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一年がかりで咲かせた花弁がコンクリートを彩る様は儚く切ない

 せっかくの土曜なのに、朝から空は嫌な感じに曇っていた。おれがベッドの上でウトウトと窓を眺めている間、先に起きていたシキトはどこかへ電話を掛けていた。部屋の備え付けの電話を使えば、寮のどの部屋ともすぐに繋がることができる。携帯電話を持たないおれたちにとっての唯一の連絡手段だ。シキトはそのまま部屋を出て行こうとし、しかしこちらを振り返った。おれが話しかけようとしたことが気配で分かったようだ。


「雨が降りそうだね」

「あしたの夜降る。もう雲読みはした」

「休みだっていうのに行動が早いね。まあ、いつものことか」

「寝てる時間がもったいないから。いまからミナミに会ってくる」

「珍しいね。デート?」

「そうならどれだけ楽しいことか」


 シキトはため息をついて見せる。彼とミナミさんはただの幼なじみのようでいて、実態はかなり複雑だ。自分に浮いた話がないおれは、さしずめ焦るシキトを横目で見ている傍観者といったところだろうか。おれは自分には一生彼女なんてできないと信じ切っている。だから、格好よくてもてるシキトをときどき胸が締め付けられるくらい妬ましく思うこともある。こんなこと誰にも言ったことはないけれど。


「ところでお前、ちょっと頼まれてくれない」

「なに? デートのお供?」

「だからデートじゃないし。石引ルイに、あしたの夜八時に校舎の屋上に集合って伝えてほしい。あと、小立野シュウイチにも一応」

「来るかなぁ、シュウイチは」

「だめもとだから、来なくてもいい」

「そういえば、なんで二年生は誘わないの? 二人入ったんでしょ?」

「今回はいい。あいつら問題児みたいだから、変な行動取られたら困る。さほど雲の量も多くないから三年だけで十分」

「了解。おれに任せて」


 声のない快活な返事を聞くと、シキトは頷いてさっさと部屋を出て行った。おれはあくびをひとつしてからジーンズとシャツに着替え、シャワー室で顔を洗って髪をといた。そして勉強机に置いてあった眼鏡をかけて、部屋を出る準備は完了。所要時間は五分足らず。空気を入れ替えるために窓を全開にすると、桜の花がもうだいぶ散ってしまっているのが見えた。一年がかりで咲かせた花弁がコンクリートを彩る様は儚く切ない。


 眼鏡を取りあげるときに、教科書やらノートが嫌でも目に入って、それらは今日中に宿題をやれよとおれをあざ笑っているように見えた。帰って来たらすぐにやるという意志を表明するため、それらの角を揃えて机の真ん中に移動させてやる。するとその拍子に小さな何かがころりと床に落ちた。


 例の虹色のピアスだ。


 見つけたあの日以来、机の空いたスペースに無造作に置いてあるので、こうして何かの拍子に落としてしまうことがいままでにもよくあった。このままではまたどこかの隙間に入り込んでしまうから、後でいい収納場所を探そうと一旦ポケットに突っ込む。


 まずは石引ルイさんに会わないとならない。こんなとき、声が出れば電話一本で部屋にいる彼女と話せるけれど、残念ながらその手段は候補から除外しなければならない。かといって女子寮に入って行くのは抵抗がある。さて、どうするか。


 取れる行動は限られているので、答えはすぐに出る。おれは食堂に向かった。


 寮の食堂は一階にあり、男子寮と女子寮の両方から渡り廊下で連結されている。任務のせいで生徒たちは生活が不規則だから、ほぼ一日中寮母さんたちがいていつでも食べ物を提供している。そこで誰かを捕まえて彼女への伝言を頼めばいい。誰かに何かを頼むという他人よがりな行為に、おれはなんの抵抗も持っていない。人は一人では生きていけない。こと、おれのような欠陥品は。


 食堂に入り、手頃な人物はいないかと見回すと……いた。

 本人が、いた。


 人もまばらな空間で彼女の姿は人目を惹いた。ルイさんには周囲に訴えかけるようなオーラがある。後ろから近づき、青いブラウスを着た肩をそっと叩くと、小さな体が驚いたように跳ねてこちらを振り返った。切れ長でやや吊り気味の目。幼い顔だちだけれど、その目に宿る自立心だけはもう立派な大人みたいだ。


