9.自己中心的な客
あるいつもと同じような日、よく晴れた朝のこと。
アッチェラードがはたきを持って棚の前に立ち、上から二段目のガラス瓶の取っ手部分のほこりを払っていたところ、店の外、左手に黒い固まりの存在を感じたかと思うと、
「お前がアッチェラードか」
と、居丈高な声がかかった。
「え? はい。そうですが何か……」
そう言いながら店先まで出て来たが、いつも応対が丁寧なアッチェラードも、最後まで言い終えないうちに、思わずまじまじと見てしまう。
その黒い固まり。黒いフード付きのマントで全身を固め、目だけ出している状態だ。
黒目がちな大きな目は夜の猫の目のようだ。
そして、長い金属製の杖を持っていて、その先が渦巻き状になっているのが、なんとなく微笑ましい。
一見して、「魔法使い!」と思う。
アッチェラードはあまり魔法使いを見たことがない。王都でも王城周辺や西地区などに行った際に、たまに見かけたことはあるが、縁がないため話をしたこともない。
戦好きの先王の時代にはもっと魔法使いが王に雇われたり積極的に養成されたりしていたそうだが、今は人数もあまりいないと聞いている。
その魔法使いが、なぜ東地区大通りに来て、しかもなぜアッチェラードを名指しで訪ねて来たのだろうか。
道行く人も怪訝な顔をして通り過ぎる。
立ち話をしていた隣の織物屋の奥さんとその客も、遠慮なしにこちらを見ている。「あれ、魔法使いじゃない?」「え?あんなに小さな子が!?」「だって、頭からフードつきのマントをかぶって、杖も持っているよ」「でも、まだ十二・三歳じゃない?」「アッチェラードに何の用かしらねえ」
どこか胡散臭げに見ているのは、彼女たちもアッチェラードを同じく、砂漠出身だからだろうか。
隊商にも、魔法使いと呼べなくも、まじない師は一人必ず同行して、天気を予想したり、悪戯をしようとする精霊のご機嫌を取ったり、魔物に出くわさない迂回ルートを取るよう勧めたりとしているが、少々インチキくさいと思われている。しかし、だからと言ってまじない師を同行させないで旅に出た場合、偶然なのか、まじない師がいないからなのか分からないが、何らかの災難に遭うことが多いため、一応高い賃金を払ってまじない師を雇うのが常である。
修行に時間がかかり危険も伴うと本人が主張し、人数も少ないので仕方なく、その技術に対し高い賃金を支払っているのだが、なんとなく胡散臭く、賃金も高すぎやしないかと思われていて、そのため同じ砂漠の民の中でもまじない師は特殊な位置づけにあるのだ。
ちなみに、職業は大抵世襲である。
「あの……、私に何か御用でしょうか?」
こちらもまじまじと見ていたが、魔法使いも魔法使いでアッチェラードをじろじろと見ていた。
「……やはり若過ぎやしないか……」
「へ?」
「いや、最後の候補だしエスプリの推薦だ。試してみるか」
「はい?」
心の声が漏れてますけど……。アッチェラードはしかしその独り言に対して返事をしてみた。
「あの、ひょっとして私ではなく、父のアッチェラードを訪ねていらしたのですか?」
すると、独り言に対して返事をされたことについてはスルーして、
「いや、お前で合っている。子のアッチェラード・アッチェラードだ。三月で十七歳になったばかり。……しかし、お前で本当にいいのか……?」
とのこと。何がいいのかよく分からないし、聞かれても答えられないが、最後のは独り言らしい。とにかく何をしに来たのか答えてほしい。
「あの……」
質問を繰り返そうとしたところで、魔法使いが自身の顔の前で杖の先端をゆっくり回転させながら、何かぶつぶつとつぶやき始めた。
……これはいわゆる呪文というやつではないだろうか。
この人はひょっとして、危ない人ではないだろうか。
そんなことを悠長に考える前に逃げた方が賢明だが、アッチェラードは平和ぼけをしていてのんびりとしたたちなので、とりあえず何が起こるのか待っている。
すると、最後に何か叫んで、魔法を放つように杖を斜め上に向けた。
「ティーナ!」か、「ティエーナ!」だか、そんなような言葉だった。
魔法に使われるのはコーダ王国の古語だそうだ。だがアッチェラードには分からない。
そもそもコーダ語自体が母語ではないし。砂漠も三十年前にコーダ王国に併合されてからは一応コーダ語が公用語になっているが、砂漠の街で普段コーダ語を使う者はいない。
その言葉と共に、杖の先端の延長線上にシュボッと炎が噴き出た。
「おお~!」
アッチェラードは思わず拍手をする。
魔法使いはそのまま、その杖をアッチェラードの方へ近づけてくる。
「? なんですか?」
アッチェラードはまだ少し出ている炎に触れないよう、後ずさりをする。魔法使いの表情は真剣そのもので、またちょっとずつ杖をアッチェラードの方へ近づける。
