まるで地獄の空気が流れ出たようだ、と真っ白な頭で再び思う
金曜日は二年生の教室で勧誘活動をしたり、同じクラスの子に声を掛けたりしてメンバー確保に精を出したけれど、新しい加入者が見つかることはなかった。わたしの心からは必ず見つけるという気概が消え失せ、「どうしても集まらなかったです」と森本に報告するシーンばかりが頭をよぎった。
もやもやする。無性に、もやもやする。
もうみんなチームを決めてるし、わたしは上手く誘うことができないし、あとの二人は見つからないし……。
そして土曜日。
目が覚めると、わたしの心を表すように空が曇っていた。部屋の窓を開けると雨が降る前特有の湿った匂いがする。街に視線を下ろすと、人々は雨を怖れて屋内に閉じこもっているらしく、ビル群の間を縫う道路には一台の車も走っていなかった。人影もない。死んだような都市が広がっているのみだ。
まるで自分がこの終末感漂う週末を作ったような気持ちになり、自己嫌悪に陥る。雨が降り出す前にチームのメンバーを集めておきたい。でも、その前にいつ雨が降るのか知らなくちゃ……。ああ、頭がパンクしそう。
とにかく落ち着こう。
わたしはデニムスカートとパーカーに着替えると、部屋の隅に立てかけてあった藍色の傘を手にした。この傘という一風変わった道具が、傘師の生命線。少し無骨なフォルムには、魔法陣や呪詛のような見えない力が備わっている気がしてならない。
部屋の外に飛び出そうとしたちょうどそのとき、備え付けの電話が甲高い電子音を発した。ああ。この忙しいときに一体どこの誰が。
「もしもし」
「寝てた?」
名乗りもしないその声はシキトのものだった。相変わらず平坦な口調だけれど、その声に内心の焦りが少し消えたのは確か。
「いま起きたところ。そして、いま雲読みしに外へ出るとこだった」
「おまえのいまは随分長いな。雨が降るのはあしたの夜。おれがもう読んだ」
「そうなの……」
「なんだか疲れた声してる。今日はゆっくりしたら」
「カナミズチームのリーダーを任されている身なんだから、そうもいかないよ。まだメンバーも集まっていないんだし、雨が降りそうないまごろごろしてるわけにもいかない」
「会おう」
「ん?」
「いまから会わない? 一人で悩んでたって何も解決しないと思うし、おれが協力できることはやる。学校の正門でいいか」
「学校の外に出るの?」
「まずは会って話そう」
会って話すだけなのに正門? 食堂でいいんじゃないかと思ったけれど、とりあえず頷く。
「うん、分かった」
「じゃあ、後で」
シキトとの通話はガシャン、と斧を振り下すような迷いなさで切断された。彼と二人きりで会うなんていつぶりだろう。中学生の頃までは、ほぼ毎日家に遊びに行くくらい仲がよかったんだけれど。
寮を出て校舎の裏門を抜け、休日の校舎を横目に見つつ正門の方へ向かう。曇天の空の下に見る木々たちは不吉なほど瑞々しい。白色の校舎も、校庭の砂も、正門のコンクリートも、灰色の空の下では不思議といつもより美しく見えた。忌わしいものは周りの美を惹き立てることができるんだろうか。
シキトは白いジャケットを身にまとって校門に寄り掛かっていた。幼なじみという事実を取っ払って見ると、彼はとても格好いい。目を閉じてもその姿が瞼に焼きついているのではと思わせるくらいだ。
「なんか、いつになく落ち着きがない」
開口一番、シキトはわたしをそう評した。
「だって、雨は降りそうだし、メンバーは集まらないし、何をしても手づまりな感じだもん」
「メンバーのことは月曜に森本に言えばいい。もともと無理な話をふっかけてきたあいつが悪い。教師が動けばすぐ決まることなのに」
「うん……でもなんだか悔しい」
「そうやってお前が悔しがる様を見たいだけ。あの変態男は」
「森本は変態なの?」
「多分。よく知らないけど、顔が変態っぽい」
「ひどい偏見」
わたしは思わず笑う。ただ、彼の言葉に頷けるものがあったことは否定できない。
「とにかくもう何もしなくていい。明日の雨は、おれとお前とカズキとルイで対応すれば十分だし」
「うん……。そうだね。でも、ユキオミ君とハルヤ君もいるよ」
「あいつらはまだいい。問題児っぽいし、最初のミーティングで色々教えてからでないと」
「問題児かなぁ。ハルヤの方は普通だと思うんだけれど。ユキオミは行動が突飛なんだよね……」
「あの問題児をカバーするためにも、やっぱりシュウイチを誘ってみようかと思うけど、嫌?」
「嫌じゃないよ」
「本当?」
「うん。わたしの好みに左右されて、せっかくのチャンスをふいにするなんてあっちゃならないことだから。ただ不良と接するのに慣れてないだけだから、大丈夫。シュウイチを誘ってみて」
シキトの表情がふっと緩んだ。コンクリートの校門に寄り掛かっていた彼は背中を離すと門の外を見る。
「これからおれとどっか行く?」
