耳寄りな情報も教えてくれる」
「GC軍の陸巡がどうとか、いってたわよね……」
ふいに、リュナの脳裏に1つのビジョンが閃いた。
レオンが「メガフロート・シティ」と呼んだあの「島」の港。そこに停泊した巨大な「軍艦」。
だがそれは通常の艦船と異なり、長方形の艦底から大量の空気を吐き出して洋上ばかりか陸地まで走れる、いわば超大型ホバークラフトだった。
「それって陸上……巡洋艦のこと?」
「ああ。最近GC軍が配備し始めた新兵器で……まあ俺もまだ実物は拝んだことはないけど」
レオンはそう答えてから、
「……しかし珍しいな。GC軍がこんな辺鄙な場所に陸巡を派遣して来るなんて……こりゃ、ボブがいったとおり近いうちに――」
「私……それに乗って運ばれて来たのかもしれない。この土地まで」
「何か思い出したのか?」
レオンがハンドルを操りながら、横目でリュナの顔を見る。
「うん。私、確かにその陸巡って見た憶えがある……でも、いつのことだったか……そこまでは分からない」
「まあ……説明は付くな。そもそも陸巡はSCSを部隊単位で輸送して、戦場に素早く展開させるための輸送艦でもあるし」
「あのお爺さん、ガウルっていってたわよね? それ、どこ?」
「この近くにある一番大きな街だよ。っていっても、人口はせいぜい4、5万ってとこだけど」
「案内して!」
「ま、そういわれると思ったけど……」
レオンは一瞬気まずそうに言い淀む。
「先にいっとくけど、お勧めはできないぜ? 前にもいったとおり、ガウルはエントゥマの襲撃に備えて周囲を防壁で守る要塞都市だ。住んでる連中も、いつ襲ってくるか分からないエントゥマに内心ビクビクして暮らしてる。だから……まあ何つーか、外とは比べものにならねーんだよ。エンティに対する差別も」
「……!」
リュナはハッとしてバックミラーに映る己の顔を凝視した。
こうしてレオンと2人きりの間はつい忘れかけてしまうが、そこにはあの忌まわしい「紋様」を顔に持つ少女がいる。
「その街には1人もいないの? その……私と同じエンティは」
「いるにはいる。けど、街の連中からは殆どバケモノみたいな扱いを受けてるから、今じゃどこか人気のない場所に集まって隠れ住んでるって噂だ」
「そんな……」
「だから、リュナもエンティと知れれば確実に嫌な思いをすることになる。そこんとこ、覚悟は出来てるんだろうな?」
「私のことなら、心配は――」
「いや、俺が怖れてるのは、むしろリュナ自身がぶちキレて、街の連中に被害を出すことなんだ。一週間前、俺をエントゥマから助けてくれたときの、あの『力』……リュナ自身も詳しいことは憶えてないんだろ? 逆にいえば、何をきっかけにまたあの姿に変身するかも分からないってこと」
「……」
「俺はこれから『商売』のためにガウルへ行く予定だけど……今日のところはここで留守番してくれないか? その代り、軍の連中に会ったとき何か手がかりになる情報がないか探りを入れとくからさ」
レオンの提案に暫く逡巡していたリュナだったが、間もなく肩に吊った刀を降ろし、運転席の脇に置いた。
「これ、あなたに預けておくわ。そして約束する。街の人からどんな目で見られようが、何を言われようが我慢する。絶対に、街の人たちには……手を出さないから」
「う~ん、強情だなぁ……」
思わず頭痛を堪えるように、レオンは片手で額を押さえた。
「……しゃーない。そこまでいうなら連れてくしかないか。……ああ、そこのボックス開けてくれ」
言われるままに目の前のグローブボックスを開くと、ゴチャゴチャした小物に混じってサングラスと防塵用マスクが入っている。
「街に着いたら、それを付けといてくれ。女の子には失礼だろうけど、あまり辛い思いはさせたくないからな」
「……」
(やっぱり、私……バケモノなんだ。『普通の人たち』から見れば)
泣きたくなるような気持ちを堪え、リュナはマスクとサングラスを顔に付ける。
「あのさ、俺だって女の子にそんな格好させたかないよ?」
助手席の少女から目をそらし、前方を見据えながらレオンがいう。
「でも、街の連中の身になって考えてみろよ。リュナだって両親をエントゥマに殺されたんだよな? たとえばその場でエンティにならずに済んだとして、後になってエントゥマと同じ紋様を体に持った人間を見たらどう思う?」
「いわれなくても分かってるわよ。子供じゃないんだから」
再びフードを被り、見かけは男女の区別も付かない姿になってから、すでに腹を括った気分でリュナは答えた。
「私はただ、本当のことが知りたいだけ。レオンにも、誰にも迷惑かけないわ。もし、自分が軍の作ったサイボーグか何かだったら……大人しく軍に出頭するわよ。もう怖がったりしないから」
「それはまあ、リュナの自由意志に任せるけど……」
何となく歯切れの悪い口調でレオンがいい、それきり気まずい沈黙が2人の間を遮る。
ひび割れたアスファルト道路をガタガタいわせて走るバギー車の震動を体で感じながら、ふとリュナの内心にひとつの疑問が膨れあがった。
(もし私が軍に改造された人間兵器だとして……だったら、何で軍の人たちは『死体』の回収もしないで引き揚げたのかしら?)