「え? ちょっと、火は、危ないんで」
アッチェラードは冷静に手を伸ばすと、魔法使いの杖を握って先端を脇へ退けた。
「何をする! その手を放せ!」
魔法使いはなぜか半ば恐怖の色を浮かべている。
「放しませんよ。こちらも商売なので、火は火事の元で危ないんで、もっと広いところでお願いします」
そう言いながら、杖ごと魔法使いを少し押し返す。だが、なんだか少しかわいそうにも思えた。
「あ、さっきの、すごかったですね。ちゃんとした魔法は初めてみました。何も無いところに炎が出るなんて」
そう言いながら、でも火打石があればいいし、あんな大層な呪文であれだけだなんて、魔法って意外としょぼいな、と思っている。
そして、まだ恐怖が表情から抜けきっておらず、顔を覆っていたマントもあごまでずり落ちた魔法使いを眺めて、偉そうなわりに意外と可愛いな、と笑いを噛み殺す。
「お前の力は分かった。なるほど。エスプリが推薦するだけのことはある」
「ごめんなさい。そんな力入れてなかったと思うんですけど、つい、火は危ないと思って押し返しちゃって……、で、エスプリの推薦って何ですか?」
エスプリ様は王宮の学者だが、小さい頃に親に連れられて城に行ったときに会ったことがある気がする。あまり覚えていないが。近所の画家のラジャブじいさんも親交があると聞いていた。ラジャブじいさんの絵は気に入られて、城にも飾られていると聞く。
魔法使いはそれには答えず、
「五人分の旅のしたくを整えてほしい。代金は後払いだ。馬は一頭だけ準備してもらえばいい。地図と方位磁針はあるので、食料、縄、麻袋、テント、たいまつ、鍋、三角布、ナイフ、火打石、それと……、えーとよく分からんが旅に必要なものを用意してほしい」
経緯が分からないが何か合格したらしく、今度は旅のしたくを注文された。
「あの……、お言葉ですが私は骨董商人ですので、旅のしたくだとか……とりわけ馬など注文されても……」
やんわりと断ろうとしたのだが、
「出発は明後日の早朝なので、今日の夕方には城に届けてほしい」
あまりに聞く耳を持たないのでアッチェラードは危機感を覚える。
「旅って言ったって、どこへ行くかで装備は変わりますし、何日間の日程かで量も変わります。そんなあいまいな情報で旅のしたくを整えられる商人はいません」
ついたしなめるように強く言い過ぎてしまったかと思ったが、
「そうか」
と、案外素直に聞いてくれた。
「では、絶対に口外無用だ。口外した場合はそれなりの罰があると思え。まあ罰は何にするか思い浮かばないが、後で考えよう。南方のヴァルナ地方の黒魔女の館へ行く。片道八日間ほどの旅だ。絶対に口外無用だ」
とのこと。
秘密を守るのは自信がある。だが、しまった。口外無用の目的地まで聞いてしまっては、断りづらい。罰の部分は独り言が漏れたようだが、一体どんな罰があるというんだろう。
「あの……、目的地は誰にも喋りませんから、すみませんが別の商人に頼んでもらえないでしょうか」
「だめだ。アッチェラードに決まった。目的地も話した以上、変えられない。変える気もないが」
そう言った後、魔法使いはふっと笑って、
「それにしても、お前、最強だな」
とつぶやいた。
あまりに会話が意味不明でアッチェラードが呆然としていると、
「では失礼」
と、魔法使いが立ち去ろうとする。
「ちょっと待ってください。あの、最強って何ですか」
だが、振り返りもせず、大通りを城へ向かって去っていく。
「ちょっと、魔法使いさん!」
自分らしくもなく、久々に大声で叫んでみたが、黒い固まりはそのまま去っていく。
大通りの人々はその姿にぎょっとして道を開けるので、まるで昔話にあるように海が割れて道ができたかのようだ。
道を開けた後の人は不思議そうにその背中を見送るので、アッチェラードがかき分けて魔法使いを追いかけようにも、人の背中がどんどん幾重にも重なっていき、とても追いつけそうにない。
「は~」
なんだか面倒なことになってしまった。旅のしたくかあ。馬っていくらするんだろう……。
実はアッチェラードの認識よりもっと面倒なことになってしまっているのだが、本人はこのとき知るよしもない。
隣の織物屋の奥さんが話しかけてきた。
「ねえ、ちょっと、大丈夫? 大丈夫そうだけど……、火傷してないの? びっくりしたわよ」
「火傷ってそんな、大げさですよ」
アッチェラードの姿を上から下まで眺め渡して、ようやく安心したらしい。
「……私の見間違いだったのかしら。それにしても、危ない子ねえ。あの子、魔法使い?」
「って奥さん、『あの子』呼ばわりは……。魔法使いみたいですよ」