「すいません。おれは三口カズキという者です。声が出ないのですが……」

「え、え? なに?」


 ルイさんは目を見開いて手を耳に当てた。シャワーを浴びたばかりなのか、腰のあたりまで伸びた茶色がかった髪は湿っていた。おれはポケットからメモ用紙とボールペンを取り出して『三口カズキ。声が出ない』と書いた。そしてもう一度、さっきのせりふを口の形で伝える。今度は伝わったようで、ルイさんはこくこくと頷いた。彼女も口の形だけで伝えようとしたから、耳を指し示して「き、こ、え、る」と伝える。


「どうしたの? あたしに何か用?」

「カナミズチーム」

 おれは自分とルイさんを交互に指し示す。

「ああ、そうね。うん、それがどうしたの?」

「曇ってる」

「うん、曇ってるわ。任務のこと? あたしもそのことをミナミに訊きたかったのに、あの子部屋にいないのよね」

「ミナミさん、シキトと、出掛けてる」

「ふーん、そうなの。あの二人、できてんの?」

「さあ、おれは知らない。次の任務について、お知らせが、あります」

「へ? お知らせ?」

「あしたの、八時に屋上。任務やるよ」


 指で八。上を指し示すジェスチャー。それで彼女には伝わったようだ。


「あしたの夜八時に屋上ね。校舎の方でいいのね? 分かったわ」


 おれは微笑みを浮かべて頷いた。


 こうして一人目への伝言は完了。こんなにスムーズにいくとは思っていなかったので、気分は嫌でも高揚した。なんでもない納豆ごはんがいつもより美味しく感じられたくらい。


 食事をとった後は、シュウイチの部屋に向かう。


 もしかするといないかもしれないと思ったけれど、部屋のドアをノックすると彼はあっけないくらいひょっこり顔を出した。おれを見ると、意外そうな表情を浮かべた後に探るような目でこちらを見る。彼とは同じクラスだというだけで、特別仲がいいわけではない。


「三口カズキじゃないか。おれに何か?」


 シュウイチは部屋のドアを、片目が見えるくらいの幅までしか開けない。だから彼が部屋で何をしていたのかとか、部屋の様子がどんな風なのかとかを把握するのは不可能だった。三年にもなればほとんどの生徒が個室だから、同居人に気を遣っているわけでもないだろう(おれみたいなのは学校側が一人部屋にしたくないから例外だ)。


 普段は近寄りがたい雰囲気のある彼だけれど、扉に阻まれているからかずっと話しやすかった。「こんにちは」と笑顔で挨拶した後に即要件を切り出す。


「あした、カナミズチームの、任務が、ある」

「あした、カナミズチームの任務がある? へえ、そうなんだ」

「カナミズチームの、活躍を、見学しに、来て」

「カナミズチームの活躍を、見学……? なんでおれが?」

「カナミズチームに、入って、欲しい、からさ」

「カナミズチームに入って欲しい? ミナミは嫌がってたけどねえ」

「シキトは、乗り気」

「お前は?」


 本当はどちらでもよかったけれど、おれは友好的な笑みを浮かべた。狙い通りシュウイチはまんざらでもなさそうな様子で頷く。


「ふうん。気が向いたら行くよ。何時にどこ集合?」

「校舎の屋上に、午後八時」


 これは伝わらなかったらしい。シュウイチは「へ?」と繰り返しを要求する。おれはメモ作戦に移り、『校舎の屋上に午後八時』と書いた紙きれを彼に渡した。


「屋上に八時ね。了解」


 「よろしく」と言って立ち去り掛けたおれは、「なんか落としたぞ」というシュウイチの言葉に再び彼の方を向いた。屈んで床を見ると、虹色のピアスが白い床の上で光を放っていた。シュウイチが素早く拾い上げる。


「ん? ピアスなんてするの、お前?」

「しないよ。だけど、たまたま、手に入れた」

「ふうん。じゃあ、おれにくれない? くれたら絶対、カナミズチームの任務を見に行くからさ」


 シュウイチは虹色のピアスが気に入ったらしい。一瞬見えた彼の耳には何もついていなかったけれど、もしかすると穴は開いているのかもしれない。特に未練のなかったおれは「いいよ」と快諾した。そして今度こそシュウイチと別れて廊下を歩き始める。


 結局、最後まで彼の部屋の中を見ることがなかった。そういえば、小立野シュウイチの部屋はかなり散らかっている、という噂を聞いたことがあったかもしれない。まあ別にどうでもいいけどね、シュウイチの部屋の中なんて。


 そんなわけで、明日の任務にはシュウイチも来る。拾い物のピアスを手放し、代わりに彼の心をカナミズチームにぐっと引き寄せた。おれは結構チームに貢献したんじゃないのかな。


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