あの戦闘が改造兵士の「実戦テスト」だったとすれば、たとえ結果が失敗であれ、自分の死体は軍にとっては貴重な「資料」となるはずだ。
にもかからわず、彼らはそれを放置してさっさと撤退した。
(GC軍は……いったい何が目的だったのかしら? 友軍からあれだけの犠牲者を出してまで)
またひとつ増えた不可解な謎に、リュナの心は重くなった。
地平線の向こうにあたかも中世の城郭を思わせる高い外壁が頭を見せ、それからさらに数十分後――バギー車は要塞都市の街門前で停車した。
(これが都市? まるで刑務所じゃない)
そびえ立つ街壁を間近から見上げ、リュナは半ば驚き、半ば呆れた。
「着いたぜ。ここがガウルの街だ」
「素敵なドライブだったわ。危うくお尻が壊れるかと思ったわよ」
お世辞にも乗り心地の良いとはいえないバギー車の助手席に座っての二時間余り。
腰をさすり、グチをこぼしながらも降りようとするリュナをレオンが制止した。
「ちょっと待ってろ。本当なら、よそ者が街に入るには通行許可証が要るんだよ。こんなご時世、エントゥマだけが人間の『敵』とは限らないからな」
「どうするの? そんなの持ってないわ」
「ま、ここは任せておけ」
門衛を務める兵士が、自動小銃を携えてこちらに歩み寄ってくる。
「よーぉ、ジョセフ。元気にしてるかぁ?」
顔見知りなのか、先にレオンが親しげに声をかけ、馴れ馴れしく兵士の肩を叩いた。
(GC軍の制服じゃない……たぶんこの街の民兵ね)
ごく自然に、リュナは思った。
(陸巡のことといい……私には、確かにGC軍と関わった記憶がある……なのに、どうして肝心の部分だけすっぽり抜け落ちてるのよ?)
湧き上がる不安と苛立ちを抑えるため、首から提げたペンダントを御守りのように握り締めた。
(この人に会えれば……この人なら、きっと教えてくれる……私が何者なのか、何でこんな体に変えられたのかを)
車から四、五m離れた場所でレオンは兵士に煙草を勧め、何やら世間話に興じていたが、やがて弱ったような顔の兵士に折りたたんだ紙幣の束を差し出し、半ば無理やり相手の胸ポケットに押し込んだ。
くるりと踵を返すと、得意げな顔で運転席に戻ってきた。
「話しは着いたぜ。リュナは俺の助手で、今日のところは許可証なしでOKってことにしてもらった」
「買収したの? 意外とワルなのね」
「人聞きが悪いな。許可証は街の役場で発行してもらえってさ」
「発行してもらえるの? エンティの私でも」
「抜かりはないさ。街には顔見知りの『仕事屋』が居るから、金を払えば通行許可証を作ってくれる」
「それだって、偽造の許可証なのよね……」
「仕方ないだろ? 安い値段じゃねーけど、まあリュナには命を助けられてるんだ。これで貸し借りなしだな」
「でも、その前には私があなたに助けて貰ってる……新しい借りを作ることになるわ」
「そういちいち面倒くさく考えるなよ。いまリュナの目的は自分の過去を知ることだろ? なら当面の問題をさっさと解決することだ」
一瞬、複雑な表情で視線を逸らしてから、レオンは再び車のエンジンをかける。
(ホントに大丈夫かしら……?)
リュナの心配をよそに、機械仕掛けで開閉するらしい分厚い鉄の街門が、重い音を響かせ引き揚げられていった。
要塞都市の街門をくぐり街の中へと姿を消していくバギー車を、やや離れた岩山の陰から、あの防砂コートに全身を隠した男達が双眼鏡で見送っていた。
「ようやく街に戻ってきたか……」
「しかし随分待たせてくれたな。それに、一緒にいるジャンク屋のガキは何なんだ?」
男の一人が相棒に尋ねる。
別にバギー車に看板を付けているわけではないが、荷台に山と積まれたジャンクパーツを見れば、ドライバーの少年が何者かは一目瞭然だ。
「さあな。どうやったか知らんが手懐けた娘の身柄をGC軍に引き渡して、大金をせしめようって魂胆じゃねえか?」
もう一方の男は素っ気なく答えた。
「あの娘が情報通り『械化兵』の試作体なら……下手なSCS十台分以上の価値は充分にあるだろうからな」
「どうする? 厄介なことになるぞ。一般人の同行者がいるとなると」
「とりあえず街にいる同志たちに連絡だ。向こうで何とかしてくれるだろう」
男は防塵マスクを外し、傍らに置いた暗号通信機のスイッチを入れた。幸い近くにエントゥマの姿は見えず、奴らの生体ジャミングに妨害されることもなく通信ができそうだ。
「一週間も野宿して探索を続けた俺たちの苦労を、ジャンク屋風情に水の泡にされちゃかなわねえからな」
口許を歪めて苦笑する男の顔には――リュナと同じく「エンティ」の証である、あの「紋様」が広がっていた。