今日、部屋の中に虹を見つけた
こうやって日記を書こうと思ったのは、なぜだろう?
いつかおれがいなくなったときのために、おれが何を思って生きていたかを残しておきたかったからだろうか。誰かに自分のすべてをさらけ出すことにはもちろん抵抗がある。けれど、身近な誰かよりはむしろ、全く知らない人の方が肩肘を張らずにありのままの自分を教えられる気がする。
誰とも分かち合えなかった感情は、結局なかったことになり、おれという人間はいなかったことと同じになる。それはとても怖ろしいことに思える。
気持ちを分かち合える友達がいないわけじゃない。
ただ、声が出ないから、どうしてもその人数は限られてしまう。
そう、おれは声が出ない。
文学的な表現ではなく、額面通り捉えてくれていい。幼少期のとあるできごとのせいで(俗にいうトラウマってやつだ)声を出すことができなくなってしまった。声を出さない期間が延びるにつれそれは絶対的な事実になった。きっと、いまむりやり声をだそうとすると、のどが張り裂けそうなほど痛んだあと、ぎざぎざにひび割れた異音が聞こえるだろう。
さて前置きはこのへんにして、今日あったことを書こうと思う。書き手のパーソナリティを長々と書きつづっても飽きられてしまうだろうし、おれという人間についてのあれこれは小出しにしていこうと思う。
今日、部屋の中に虹を見つけた。
なんとまあ、初めての日記らしく凝った表現だが、一瞬本当にそう錯覚するほど見事な色のピアスを見つけたのだ。
おれの通うカナミズ第一高校に、身なりに関する規定はないも同然だった。だから耳に穴を開けたがる生徒も少なくはない。けれど、おれはそんなことをしようと思ったことがないし、同じ部屋に住んでいるルームメイトの耳たぶも生まれたときのままだ(うちの高校は全寮制だ。これを読む誰かの頃になってもそれは変わらないかもしれないけれど、一応)。
ピアスを見つけたのは部屋の床掃除をしていたときだった。今日はなぜか熱が入ってしまって、テープ式カーペットクリーナーを物影と言う物影に差し入れ、付着物に見入り愉悦に浸るという非生産的な行為に没頭していた。テープ式カーペットクリーナーとはいわゆるコロコロのことだ(この日記を書くため、この単語についてちょっと調べた)。
どこを掃除していたときのことだったかは忘れてしまったけれど、固い手ごたえと共にコロコロを引き抜くと、手の中に一つの虹が転がり込んできた。
ちょうどそのとき、ルームメイトが部屋に戻ってきたのでそれについて尋ねてみることにした。ルームメイトの名前は出羽シキトという。もしかするとこれを読んでいる人も知っているかもしれない。それくらい彼は突出したイケメンだった。
おれはブレザーのネクタイを緩めながら靴を脱いでいるシキトに近付く。おれたちは二人とも極めて模範的な身なりをしているから、部屋に戻るまでちゃんとネクタイを締めている。おれの接近にちらりと顔を上げたシキトが先に口を開く。
「掃除してたんだ」
「うん、机の裏とかベッドの下もやった。こんなにたくさん埃が溜まってた」
コロコロを掲げて見せると彼は苦笑する。
おれは声が出ないから普通に会話ができるわけじゃない。口を言いたい言葉の形に大きく開くだけで、あくまで声は出ない。それでもシキトはおれの言葉をちゃんと分かってくれる。一年生の頃から部屋もクラスも同じだから、最近じゃ喋ろうとする気配で振り返ってくれるほどだ。
こういうのをツーカーの仲っていうのかもしれない(以降、おれは声を出していないが、便宜上こんな風に表記することにする)。
「こんなピアスがくっついてたんだけど、シキトの?」
おれが虹色に輝くピアスを見せると、シキトが近付いておれの手元を覗き込んだ。しばらくそのままじっとしていたけれど、最終的に返ってきた答えは「知らない」。
「ピアスなんて開けてないし。そもそもあんまりピアスって好きじゃない。お前のでもないんなら捨てれば」
「もったいないから誰かにあげようかな。Yとか」
Yとは二年の頃におれたちと同じクラスだった友人だ(多分、ここ以外で名前が出てくることはもうないと思うからイニシャルにした。ちょっとした配慮でしょ)。
「男が男にピアスを贈るなんてぞっとする」
「そうかな。おれは何を貰っても嬉しい」
「じゃあ、ピアスじゃなくて指輪でも渡してみな」
「それは色々考えちゃうよね、贈る方も受け取る方も」
「ピアスも一緒だ」
「まあ……新品だとも断言できないし、片方しかないし、つけるのは抵抗があるかもね。じゃあ、おれの物にするよ。机の上にでも飾っとく」
「飽きたときに捨てればいい」
「それにしても、どうしてこんなところにあるんだろうね。忘れてるだけで、シキトが女子にもらったんじゃないの」
「まさか」
おれは簡素な学習机の上にピアスを置いた。無造作に置かれたそれは、不似合いな場所でも七色の光を放ち続ける。退屈な勉強の合間に目のやり場を求めることになるだろう。
「そういえば、今日カナミズチームに誘われた。お前も入らない?」
シキトは制服を脱いで楽な格好に着替えながら言う。あまりにあっさり言うから聞き流しそうになったけど、よくよく咀嚼すれば妙なことを言っている。
「おれたちはマットウチームに入るって決まってるよね?」
「やめる。カナミズチームに入る。お前は嫌か」
「マットウチームに迷惑が掛かるからねぇ。それ以外に懸念事項はないけど」
「カナミズチームはかなり困ったことになってる。メンバーは今日から集め出したし」
「遅くないかい」
「リーダーはいまのところ涌波ミナミだ」
「ミナミさんか」
彼女に頼まれたからシキトも乗り気なわけか。
他の誰かなら難色を示すだろうに。
思わず微笑むとシキトにジロリと睨まれた。おれは急いで口を開く。
「シキトも入るなら、いいよ。ただし、マットウチームにはシキトから話をつけておいてね。あしたミナミさんに伝えに行くよ」
「その必要はない。もうおれもお前も入るって言ったから」
「あ、そう」
強引なものの進め方に呆れたけれど、声の出ないおれにとってはシキトくらい意志疎通できる人が身近にいるとかなり楽だ。シキトの方もおれがそう思っているのを知っていて、おれの側にいるのかもしれない。でも、そんなことで妙にへりくだったり卑屈になったりするのは嫌だから、あまり深く考えないようにしている。
彼にどんなにお世話になっても、自分がどんなに他人と違っても、だ。
そんなわけで今日、おれはカナミズチームに入ることが決定した。文字にすると劇的でも事件的もないけれど、こうして記録を刻んでいる感じが存外気持ちいい。このまま日課にしていこうと思う。