剣と恋人
「ねえ、見たところ魔道士のようだけど、こんなところに何の用? あっ、もしかしてナンパ? だったら断るけど。アタシ恋人いるから。でもあの人次第かな。ちょっと束縛しちゃう人だからやっぱり――」
「うん、地面に刺さった剣の上に漂う霊的存在をお茶に誘う人なんて、世の中にそんなにいないと思うんだよね」
「あり? ナンパじゃないの? なんか悲しいなあ。くすん」
宙に浮くその少女は丸めた両手を目のところへ持って行き、大げさに泣く振りをした。
「じゃさじゃさ、なんで来たの? 一人で寂しいからおしゃべりに来たの? 話し相手が欲しいの? あっ、でも話し相手になるってことはやっぱりナンパだよね? だったら断るけど。アタシ恋――」
『ちょっと黙ってくれるかな?』
魔道士は、指で奇怪な文様を空中に描きながらそう言った。
途端に、あれだけ饒舌だった少女の言葉が止まる。
言霊で直接心に語りかけて、少女を無意識から黙らせたのだ。
「ちょっとの間だけどごめんね。こっちだって話したいことがあるし」
少女は何も話さず首をかしげた。何も喋れないことを疑問に感じているようで、それがこちらを窺う小動物のように見えてなんとも愛らしい。
黙っていれば可愛いのに。そう思いつつ、魔道士は剣の刺さったこの場所に自分がやってきた理由を告げる。
「僕に依頼が来たんだ」
北の平原と森の境界に一振りの抜き身の剣が刺さっている。剣とその周囲に魔力関連の罠がないか調べて来てくれ。余裕があれば剣を抜いて持って帰ってこい、と。
依頼主はこの国の土木業者だ。ここが新しい街道を造る予定の場所なので、早いうちに安全を確保したいのだろう。
魔道士は、一通り事情を話し終えると、虫を追い払うように手を振り、少女の沈黙状態を解除した。
「ぅはあっ、やっと喋れるようになった。いきなり女の子を黙らせるなんてキミはもしかして猿ぐつわ好きの変態さん?」
「様子を見る限り、君は剣に宿った魂のようだね」
地に刺さった剣は両刃の片手剣。華美な装飾はなく、質素ながらも自己主張の強い一振りだ。
派手な模様を控える文化は、千年以上前のものだ。それだけの年月が過ぎれば、剣が魂を宿し意志を持つことだって十分あり得よう。
「そうだよん。アタシはこの剣そのものだよ。でも一番悲しいのはキミが変態さんかどうか返事してくれないことだよ」
魔道士は剣に近付き、柄を握る。
「やん、んああぁっ。そんなトコ握んないでよぅ」
少女が、まるで身体の敏感な個所を撫で上げられたかのように身をよじらす。
そんな反応を無視し、魔道士は剣に組み込まれた術式を読み取っていく。
「防衛のための術式は剣の内部からは感じられないな」
解読できたのは、微弱な人払いの結界と、擦り切れて使い物にならなくなった魔術回路だけ。つまりこの剣は、人の姿をした霊が憑いている以外は何の変哲もない、ただの曰くつきの刃物にすぎないということである。
「じゃあアタシを持ってくの? いやらしく触りまくった挙句無理矢理連れ去るなんてキミはもしかして性犯罪者?」
「嫌なのかい? 持っていかれるのは」
「嫌。絶対嫌。だってあの人と約束したんだもん。『森の魔物がみんなを襲うのを境界部分で食い止める』って。役目が終わったらまた来るって言ってたし」
少女の意思は強かった。それだけ剣の持ち主を信頼しているのだろう。てこでも動かない感じだ。
回収任務はオプションなので、本人(本剣?)が嫌がるのならここに放っておこう。周囲には無害である、とだけ依頼主に報告すればよい。
「そうか、それじゃあここでお別れだな」
魔道士は踵を返して帰りだす。
「あ、ナンパ諦めたんだ」
「元々そんな気ないけどな」
「キミは乙女の敵だ。何の期待も女の子にさせないなんて」
「乙女の前に君は剣だろう」
「違うっ。剣の形した乙女なのっ」
なんだかんだで少女も名残惜しいのだろう。数十歩離れた今も他愛のない会話が続いている。
「参考までに訊くけど、その人って何て名前?」
魔道士は振り向き、最後の質問を投げかけた。
少女がある名前を答える。
それは、この国の人なら誰もが知っているものだった。
それは、この国の建国の祖の名前だった。
それは、『剣を捨てよ。書を携えよ』の名言で有名だった。
そしてそれは、首都の大広場に立つ、剣の納まってない鞘と分厚い本を持った銅像で有名な人物である。
剣たる少女は、既に捨てられていた。
そんなことも知らずに、少女はその人物について誰も聞いてないのに語り続けていた。