突然の呼び出しには、嫌な予感がつきものだ
突然の呼び出しには、嫌な予感がつきものだ。
教員室へと階段をのぼりながら、わたしは落ち着かない気持ちだった。教科書類で膨らんだ革カバンが太ももに当たる感触。四月のうら暖かい空気と夕暮れの色。そんな外界の刺激と内面のざわめきがシンクロし、時間の経過が間延びして感じられた。
担任に呼び出されるなんて、高校三年生にして初めての経験だ。それほどにわたしはいままで平均的な生徒で通してきた。くだらない悪事で怒られることもなければ、突出した優秀さを褒められることもない。そんな凡庸な生徒が名指しで呼び出されるなんて、どう考えても歓迎すべきことじゃない。
校舎四階の教員室の前で呼吸を整える。教員室というと、先生たちが机を並べている印象があるかもしれないけれど、我がカナミズ第一高校では先生はそれぞれの部屋を持っている。だから、教員室に呼ばれるということは、すなわち先生と二人きりになるということなので、そういった意味での緊張も伴う。
「森本ヨシマサ」というプレートのはめ込まれた部屋の前に辿り着く。ちょっと呼吸を整えてから、頭の中を空っぽにしてドアをノックした。
すぐに「どうぞ」という声が聞こえてきたので、「失礼します」とお決まりの文句を唱えて部屋に入った。
さほど広くない室内は雑然としていた。本が床に積まれ、幾多のプリント類が無造作にテープで壁に貼られている。そして、春先の風を取り込んでいない室内は空気がこもっていて、大人の男の気配に満ちていた。部屋の主、森本ヨシマサ先生は椅子を回転させてこちらを向く。化学の教師である彼は、実験の授業がないときも白衣を着ている。
髪も髭もすべて無造作。そのくせシャツの襟やその下の筋肉には手入れが行き届いているのがなんともうろんだ。向きたった彼はにこり、と親切心が見て取れるもののどこかサディスティックな笑みを浮かべた。
「わざわざ呼び出してごめんね。びっくりしただろう?」
「ええ、もちろん。いい意味でも悪い意味でも目立つ生徒ではないので」
「そんなことない。君は優秀さ。ただ自己顕示欲がないだけなんだから、もっと周りにアピールしないと」
「そういうタイプじゃありませんよ。それより、ご用件はなんでしょう?」
「ああ、そうだね……」
森本は焦らすように間を置く。わたしはドアの前で直立不動のまま辛抱強く続きを待った。
「転校しちゃった有松ユウリと、君は一番仲がよかったね? ずっと寮の部屋もクラスも一緒だったし、『チーム』も一緒だった」
「ええ、そうです」
チーム。
カナミズ第一高校でのその言葉は、部活や同好会の集まりを指すものではない。
学生の身分を越えた「任務」を行う最小単位を指す。
「ユウリはカナミズチームのリーダーになる予定だった。一身上の都合とはいえ、転校されたのは非常に痛手でね」
「そうですか、大変ですね」
わたしは嫌な予感に表情が強張るのを感じつつ返事をした。だんだん包囲網が狭められているような気がする。この流れに身をゆだねると、きっとろくなことにならない。
「ユウリが最も信頼していたのは君なのではないかな。そこで、彼女に代ってわたしから君に頼みたいことがある。君にカナミズチームのリーダーになって欲しい」
「わたしにはできません、そんなの」
「拒否権はあるようでない。君がやればいいだろうって、教師全員が思ってるんだから」
「もう。じゃあ、頼みじゃなくて命令なんですか?」
「押しつけたくはなかった。君の意志で決定してくれることを望んでいたからさ」
「無茶苦茶ですね。わたしは嫌ですよ。先程もいった通り、そういうタイプじゃありませんし」
わたしたちカナミズ第一高校の生徒は、ただ勉強だけをしていればいいわけではない。チームの一員として任務をし、世のため人のために身を捧げなければならない使命がある。そして、そんなチームのリーダーになれる責任感やリーダーシップなんて、わたしは持ち合わせていない。
それでも、森本は説得を続ける。
「何事もやってみないと向き不向きなんて分からないものだよ。まだ若い君たちの年代なら尚更だ。地位を与えられて初めて、その地位にそぐう人格を手に入れることだってままあるだろう」
「それでもわたしはお断りします」
「しょうがない、君は案外頑固だな。本当にしょうがない。じゃあ、わたしはいまから独り言を言うから、君は聞き流してくれ」
森本は芝居がかった様子でこちらに背を向けた。この隙に部屋を出てしまおうかと思ったけれど、なんとか直立不動を維持する。森本は外の景色に向かって歌うように話す。
「君は三年生。一年後には卒業だ。卒業後、うちの生徒はみんな傘師として全国各地に配属されることになる。そのとき、教師の推薦があれば希望通りの地域に配属される可能性が高くなるのだよ」
「つまりリーダーになると、将来が思うままになると?」
くるりとこちらを向いた森本はまたにこり、と笑みを浮かべた。その胡散臭さはため息をつきたくなるほどだった。
あざとい学校のシステムに呆れたけれど、何よりうんざりしたのはその一言でわたしがリーダーになってもいいかなと思い始めていることだ。自分の現金さが嫌になる。そして、ここであっさり承諾して、森本にこの胸中を見透かされてしまうのも嫌だ。
「まあ、悩む必要もない。実質、君には拒否権が無いわけだからさ」
リーダーになりたくなったでしょ?
進路選択を有利に進めたいでしょ? 無理しなくていいよ。
半笑いの森本がそう思っているのは明らかだった。悔しい。
意地になって拒否の言葉を口にしようとして、結局やめた。どうせ、どう転んでもわたしがやることになるのだ。ここでむきになってもしょうがない。
「そういうことなら引き受けます。ただ、代役が見つかったら代わってもらうかもしれませんよ」
「君がどうしても嫌で、代役がどうしてもやりたいなら、しょうがないけど認めるよ。でもきっと君がリーダーになるだろうね」
わたしの悪あがきも、森本は大人の余裕であっさり流した。なんだかもうどうでもよくなってきた。投げやりな気持ちになってしまうのはきっと、この部屋の空気が淀んでいるからだろう。
「去年もカナミズチームだった君なら知ってるだろうが、チーム担当教師はこのわたしだ。十日後には今季第一回目のチームミーティングがあるから、一週間以内にメンバーを揃えてわたしに報告するように」
「一週間? 一週間であと七人集める?」
「短いかもしれないが、君ならできる」
君ならできる? 何をもってできると判断したんだろう。まったく……。こんなに適当な言葉はない。
「君はこのカナミズ地区の出身だろう? 同じカナミズ出身の出羽君でも誘ったらどうだい」
「考えておきます」
余計なお世話。でも的確なアドバイス。
幼なじみの出羽シキトならわたしに力を貸してくれるかもしれない。というか、親友のユウリがいなくなったいま、頼める人を彼くらいしか思いつかない。
「頑張ってくれたまえ。輝かしい未来のために」
正直困り果てたけれど、ここで森本に泣きついても事態は何も変わらないだろう。内心でため息をひとつついてから、わたしは森本の部屋を後にした。