じゃあ、これから仲間だね
雨が降りそうだ。
明日から学校という憂鬱な日曜の夕方。ユキオミは大浴場にでも行ったのか部屋にはいない。一人きりの部屋でマンガを読みながらも、意識は嫌でも雨降り前の空と匂いに集中してしまう。カナミズ地区に雨が降ろうとしている。カナミズチームは動かないんだろうか。一応カナミズチームに入れてもらえたおれは、こうやって部屋にのうのうとひきこもっていていいのか?
いや、だめでしょ。
誰かに任務しなくていいのか訊くべきだと思う。女子寮には入れないから、相手は三口カズキさんか出羽シキトさんがいい。
冴えない主人公がやけにもててる少年マンガを放りだすと、おれは部屋の入り口に立てかけてある緑色の傘を掴んだ。入学したときに買ったこの傘は、いまだに使われたことがない。これから使うことになるかもしれないと思うと、緊張と興奮で胸が熱くなってきた。
部屋を出て寮の四階へ。
入り口のプレートを見て回り、五分ほどでカズキさんとシキトさんの部屋を探し当てる。
とんとん、と二度ノック。
……をしようと思ったけど、一度目が終わった途端にドアが勢いよく開いた。いまから任務をするかもしれないのに、手を怪我したかもしれない。
中から出てきたのは出羽シキトさんだった。カズキさんの方はわけあって一度見たことがあるから、顔を知らない方が消去法でシキトさんというになる。ぱっと見たとき、その顔立ちが芸能人みたいに綺麗でどきりとした。もしおれが女なら、いまこの瞬間から恋が始まっていてもおかしくはない。服装はこげ茶色のレインコート。それが任務のときだけ着る特別な衣装であることはこの学校では常識だ。
見るからに急いだ様子の彼に、おれも急いで声を掛けた。
「すいません、カナミズチームの任務ってあるんですか?」
「ある」
「おれ、カナミズチームなのに呼ばれてないんですけど」
「まだ正式に結成されてないから二年はいい」
「そうですか……」
おれの声があまりに気落ちして聞こえたんだろうか。部屋に鍵を掛けていたシキトさんは、顔を上げて綺麗な目を少し細めた。
「見学したいなら見に来れば」
「そうですか……。じゃあ、せめて見に行きます」
「校舎の屋上に集合」
それだけ言うとシキトさんは廊下をすごい勢いで走って行った。並走しようと思ったおれだったけど、スタートダッシュで圧倒的な差をつけられたのと、彼がそのままのスピードを維持し続けたせいで完全に取り残されてしまった。しょうがないから適度なスピードで寮内をダッシュ。やっぱり三年生って、去年一年任務をやってただけあって脚も速いんだね。
外に出た途端、顔に液体が降り注ぐ。
雨だ。
指でぬぐうと、そこには墨のような黒さの毒。
雨が降り始めた。急がないと。
再び走り出したおれは、校舎の玄関に佇む人影を見つけて反射的に動きを止めた。カナミズチームの人かな、と思って目を凝らしてそっちを見る。真っ黒な衣類を纏ったその人物の顔を見たとき、意外な正体に驚かされた。
土清水ツキコ。
向こうもこちらに気付いたらしい。こっちをじっと見ている。おれは吸い込まれるように彼女の元に近づいた。
ノースリーブの黒色の長いワンピースを着ている。そこから伸びる腕はあまりに白くて、闇の中で発光しているように見えるほどだ。持っている傘は暗い色で、闇に溶けていてその色までは分からない。風がそよぐたびに彼女の長い髪の先がふわりとなびいた。
圧倒的存在感。ちょっと気圧されながらも声を掛ける。
「ツキコさんも行くの? カナミズチームの任務に」
「ええ、電話で呼び出されたの。小立野シュウイチさんって人に」
兄さんが?
「どうしてまた?」
「どうせ君はカナミズチームに入ることになるって。確かにまだ入るチームが決まってはいないけれど……」
「おれはカナミズチームに入るよ。じゃあ、これから仲間だね」
おれの言葉にツキコは丸い瞳をパチリと見開いた。その頬は雨で黒くなってはいるけれど、彼女の幻想的な美しさはむしろひきたっている。
「行こう」
おれはそう言って玄関のガラス扉を開けた。ツキコを先に入れる。
階段を上りながらおれたちは無言だった。昼間の騒がしさとは打って変わって夜の学校は静かだ。ひたひたとささやかな足音が反響しているだけで、会話もない。幽霊が出るかもしれないからおれはちょっと怖かったんだけど、ツキコの後ろ姿は目指すべき方へ向かっているという淡々とした様子で、そこに恐怖の気配はまるでなかった。
屋上の鉄の扉を開け、またしてもツキコを先に入れた。普段は紳士と縁遠いおれでも、なぜかそうしなくちゃと思えた。だってツキコにはそうさせる雰囲気があるんだもん。別に綺麗だからって贔屓してるわけじゃないぜ。
外に出た瞬間、眩い光が目の前に広がる。
赤、青、白、紺、橙。
そんな色とりどりの光線が、屋上の地面から厚い雲へと伸びている。地面付近では細い光線なのに、空に近付くにつれそれは柱のようにしっかりと太くなっている。それぞれの色につき数本の光の束が、曲がったり、真っ直ぐだったりと様々な形状で雲に突き刺さっている。花火みたい……いや、それ以上に明るくて美しい。命の光。なんか、そんな感じ。
カナミズチームの三年生が生んだその光を、おれとツキコは傘をさすのも忘れてただただじっと見つめていた。
ほんと、呆れるくらいずっと見てた。
どのくらいの時間を経っただろう。やがて空を覆う雲は少なくなり、いまではもうほとんどなくなった。雨もその色を黒から透明へと変え、もうすぐ雨上がりのときが来ることを伝えていた。
不意にツキコがおれの袖を引っ張った。
「何か落ちてるわ」
彼女の指差す地面を見ると、きらきらと輝く何かがある。ちょうど赤い光の付近にあるせいで、真っ赤な宝石のようにも見えた。光を遮らないように細心の注意を払ってそれに近付き、拾い上げる。表面に黒い雨が付いていたから、二、三度ごしごしと指でこすった。
ピアス?
おれの手の上で光るのは一つのピアスだった。
やけにきらきら光るピアスだ。光の加減によって色んな色に光る。赤、青、白、紺、橙……。ここから空へ向かう光の五色は、全部このピアスの中にもある。片方しかないけど、三年生の誰かがもう片方をつけてるんだろうか。ツキコの元に戻って見せると、彼女は興味深そうにおれの手のひらからピアスを摘み上げた。
ちょうどそのとき、どん、と屋上の扉が勢いよく開いた。
そこにいたのは、金髪のちび。
ユキオミだ。
「ちょっと! ぼくを置いてかないでよね。みんないるじゃん」
そう言ったユキオミは、光の眩しさに目を細めた。そして目の前の光景に圧倒されたのか、珍しくそのまま黙り込む。奴が口をつぐむなんて、一年に一回あるかないかくらい珍しいことだ。
「これが任務、ね……」
ユキオミが呟く。それはおそらく、おれたち三人の胸の中にある様々な感情を表した一言だっただろう。
おれたちももうすぐ三年生のように任務をすることになる。
そのとき本当の傘師になるんだ。