「どうしようかな……。どのお店にも人はいないだろうし」
正直、シキトと二人きりで街を出歩くのは抵抗があった。誰かに見られて噂を立てられると面倒くさいことになるし、女子と二人でいるときには感じないであろう気まずさが予想される。幼なじみとはいえ、もう異性であることを意識せざるを得ない年齢なんだから、わたしたちは。
「行こう」
シキトは断定的にそう言うと、外へと歩き始めた。わたしは慌てて彼に着いていく。隣に並ぶと、彼は無言でわたしの手を握った。どういうつもりなんだろう? 振りほどくわけにもいかないし、わたしはまじまじと彼の横顔を見上げるしかなかった。シキトの手は大きく冷たい。自分の手にこもっていた嫌な熱がすっと消えていくような心地よさがあった。
「どこへ行くの?」
「昔よくいった場所。どこでしょう?」
「どこだろう。全く見当がつかない」
「じゃあ、着くまで内緒」
途中までの道のりは、ルイと海に行ったときのそれだった。けれど、物凄いスピードで走ったあの坂道を下りる前に道を逸れ、最終的に海を見下すことのできる岩場に到着した。岩が階段のように少しずつ海にせり出しており、その先に断崖絶壁が待っている。海も空も灰色で、なんだか不吉な感じがする。
気の滅入る光景に頭が痛くなってきた。
風が下から吹き付けてくる。
まるで地獄の空気が流れ出たようだ、と思う。
「怖いところだね。ここから落ちたらひとたまりもなさそう」
「自殺する人もいるみたい。晴れてたら絶景なんだけど」
わたしたちは岩場に並んで腰かける。
もちろん絶対に落ちないようにあまり海には近付かない。座ったときにようやくシキトの手が離れてちょっと安心した。本当にどういうつもりなんだろう?
「あーあ、わたし、やっぱりリーダーなんて向いてないね。自分の人望のなさを自覚させられる一週間だったよ」
朝から溜まっていたもやもやの一部を吐き出すと、シキトは苦笑する。
「フォローしたいけど、やっぱりお前はリーダーって感じじゃない。一歩離れた所にいるタイプ」
「さすが、よく分かってる。シキトはナンバースリーくらいの位置かな」
「確かに。カズキはナンバーツーかな。気が利く奴だから」
「ルイはどうだろう? やっぱりまとめる感じではないんだよね」
「リーダー不在だな。このままだと」
「ほんとだね」
沈黙。海からの風が心地いい。
地平線の付近に船が見えた。その小さい姿は時間が経つごとにさらに小さくなる。あそこに乗っている人たちはどこに向かっているのだろう。一か所に留まるわたしたちには思いもよらないどこかへ行こうとしているんだろうか。
「もし誰もリーダーをやらなかったら、おれがやってもいい」
唐突に言ったシキトに、わたしは船から彼へ目線を移した。彼もわたしを見ている。あまりにじっと見られているものだから、気まずくて再び水平線に目のやり場を求めてしまった。
「ナンバースリーがリーダーをやってくれるの?」
「この前言った話を覚えてる? お前からのリターンがあればおれはやる」
「わたしは何をあげればいいの?」
「忘れてることを思い出して」
「忘れてる? わたしが?」
「いままでのおれたちのこと、とか」
「何かあったっけ?」
率直に疑問を口にしたわたしに、シキトは答えることもせずただ黙って海を見た。その横顔はどこか悲しげで、わたしはすごく悪いことを言ったような気持ちにさせられた。
「いまわたし、ひどいことを言った?」
「いや、やっぱり覚えてないんだと思って」
一体、どういうことだろう?
わたしが何かを忘れる?
そんなはずはないのに。それに万が一、わたしが何かを忘れているとしても、シキトが言ってくれればいいだけなのに。どうして黙っているんだろう。
この気づまりな雰囲気を打開すべく、わたしは口を開いた。
「そろそろ帰る? 曇りの日に来る場所じゃないかもね」
「うん。戻るか」
二人同時に立ち上がる。ごつごつした足元にちょっとよろけたわたしの腕を、シキトが掴んで支えてくれた。
「ありがとう」
言ったわたしの顔をシキトは黙ってじっと見た。視線の温度が妙に高くて居心地が悪い。
不意に彼はわたしの肩を掴んだ。
驚く間にその顔が近くなる。
その瞳にわたしが映りそうなほど近くに。
わたしは思わず身を引いた。すると彼は先程までの力が嘘のようにあっさり肩から手を離した。その顔に表情はなかった。わたしはどうしていいか分からずに無言で俯くしかない。
風が下から吹き付けてくる。
まるで地獄の空気が流れ出たようだ、と真っ白な頭で再び思う。
「もうこのままなのか……」
シキトはそう言うと、視線で「行こう」と促して歩き始めた。何が何だか分からないわたしは、混乱した頭で後に続くしかなかった。
もうシキトと二人きりでどこかへ行くのはよした方がいいのかな。無邪気に他愛ない遊びをしていた頃とは違う緊張感が、なんだか息苦しい。




