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竜が死んだ。

作者: 凍星 蚊帳
掲載日:2026/07/09

いつかまた、上手くなったら。

 竜が死んだ。

 川沿いの森に少し開けた場所があって、そこでさっき古竜が死んだ。静かな朝だった。斑点のようにまばらに草の生えるこの場所に影とともに降り立って、しばらくした後に眠りについた。枯れた森を焼き、乱暴者を食し、竜の屍は土地を潤す。そうして竜というのは森に生きた。だが、古竜は違う。海にも、森にも、竜というのはたくさんあるが、古竜ほど特別なものは居ない。原生林の清らかな川に澄んでいる石の影に生えるしたたかな苔の色味、老いている竜の外套のように垂れる胞子のような髭、それぞれの古に稀有な姿。大きな翼にいく束もの群の花が影に覆われる、木々の隙間から冷たく細い光が差しては翼の先にあたって砕けた。がさごそと音がしてみれば、肉食獣も草食獣も互いのカタチをまったく気にせず、みんなで囲って古竜を見届けた。そんな存在。

 少し経って、空がよどんだ。雨脚が森の木々に玉を落として、広間の竜を白く染め上げる。やがて動物たちは潜む草で頭を垂れては離れていった、肉食も草食も一緒くたの雑炊のようだったから、弱いものは必死に足を鳴らす。雨音は大きくなって、風も吹いた、草むらに狼が小鹿を咥えて竜を見ていた。

 幾日(いくか)も過ぎると、はっきりと青い木々の高い背が風に揺すられて、その木漏れ日が竜を焼く。影と橙と、角ばっていたり丸まっていたり苔むした石に幾何の綾が座っているよう。竜は膨らむ、影は底に落ちている、幾ばくか大きく、ほんのり影は土の匂がする。そうして、やがて(ただ)れていった。時折木々の合間から動物たちが覗くばかり。しんと虫の声が雑木林にこだまして、鳥が呼応し金切り声をあげていた。苔の剥いだ石のようにまるで竜の(さい)は違っていった。そうして又、竜のからだは溶け始める。じくじくと皮膚は傷んで、赤紫の変色にそれが優れて膿んでいく。大きな翼も根元が化膿し朽ちそうで、影の落ちる花たちは何処か斜めに咲いている。風が冷ややかに花をゆすった。

 森の青さも落ち着く頃、雨がぽつねんと降る。やがて雫は大きくなって、森のすべてを打ち付けた。低い打音が木々を穿って、近くの川が氾濫し、黒い波が木々を殺す。竜のからだも(いとま)なく、雨に打たれて鱗も落ちた。その一瞬間、雷が鳴った。風も強くなった、雑木林の木々の合間に一匹、子供の猪が竜を見ている。風が吹いて森が揺れる時、ぶるっとウリ坊は一つ震えた。

 樹木もそして紅葉。底に冷ややかな風が抜けて、ふわり、舞う落ち葉。もう、竜の骨が見えている。木々の色味は深く沈んで、木の紅が袈裟懸(けさが)けに、影を帯びては水辺に映る。葉がひらり、一枚落ちて、黒い瞳を蓄えた鹿の鼻先をかすめて仕舞う。その鹿は瞳に竜を捉えていた。・・・古の竜は朽ちなかった。その亡骸は崩れることなく季節が巡った。肉が爛れて骨がさらけようとも、翼は決して折れはしない。強靭な皮膚は幾月(いくつき)経ようが遅く鈍化するだけ、虫も動物も(かじ)ろうとする者はこの森には居なかった。そうして、また風が吹いた、紅のすべてが揺れては()いた。枯れ葉舞う土の上で横倒れの木が広間に眠る。

 冬が訪れ、竜の骨に光が当たる。辺りは雪に染まって、樹木の影に筋がうっすら光って見える。広間には猪が、雪を赤く溶かしては竜のそばにゆっくりと寄っている。新雪に赤を引いて、擦れるような音で雪に足を鳴らした。そうして、ふと止まって、古竜の頭の前にそっと膝をつく。その景色を木々のあいまから狼が見つめている。暫く二匹はじっと静かに。やがて、木々から光が差し込んで、竜の骨を明るく包んだ。狼は瞳にしばらく据えて、目の前の赤の線のそのはじめを、雪といっしょに咥えて消えた。竜のそばの石ころのような、そんな猪はもう、動きはしない。

 時が経っては、竜は骨だけになっていた。いつからか温かな風が吹くようになった。新緑の青い匂は雫の垂れる葉っぱに香る。雪解けの後にたくさん芽吹いて、雑木林は豊かに落ち着き、川の流れはちろちろと静かな音を水に含ませている。そんな朝に竜は降りた。

 竜の骨に影が差す。朝露にすこし疎い空から、漆のような赤の竜が光を背にして影を作り降りてきた。影の暗みは朝露で、(ほの)かなきらめきも混じって見える。やがて竜は骨の周りを歩き始めると、響きがあたりを揺すって、水の露を木々の下へと振るい落とす。澄んだ空に月がそっけなく欠けている。やがて竜は頭の前に歩みを止めて、鱗を丸く背を屈めると、古竜の牙に顔を押した。竜と云うのは森に生きる。だが、古竜は違う。竜の弔いは森も、海も、場所が違おうと変わりはしない。屍の口に頭を入れて、死した竜の誇りとするのだ。漆の竜は古竜の頭蓋にその首をささげた。日が少し昇ると光はほぐれて竜の背に散った。古竜の骨はまっしろで、月のようにそっけなかった。その牙は白く血に濡れて、漆の竜は(かじ)られていた。

 ・・・古竜というのは特別である。その生涯で何かを食らうことはない。しかし代わりに、死骸となって果てた時、己を弔うほどの強き竜を食らうのだ。

 漆の竜は骨となるのにふた月とそう掛からなかった。動物がたかっては肉を食らい、羽虫が湧いてはこそぎ取られたから。もう、影もない。とうに枯れた花たちは、光を浴びて風に揺れるか。青い木々のすき間から、筋が細く、竜の牙にあたって砕けた。静かな広間に大きな窪みができている。そのそばに、石ころのように何かの骨がそっとしていた。竜の頭蓋は食らうように、その骨を包むように置かれていて。広間に眠る倒木に、光が跨ぐと苔がむしている・・・。

 静かな朝だった。川沿いの森に少し開けた場所があって、そこでいつか竜が死んだ。

古竜は廻らず。

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